レコンキスタ

レオン王国はイベリア半島の北にあった

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宮下悠史

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名前レオン王国
建国から滅亡910年ー1034年
時代レコンキスタ
コメントアストゥリアス王国の後継国

レオン王国はアストゥリアス王国が首都をレオンに遷した事で誕生しました。

レコンキスタの時代における国の一つがレオン王国となります。

後ウマイヤ朝の宰相がアルマンゾールの時代は、連年の様に攻撃を受けて戦いは不利な状態が続きました。

それでも、レオン王国は生き残りますが、ナバラ王国のサンチョ大王が即位すると、ベルムード3世は国を追われる事になります。

サンチョ大王の死後に国を再興しようとしますが、果たせませんでした。

尚、レオン王国の動画も作成してあり、記事の最下部から視聴できる様になっています。

領土の分割

アルフォンソ3世の時代に領土が大きく拡がりました。

しかし、領土が広がったことで、アルフォンソ3世は後継者問題に悩むことになります。

彼は拡大した領土を息子たちに分割相続させる方針を取りました。

長男ガルシアにはレオン、次男オルドーニョにはガリシア、三男フルエラにはアストゥリアスを与えたとされています。

アルフォンソ3世は3人の息子をそれぞれレオン王、ガリシア王、アストゥリアス王として即位させました。

さらに、弟のゴンサロは聖職者とし、末子ラミロは幼かったため名誉職のみを与えました。

しかしこれは、アストゥリアス王国を事実上三分割したことにもなります。

特にガリシアを継いだ者が「王国全体の後継者」とみなされる傾向があり、アルフォンソ3世はオルドーニョに広大な領地を与える意図があったと考えられています。

というのも、長男ガルシアはカスティーリャ伯と結び、父アルフォンソ3世を打倒しようとしているという噂があったためです。

アルフォンソ3世が分割統治を選んだ背景には、初期のアストゥリアス王国と比べて領土が大幅に拡大し、一人の王が全域を統治するのが困難になっていた事情がありました。

そのため、ドゥエロ川流域の無人地帯を植民して領土を安定させたことは、非常に効果的だったと考えられます。

アルフォンソ3世は、広大な領土を単独で統治するのは難しいと判断していたのでしょう。

レオン王国の誕生と初期の王位継承

910年にアルフォンソ3世が死去すると、長男ガルシアがガルシア1世としてレオン王に即位しました。

ガルシア1世は父と同様に無人地帯への入植を進め、領土の安定化を図りました。

ガルシア1世はレオンに常駐していたわけではありませんが、何度もレオンを訪れ、アルフォンソ3世が保持していた首都機能をオビエドからレオンへ移しました。

これにより、レオン王国が正式に誕生したとされています。

つまり、アストゥリアス王国が首都をレオンへ移したことで、王国の名称もアストゥリアスからレオンへと変わったのです。

ここから、アストゥリアス王国はレオン王国と呼ばれるようになりました。

レオン王ガルシア1世は在位4年で亡くなりました。

彼には子がいなかったため、レオン王国は弟のオルドーニョ2世が相続します。

これにより、オルドーニョ2世はガリシア王とレオン王を兼任することになりました。

オルドーニョ2世は、父アルフォンソ3世が後継者として期待した通り、覇気に満ち、活力あふれる人物だったと伝えられています。

さらに武勇に優れ、精神的にも安定しており、忍耐強さを備えていたとされています。

しかし、後ウマイヤ朝では912年にアブド・アッラフマーン3世がアミール(総督)となっていました。

アブド・アッラフマーン3世は後ウマイヤ朝の最盛期を築いた人物であり、やがて自らを「カリフ(ムハンマドの後継者)」と称し、アッバース朝・ファーティマ朝と並ぶ「三カリフ時代」を生み出したことで知られています。

レオン王国のオルドーニョ2世は領土拡大のため積極的に戦いました。

メリダやバダホスへ遠征し、自国領内のサン・エステバン・デ・ゴルマスで勝利を収めています。

しかし、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世の勢力は強大で、オルドーニョ2世が獲得した領土も再び奪われてしまいました。

レオン王国単独で後ウマイヤ朝と戦い続けるのは困難と判断したオルドーニョ2世は、婚姻関係を結んでいたナバラ王サンチョ・ガルセス1世と同盟を結び、共闘する道を選びます。

