名前 | 樊余(はんよ) |
生没年 | 不明 |
時代 | 春秋戦国時代 |
勢力 | 西周(戦国時代) |
コメント | 戦国策に登場 |
樊余は戦国策の西周策に名前が掲載されている人物です・
ただし、樊余は戦国策の西周策に1回だけしか名前が挙がっておらず、分かっている事は殆どありません。
しかし、樊余の実績を考えると西周の為に動いており、西周に仕えた人物か諸子百家の遊説家だった様に感じております。
樊余の実績ですが、魏と韓の領地交換が西周に不利だと考え、楚王への使者となった人物です。
樊余は楚王の前で弁舌を振るい魏と韓の領地交換を阻止する事に成功しました。
それを考えると樊余は西周を救った人物とも言えそうです。
韓と魏の領土交換
戦国策の西周策に下記の記述があります。
※戦国策 西周策より
韓と魏が領地の交換をしようと考え、西周にとってまずい状況になった。
樊余は韓と魏の領地交換を阻止する為に動くわけですが、戦国策の記述は簡略であり、なぜ韓と魏の領土の交換が西周にとって「まずい事になったのか?」に関しての記述がありません。
しかし、後の樊余の言葉を見ると、この時は韓の方が二つの県を多く貰う事になっていた様で、魏が二県を損する話になっていた様です。
後の樊余の言葉から、この土地交換により魏は西周と東周を併呑する野心があったのかも知れません。
春秋時代であれば諸侯は周王を形式上とはいえ尊び春秋五覇らが、周王を盛り立てた時代もありましたが、戦国時代に入ると周王朝を尊ぶ気持ちは薄れ、諸侯は自らを「王」と称したり他国間で呼び合う事になります。
周も東周と西周に分裂するなど苦しい立場だったわけです。
こうした中で、韓と魏の土地交換が場合によっては、西周の滅亡が見えて来る様な危機的な状況でもあったのでしょう。
韓と魏の土地交換の話が出ると、樊余は楚に向かい楚王に自説を説く事になります。
戦国策には「楚王」としか書かれていませんが、楚の懐王ではないか?とも考えられています。
樊余の弁舌
樊余は楚王の前に謁見すると、次の様に述べました。
樊余「周は韓と魏が地を交換する事で、滅亡する事になるでしょう。
韓と魏の領地交換では韓が二県の得をし、魏は二県を損する事になります。
魏が損をしてまで、韓に二県多く渡すのは、東西両周を併呑する野心があるからです。
魏は東西の二つの周を手に入れる事が出来れば、九鼎も取り込み、韓に渡した二県よりも利益は大きいと考えております。
さらに、魏が南陽、三川、鄭地を保ち東西の二周を手に入れれば、楚の方城から北は危なくなりますし、韓が上党の両地方を合わせて趙に迫れば、趙の羊腸から南も危機にさらされます。
それを考えれば魏と韓の領地交換は、趙と楚の重みが無くなる事になります」
樊余は楚王に韓と魏の領地交換により東西の両周が併呑されてしまえば、楚や趙にとって不利になると語ったわけです。
楚王も樊余の言葉をもっともだと考えたのか、趙王とコンタクトを取り韓と魏の領地交換を阻止した話があります。
樊余は西周の為に動き、見事に役目を達したと言うべきでしょう。