春秋戦国時代

樊於期(はんおき)は悲劇の人だけど男気はあると思う。

2021年3月29日

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宮下悠史

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樊於期を紹介したいと思います。

樊於期は史記にも名前が登場し、秦国の将軍だった事は確かですが、秦での功績などは伝わっていません。

その為、史実の情報は極めて少ないのですが、様々な説があるので解説致します。

尚、戦国七雄の争いを舞台にした漫画キングダムでも登場しましたが、余り人相がよくないなと思いました。

樊於期将軍は漢を感じるところがあるので、もう少しカッコよく描いてくれてもよかったのかなと感じています。

史実の樊於期将軍ですが、漫画キングダムの様に嫪毐や趙姫(美姫)側である嫪国の武将だという記録はありません。

もちろん、呂不韋を裏切った昌平君に敗れた記録もないです。

ただし、樊於期桓騎が同一人物だという説があるんです。

そちらの方もお話いたします。

秦王に恨みを持って燕に逃亡

樊於期ですが、史記によると始皇帝(嬴政)に恨みを持ってに逃亡した事になっています。

家族を始皇帝に殺されてしまった事が恨みになっているようです。

しかし、何で始皇帝(秦王政)が樊於期の家族を殺してしまったのかは、いくつかの説があります。

それを紹介します。

少数精鋭に反対した

一番よく言われているのが、秦の軍隊を少数精鋭にするという秦王政の政策に異を唱えたためです。

正確に言えば、「少数精鋭部隊にするのを緩やかにして欲しい」とお願いした為だと言われています。

樊於期は将軍をしていて、部下の面倒見がよかったのか自分の兵士がリストラされたりするのが、耐え切れなかったのかも知れません。

しかし、秦王政は進言を聞き入れる事はありませんでした。

さらに、樊於期の殺害を考えるようになります。

リストラされた兵士の心が樊於期に寄せられるのを恐れたとされています。

秦王政は樊於期がリストラされた兵士を率いて反乱を起こしたりすれば、たまったものではないと考えたのかも知れません。

そして、樊於期を殺そうとするわけですが、いち早く樊於期は気が付き燕に逃亡します。

しかし、家族は秦王政に捕らえられて一族郎党処刑されてしまったわけです。

この事から、樊於期は秦王政に対して深い恨みを抱きます。

この説で行けば樊於期は、秦王政の急激な改革の犠牲になる人々を救おうとした事になります。

長安君成蟜の乱で敗れて逃亡した

紀元前239年に長安君成蟜を攻撃しました。

趙を攻めた成蟜は、兵を率いたまま反乱を起こしたわけですが、長安君成蟜の乱で反乱軍を指揮したのが樊於期だとする説があります。

キングダム同様に成蟜自身は反乱を起こす気はなかったのですが、成り行きなどから反乱の首謀者になってしまったわけです。

樊於期は秦軍を蹴散らしたり奮戦したわけですが、結局は破れてしまい樊於期はに逃亡します。

残された家族を秦王政が処刑した事で樊於期は恨みを抱くわけです。

しかし、これだと逆恨みの要素も強くなっていきます。

反乱を起こし失敗すれば、家族が処刑されても当たりまえの部分もあるはずです。

この設定だと樊於期の男気ランクが下がるような気がしてなりません。

戦いに敗れて逃亡

樊於期は、戦いに敗れて逃亡した説もあります。

または、軍令違反を犯して逃亡した説です。

成蟜の乱と内容は似ていますが、どこの戦いかははっきりとしません。

秦の法律だと戦いに破れた者は処罰されてしまいます。

そのため、戦いで敗北が決まった時点で樊於期が逃亡した説があります。

ただし、李信蒙恬のように戦いには敗れたが、敗者復活した例もあります。

しかし、この場合も家族は処刑されてしまい樊於期は秦王政に深い恨みを抱きました。

因みに、どの説も樊於期は最終的に秦王政に対して深い恨みを抱くわけです。

そこは変わりがありません。

燕太子丹に保護される

樊於期に逃亡すると、同じく秦から逃げて来た太子丹の保護を受けます。

太子丹も秦では、秦王政に冷遇された為に恨みを抱いていたわけです。

太子丹の側近たちは「秦王政の恨みを買うから北の匈奴の地に樊於期将軍を逃がす様に」と進言します。

しかし、太子丹は「頼って来た樊於期将軍を見捨てる事は出来ない。樊於期将軍を匈奴に逃亡させるのであれば、私が死んだ後にしてくれ」と男気を見せたわけです。

太子丹は秦に復讐するための意見を傳役の菊武に相談します。

すると、菊武は田光先生を紹介しました。

