
| 名前 | フェルナンド1世大王 |
| 生没年 | 1017年ー1065年 |
| 在位 | 1037年ー1065年 |
| 時代 | レコンキスタ |
| 一族 | 父:サンチョ大王 母:ムニア・エルビラ |
| 兄弟:ガルシア3世、ラミロ1世、ゴンサロ | |
| 子:ウラカ、エルビラ、サンチョ2世、 | |
| アルフォンソ6世、ガルシア、 | |
| コメント | タイファの諸侯からパーリアを徴収した |
フェルナンド1世大王はレコンキスタの歴代君主の中でも、極めて評価が高いです。
父親のサンチョ3世は偉大な功績を残しサンチョ大王と呼ばれますが、息子のフェルナンド1世も大王の呼び名で親しまれました。
フェルナンド1世はカスティーリャ王国の王となると、ベルムード3世を倒しレオン王国の国王も兼ねる事になります。
イスラムのタイファと呼ばれる諸侯からはパーリアと呼ばれる貢納金を取り、勢力を拡大させました。
後には、兄でナバラ王国のガルシア3世も戦死させています。
ただし、死後は分割相続させており、これもまた争いの原因となっています。
レオン・カスティーリャ王
1035年にナバラ王国のサンチョ大王が亡くなりますが、遺領は次の様に分配されました。
| ナバラ王国 | ガルシア・サンチェス3世(ガルシア3世) |
| カスティーリャ王国 | フェルナンド1世 |
| ラミロ1世 | アラゴン王国 |
| ゴンサロ | ソブラルベ伯、リバゴルサ伯 |
サンチョ大王の時代にレオン王国のベルムード3世は大きく勢力を後退させましたが、サンチョ大王が亡くなると復権を考え、カスティーリャ王国に攻め込んできました。
タマロンの戦いが勃発しますが、フェルナンド1世は兄のガルシア・サンチェスと協力し勝利しています。
これによりフェルナンド1世はレオン・カスティーリャ王となり、勢力を拡大させました。
レオン王国の領土も手にした事により、カスティーリャ王国はナバラ王国やアラゴン王国よりも強大になったともされています。
フェルナンド1世大王のイスラーム遠征とパーリア体制
フェルナンド1世大王は、イベリア半島西部に位置するバダホス王国へ遠征を行いました。
その結果、デュエロ川沿岸のラメゴとヴィゼウを獲得しました。
しかし、これらの地域を再植民しようとした際、キリスト教徒の人口が不足していたため、十分な定住が進まなかったとされています。
そこでフェルナンド1世大王は、バダホス王国から貢納金(パーリア)を徴収する方針を取りました。
その後、フェルナンド1世大王はサラゴサ方面にも進軍し、ベルランガを手に入れました。
フード朝のサラゴサ王はフェルナンド1世大王に臣従を誓い、軍事貢納金パーリアを支払うことを約束しました。
サラゴサはフェルナンド1世にパーリアを支払う事で、北方のアラゴン王国から攻められなくなります。
アラゴン王国はタイファの勢力であるサラゴサの領地を奪おうと考えていましたが、フェルナンド1世にサラゴサがパーリアを支払った事で身動きが難しくなったわけです。
フェルナンド1世としてもパーリアを貰った以上はサラゴサを守る義務が生じ、アラゴン王国の南下を封じる結果となりました。
さらにフェルナンド1世大王は、貢納金の支払いが滞っていたトレド王国にも軍事行動を行い、戦果を挙げたうえでパーリアの支払いを義務づけました。
1063年にはセビーリャにも遠征し、セビーリャ王もフェルナンド1世大王に臣従し、パーリアを支払うことになりました。
フェルナンド1世大王は、セビーリャが十分に対抗できないと判断すると、ローマ時代の聖人サンタ・フスタの遺骸を回収したと伝えられています。
このように、タイファ諸国が次々にパーリアを支払う状況を見ると、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世やアルマンゾールの時代とは大きく情勢が変化していたことが分かります。
フェルナンド1世大王はイスラーム諸国から多額のパーリアを得ており、その額は軍備を長期にわたって維持できるほどであったと伝えられています。
これらの動きから、イベリア半島におけるキリスト教勢力とイスラーム勢力の力関係は完全に逆転したと考えられています。
尚、フェルナンド1世大王は兄のガルシア3世と対立しますが、1054年にアタプエルカの戦いで勝利しています。
ナバラ王国ではサンチョ4世が後継者となりますが、フェルナンド1世のカスティーリャ王国の勢力が圧倒しました。
フェルナンド1世大王の死とレコンキスタの新段階
フェルナンド1世大王の治世には、レコンキスタ(再征服運動)が大きく進展したと評価されることがあります。
また、キリスト教国のアラゴン王国も1064年にバルバストロを占領しており、キリスト教勢力全体が攻勢に転じていた時期でした。
フェルナンド1世大王は、バレンシア王国への遠征中に病にかかり、レオンへ帰還しましたが、1065年に亡くなりました。
フェルナンド1世大王は父と同様に分割相続を選択し、その結果、後に兄弟間の対立が生じる要因の一つとなりました。
フェルナンド1世は「大王」と呼ばれるだけあって、その治世においてカスティリヤ・レオン王国の勢力を大きく拡大させました。
| フェルナンド1世大王 | 次代:サンチョ2世 |