袁敏は正史三国志に登場する人物であり、曹丕が認めた程の剣術を持った人物です。
曹丕が呂布や袁術に仕えた袁渙の人柄について、袁敏に問うた事があり、袁渙の人柄を語ったのが袁敏となります。
正史三国志の記述によれば、袁敏は武芸に秀でており、治水工事が得意で河堤謁者にまで昇ったとあります。
今回は正史三国志の文帝紀や、袁渙伝に記述がある袁敏を解説いたします。
尚、袁敏や袁渙、袁覇などは魏に仕えましたが、袁徽だけは交州の士燮の元に避難しました。
剣の名手
曹丕は剣の腕に自信があり、劉勲や鄧展らと酒宴を開いた時に、剣術論で鄧展とぶつかる事になります。
曹丕は鄧展はヒートアップし、棒を持ち実戦形式を行いますが、曹丕が全て鄧展に勝利したわけです。
曹丕は過去の自分の剣術について語り、若い頃の自分は武器を両手で扱うのを得意とし、敵なしだと思い込んでいたと言います。
後に曹丕は袁敏に剣術を学ぶ事となります。
曹丕は両手で扱う武器を得意としていましたが、袁敏に対しては次の様に述べています。
曹丕「袁敏の一つの武器で両手の武器の者に攻撃するやり方は、神の如き技だと思った。
袁敏の打つ手が分からず、袁敏に狭い道で会ってしまったとしたら、直ちに決着を着けるしかないと思っていた」
曹丕は両手の武器が得意でしたが、袁敏が相手だと出会っていきなり攻撃するしか勝つのが難しいと言いたかったのでしょう。
袁敏の剣術の内容は不明ですが、かなりの腕前だった事が分かるはずです。
曹丕は性格的に夏侯尚や于禁に見せた様なサイコパスな所があります。
曹丕は、サイコパスな部分ばかりがピックアップされがちですが、剣の腕も間違いなくあり、曹丕が認めた数少ない剣士が袁敏だったのでしょう。
ただし、曹丕の弟に曹彰がいますが、曹彰が相手だった場合は、袁敏でも勝つのは難しかったのではないか?とも感じました。
曹彰は猛獣と格闘出来る程の戦闘能力があると記録されている為です。
袁渙の人柄を語る
袁敏の従弟に袁渙がいた事が分かっています。
劉備が袁渙を茂才に推挙した事があり、袁術、呂布、曹操と仕えた人物です。
袁渙は不正を嫌う義に厚い人物として有名でした。
曹丕は呂布が袁渙に「劉備を悪く言う手紙を書け」と脅した時に、堂々と断った話を聞きつけ、袁敏に袁渙の人柄を訪ねたわけです。
袁敏は袁渙の人柄について、次の様に述べています。
袁敏「袁渙は外見は温和に見えましたが、大義に関わる事や危機に遭遇した時には、孟賁や夏育でさえも越えられない程でした」
孟賁と夏育は戦国七雄の秦に仕えた人物であり、秦の武王の時代の人です。
孟賁と夏育は怪力を以って、秦の武王に仕えました。
袁敏はいざという時の袁渙は、孟賁や夏育を超える程の凄味を見せると言いたかったのでしょう。
この話に袁敏は登場しますが、メインは袁渙を讃える逸話だとも言えます。
ただし、袁敏も記録は少ないですが、剣と治水を得意としてた優れた人材だった様に感じています。