しかし、レオン王国とナバラ王国が協力しても戦況は厳しく、イスラム軍がナバラの首都パンプローナに迫ることもあったとされています。

戦いは長期化し、オルドーニョ2世がレオン王となってから約10年後の924年、サモラからレオンへ戻る途中で死去したと考えられています。

この時、王位はオルドーニョ2世の子が継ぐと思われましたが、実際にレオン王となったのは弟でアストゥリアス王だったフルエ2世でした。

つまり、アルフォンソ3世の3人の息子が順番にレオン王位を継いだことになります。

しかし、フルエラ2世の在位はわずか1年ほどで終わりました。

これによりアストゥリアス王国はレオン王国に吸収される形となり、オルドーニョ2世の子であるアルフォンソ4世がレオン王に即位します。

レオン王国の危機とアルマンゾールの脅威

アルフォンソ3世が息子たちに分割統治を行った結果、910年にレオン王国が誕生し、兄弟間で王位が受け継がれ、その15年後にアルフォンソ4世がレオン王となった、という流れになります。

この頃、ガリシア王国はレオン王国に従属する関係にあり、アストゥリアス王国はレオン王国に統合されました。

しかし、初代ペラヨの時代と比較すると、レオン王国の領土は大幅に拡大しており、アストゥリアス王国の後継国家として確固たる地位を築いていたといえます。

この後もレオン王国はナバラ王国と協力しながら、後ウマイヤ朝との戦いを続けていました。

レオン王国はナバラ王国やカスティーリャ伯と協力して戦いますが、後ウマイヤ朝に宰相のアルマンゾールがおり、苦戦が続く事になります。

アルマンゾールの略奪戦争とレオン王国の衰退

984年、ラミロ3世が死去し、ベルムード2世がレオン王に即位します。

ベルムード2世は「痛風王」と呼ばれた人物で、健康面に問題を抱えていたとされます。

しかし、後ウマイヤ朝の攻勢は止まりませんでした。

985年にはバルセロナが再び攻撃され、988年・989年にはドゥエロ川沿いのサモラ、トロ、レオン、アストゥルガなどが次々と襲撃されました。

ベルムード2世はこれに耐えきれず、ガリシアへ避難したと伝えられています。

その後、アルマンゾールはついにキリスト教世界の重要な聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステラへ侵入しました。

イスラム軍は大聖堂を破壊し、大鐘を奪い、キリスト教徒の捕虜にそれをコルドバまで運ばせたとされています。

この出来事はレオン王国にとって大きな屈辱であり、ベルムード2世の威信は大きく損なわれたと考えられています。

アルマンゾールは圧倒的な強さを見せたわけですが、目的が部下達の忠誠心を得る為に略奪により戦利品の獲得が目的であり、そもそもレオン王国を始めとしたキリスト教国を滅ぼす気はなかったとされています。

アルマンゾールの事情もあり、レオン王国は苦しめられながらも、国は存続する事になります。

ナバラ王国の台頭とレオン王国の後退

しかし、1002年頃にアルマンゾールが死去すると、後ウマイヤ朝内部で権力闘争が激化し、一気に弱体化へと向かいました。

そして1031年、後ウマイヤ朝は完全に崩壊し、タイファ(小王国)が乱立する時代へと突入します。

アルマンゾールの度重なる遠征により、レオン王国は大きく疲弊し弱体化しました。

アルマンゾールの死後、イベリア半島で主導権を握ったのはレオン王国ではなくナバラ王国であり、特にサンチョ大王(サンチョ三世)が新たな中心人物として台頭しました。

レオン王国の滅亡

ナバラ王国にサンチョ大王が現れると、様々な手を尽くし政治介入を行い勢力を拡大する事になります。

当時のレオン王国ではレオンの宮廷で、カスティーリャ伯が暗殺される事態となります。

サンチョ大王は好機と見て介入し、カスティーリャの実効支配に成功しました。

サンチョ大王はレオン王国のベルムード3世をガリシア地方に追い払い、自らレオン王になっています。

これによりレオン王国はサンチョ大王のものになったと言えるでしょう。

サンチョ大王は死後に子供立ちに領地を分割しています。

ベルムード3世はサンチョ大王の死後にレオン王国を復興させようとしますが、カスティーリャ王国のフェルナンド1世やナバラ王国のガルシアに敗れて世を去っています。

レオン王国の君主一覧

・ガルシア1世

・オルドーニョ2世

・フルエーラ2世

・アルフォンソ・フロイラス

・アルフォンソ4世

・ラミロ2世

・オルドーニョ3世

・サンチョ1世

・オルドーニョ4世

・サンチョ1世

・ラミロ3世

・ベルムード2世

・アルフォンソ5世

・ベルムード3世

レオン王国の動画

レオン王国を題材にしたゆっくり解説動画となっています。

この記事及び動画の参考文献などはYouTubeの概要欄を見る様にしてください。

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