
| 名前 | エンリル・バーニ |
| 時代 | イシン・ラルサ時代 |
| 国 | イシン第一王朝 |
| コメント | 庭師が身代わり王となり、そのまま王となった。 |
エンリル・バーニはイシン第一王朝の10代目の君主です。
エンリル・バーニは庭師をしていましたが、イシン第一王朝の九代目のイルライミッティの身代わり王となりました。
しかし、イルライミッティは熱いスープを飲み亡くなってしまい、身代わり王であったはずのエンリル・バーニがそのまま王位に就く事になります。
古代メソポタミアにあっても、エンリル・バーニは異色な人物だと言えるでしょう。
尚、身代わり王の話はあくまでも創作であり、実力者のエンリル・バーニがイルライミッティから王位を奪ったとする説もあります。
イルライミッティ王の死とエンリルバーニの即位
古代メソポタミアの厳格な国家防衛儀礼である「身代わり王」の制度ですが、第9代イルライミッティ王の治世において、歴史上最も不条理かつ前代未聞のアクシデントが発生します。
占いの凶兆を避けるため、民間に身を隠していたイルライミッティ王でしたが、「熱いスープを飲んで喉に詰まらせ、急死してしまう」という突発的な事故に見舞われたのです。
死の呪いを受け止めて期間終了後に殺されるはずの身代わり王が生き残り、呪いを回避して生き残るはずだった本物の王が先に死んだというのは、当時の宗教界や官僚たちにとって未曾有の宗教的パニックでした。
なぜなら、これは「神々が本物の王を拒絶し、身代わり王のほうを真の支配者として指名した(神の意志)」と解釈せざるを得ない決定的な事実だったのです。
本物の王の急死を受け、玉座に座っていた身代わり王の庭師エンリルバー二は、即座に次の声明を放ちました。
「前王イルライミッティは神々の怒りによって崩御された。神々は私、エンリルバーニをこのイシン第一王朝の正当なる主として選ばれたのである。
私はこれより、正式に政務を執り行う。」
エンリルバーニは、王位を簒奪した可能性が極めて高いと考えられますが、彼が単なる「運のいい庭師」として一時的に玉座を盗んだわけではないことは、その後の歴史が証明しています。
彼は即位後、自らの驚異的なサクセスストーリーを「神が起こした奇跡」として神話的なプロパガンダに昇華させ、国内の神官層や官僚組織を完璧に掌握しました。
その結果、彼はその後24年間という長期にわたってイシン第一王朝を極めて安定的に統治し、数々の不況対策や法制度の整備を行う名君として君臨することになるのです。
イシン衰退の構造
エンリル・バーニは、その名に古代の言語で「エンリル神は創造主(あるいは建築者)」という意味を宿していました。
彼は自らの即位の経緯を「最高神エンリルによる神聖な選択」として正当化するため、極めて精力的な内政・軍事戦略を展開していきます。
その最大の治績が、ラルサに奪われていた聖地ニップルの一時的な奪還成功でした。
これは、王権の正統性を授けるエンリル神の神殿を再びイシンの支配下に置いたということは、衰退しかけていたイシン第一王朝の宗教的・政治的な求心力を全土に改めて証明する、起死回生の大勝利であったと言えます。
さらにエンリル・バーニ王は、国内の民心を繋ぎ止めるために「徳政令(債務の免除)」を大々的に発布し、同時に中央政権としての威厳を示すために、各地の城壁の強化や神殿の補修(再建)に注力しました。
しかし、当時、イシンがどれほど内政に努め、聖地を一時的に奪い返したとしても、ペルシア湾からの莫大な富をもたらす「ディルムン貿易の利権」は、依然としてグングヌム以降のラルサ王朝が独占していました。
つまり、イシン第一王朝は「経済の心臓部」を失った状態のまま、都市の維持費や防衛コストだけが膨れ上がっていたのです。
エンリル・バーニ王が発布せざるを得なかった徳政令は、まさにこの「経済的困窮(債務奴隷の急増)」という、国家の構造的な行き詰まりを解決するための必死の延命策に過ぎませんでした。
どれほど有能な君主が玉座に就こうとも、この地政学的な経済の格差がある限り、イシンの長期的衰退を根本から覆すことは不可能だったのです。
| 先代:イルライミッティ | エンリル・バーニ | 次代:ザンビヤ |