田光は、荊軻を太子丹に紹介したわけです。

荊軻は太子丹の役に立とうと思い面会しますが、「太子丹からは秦王政は刺殺してくれ」と頼まれたわけです。

荊軻は軍師のような助言役だと思っていたかも知れませんが、会ってみたら暗殺者の募集だったわけです。

しかし、荊軻は身を低頭してお願いする太子丹を憐れみ暗殺者の依頼を受けます。

ただし、督亢の地図と樊於期の首が必要だと太子丹に言います。

樊於期の首に対して、太子丹は難色を示しました。

樊於期が自決

荊軻は太子丹の説得するのは無理だと判断して、樊於期に直接話す事にします。

すると、樊於期はすぐに了承します。

に対して恩が出来た事や家族を秦王政に処刑されてしまった事で、復讐が出来るのであれば、自分の首は安いと思ったのでしょう。

すぐに樊於期は自決しました。

荊軻は事後報告で太子丹と会い事情を説明しました。

太子丹は悲しみましたが、納得して督亢の地図と樊於期の首を持たせて荊軻を秦に向かわせたわけです。

しかし、荊軻は秦王政の前で暗殺しようと頑張りますが、連れ行った秦舞踊が動けなくなってしまい失敗に終わっています。

尚、これに激怒した秦王政は燕を厳しく攻め立てました。

これに耐え切れず首都である薊は落城し燕王喜と太子丹は遼東に逃亡しています。

しかし、太子丹は燕王喜の刺客に殺されたとも、の将軍である李信に斬られたとも言われています。

結局、樊於期の首は無駄になってしまったわけです。

樊於期の首と荊軻の命

太子丹なのですが、樊於期がに逃亡してくると、家臣たちの反対を押し切って保護しています。

さらに、荊軻が樊於期の首が必要だと言った時も「他の方法を考えて頂きたい」といい許可を出しませんでした。

樊於期の命が惜しいと考えたわけです。

これを考えると太子丹は人格者にも見えます。

しかし、荊軻には刺客を依頼しているわけです。

秦王政の刺客になると言う事は、荊軻が殺される事は確実でしょう。

荊軻が曹沫の様に上手く脅し秦王政に土地の返還を約束して帰ってくれば生き延びる可能性はあります。

しかし、ほぼ100%の確率で死ぬ事は間違いないでしょう。

これを考えると樊於期の命は重く、荊軻の命は軽いとも考えているように思えます。

今の日本だと人の命は平等に重たい物と考えがちですが、当時の発想で言えば将軍や貴族の命は重く庶民の命は軽いと考えられていた事が分かるような気がします。

ちなみに、日本では江戸時代に生類憐みの令を行った事で命は平等に尊いものだと認識されたようです。

しかし、春秋戦国時代に生類憐みの令をやったら国は滅亡する可能性もある様に思いますが・・・。

樊於期と桓騎が同一人物?

樊於期桓騎が同一人物だとする説をいう人がいます。

樊於期桓騎は日本語ですと、読み方に大きく違いがありますが中国語だと発音が似ているそうです。

桓騎は、楊端和王翦などと鄴攻め(ぎょうぜめ)などで活躍したりしています。

さらに、桓騎は趙将である扈輒平陽の戦いで破り10万人の首を斬っています。

かなりの武功を挙げたのですが、李牧を出してくると敗北して、そこから先は歴史に登場しなくなります。

李牧に敗れた桓騎は死亡したともに逃亡したとも言われているのです。

秦王政の処罰を恐れて燕に逃亡した桓騎樊於期になった説です。

ただし、本当のところはよく分からないが実際のところでしょう。

キングダムでは明らかに樊於期桓騎は別人になっています。

しかし、先に燕に逃亡した樊於期桓騎が殺害して荊軻に首を渡すなどをしてくれるかも知れません。

どうなるのかは分かりませんが、原泰久先生に期待したいと思います。

樊於期の死について

樊於期の死ですが、男気を感じるところがあります。

荊軻に依頼された時に、ためらわずに即決で自刎したようですし、ある意味潔さを感じています。

こういう人物だったので、兵士からの信頼も厚かったのかも知れません。

秦王政は頭もよく冴えた頭脳の持ち主だったかも知れませんが、樊於期は情に厚い性格だったようにも思います。

よく歴史上の人物などでは、恨みのある相手に祟られて死ぬことがあります。

三国志では孫峻が諸葛恪に殴られる夢を見て死ぬとか、周の宣王が死んだはずの杜伯に射殺されるなどです。

それを考えれば、秦王政に樊於期が祟って死んでもよかったのかも知れません。。

三国志のチョイ役である胡軫は、「頼む許してくれ~」と懺悔しながら死んだそうです。

同じことが秦王政樊於期の間にもあってもいい気がするんですけどね。

樊於期がチョイ役過ぎて無理だったのかな・・・。

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