後漢

袁滂(えんぼう)は後漢王朝で司徒になる

2022年6月28日

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名前袁滂(えんぼう) 字:公照
生没年不明
勢力後漢
一族子:袁渙 孫:袁侃袁㝢袁奥袁準
コメント後漢王朝で司徒になる

袁滂は陳郡扶楽出身の人物で正史三国志にも記載がある人物です。

袁滂は袁渙の父親でもあります。

因みに、正史三国志の袁渙伝本文にある袁滂の記述は、下記の記述しか存在しません。

※正史三国志 袁渙伝の記述

「袁渙の父・袁滂は漢の司徒だった」

上記の記述から、袁滂が名士であり後漢王朝において、三公の一つに数えられる司徒だった事が分かります。

ただし、後漢王朝の霊帝の時代に司徒だったのか、桓帝の時代に司徒だったのかは記録がなく不明です。

何進死後の董卓の政権では王允が司徒になっており、袁滂は霊帝か桓帝の時代に司徒であった様に感じました。

正史三国志の袁滂に関する記述は、裴松之が残した注釈の袁宏の「漢記」による所が大きいのですが、袁宏は袁滂の子孫であり東晋に仕えた話があります。

純粋素朴な人物

袁宏の漢記によれば、袁滂に関して次の記述が存在します。

※漢記の記述

袁滂の字は公照であり、純粋素朴、欲求も少なく他人の欠点を語る事が無かった

袁滂の子である袁渙も清潔で落ち着きがあったと記述されていますが、袁滂もまた素朴な人で司徒にはなりましたが、似た様な感じの人物だった様に思います。

袁渙の子で袁滂の孫にあたる袁侃には「清新妥当」とする記述があり、同じく兄弟の袁準には「誠実公正」な人柄と評価されていますが、これらは祖父の袁滂譲りと言ってもよいのかも知れません。

袁滂の子孫である袁渙、袁侃、袁㝢、袁奥、袁準らは全て人柄を評価されており、袁滂の一族は人間性に富んだ一族とも言えるはずです。

袁滂の子孫は代々朝廷の高位となり、魏が西晋に変わっても継続される事となります。

華麗なる一族でもあったのでしょう。

司徒になる

袁滂は名士で家柄が良かった事や能力、人間性を認められたのか、後漢王朝の司徒となります。

高位に昇った袁滂ですが、漢記によれば、次の記述が存在します。

※漢記の記述

袁滂は権勢恩寵を極めながらも、袁滂は派閥争いをする事もなく、朝廷では中立の立場を取った。

よって、愛顧憎悪は袁滂まで波及しなかった。

袁滂は朝廷の司徒の位にあった時に、派閥争いはせず上手く立ち回り、難を逃れたと読み取る事も出来ます。

後漢王朝は皇帝が若くして亡くなる事が大半であり、外戚と宦官の権力争いなどは日常茶飯事として繰り広げられたわけです。

こうした中でも袁滂は特定のグループに属する事もなく、人柄もよかった事で標的にされなかったとも言えます。

中立は最も危険とする考えもありますが、袁滂の時代は後漢王朝は衰えても皇帝に権限があり、標的にならずに行動したのでしょう。

袁滂の最後

袁滂の最後ですが、よく分かっていません。

袁滂の子である袁渙は、後に豫州刺史の劉備から茂才に推挙された話がありますが、後に袁渙は袁術の元に身を寄せています。

この頃には袁滂の出身地である陳郡扶楽県を離れたはずであり、この頃には袁滂も亡くなっていたのかも知れません。

ただし、曹操の様に曹嵩が隠居の身となり、曹操が朝廷に仕え活動していた例もあり、袁滂が何処かのタイミングで隠居した可能性もある様に感じています。

袁滂の最後は記録がなく、いつ亡くなったのかも不明です。

この記事を書いた人

構成・文/宮下悠史

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