エジプト新王国 古代エジプト

イアフメス1世は異民族からエジプトを奪還した。

2026年4月14日

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宮下悠史

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名前イアフメス1世
時代エジプト文明
生年不明
在位紀元前1570年 - 紀元前1546年
王朝エジプト第18王朝
一族父:セケンエンラー母:イアフヘテプ1世
配偶者:イアフメス=ネフェルタリ、イアフメス・ネブタ
子:アメンホテプ1世
コメントヒクソスを駆逐しエジプト新王国時代が始まった。

イアフメス1世はエジプト第18王朝の初代ファラオであり、イアフメスの時代からエジプト新王国は始まりました。

エジプト第17王朝のファラオであるカーメスの後継者となり、ヒクソスを駆逐した大きな功績があります。

イアフメス1世は血筋的には第17王朝と繋がっていますが、マネトーはイアフメス1世をエジプト第18王朝の開祖としました。

下エジプトをヒクソスから奪い返した後は、ヌビア遠征なども行っています。

エジプト新王国は強力な王権を持っていたとされていますが、イアフメス1世の時代から始まったと言えるでしょう。

イアフメス1世が生まれた時代

イアフメス1世が生まれた時代背景からお話します。

中王国時代の終焉後、ヒクソスがナイルデルタの下エジプトを占拠し、エジプトに初めての異民族王朝が立てられました。

ヒクソスの都であったアヴァリスを陥落させたのは、エジプト第17王朝のカーメスという人物の活躍が大きかったと言えます。

勇敢王とも呼ばれるカーメスは奮戦し、下エジプトのヒクソスと上エジプトの第17王朝の力関係が入れ替わりました。

しかし、ヒクソスを追い詰めながらも、カーメスはあと一歩の所で亡くなってしまいます。

ここでイアフメス1世が後継者に名が挙がる事になります。

イアフメス1世の統一と新王国の確立

エジプト第17王朝のカーメスが亡くなると、後継者になったのが甥のイアフメス1世でした。

イアフメス1世はヒクソスからエジプトの由緒正しき都であるメンフィスを奪いました。

さらに、ヒクソスの本拠地であるアヴァリスも陥落させ、治世10年目にしてヒクソスをエジプトから駆逐しました。

これによりエジプト第二中間期は終焉を迎える事になります。

イアフメス1世の時代からエジプトは第18王朝に移行する事になります。

エジプト第17王朝と第18王朝は男系でつながっていると考えられていますが、それにもかかわらず王朝番号は第17王朝から第18王朝へと切り替えられています。

イアフメス1世はエジプトを統一した後に、ヒクソスの残存勢力を警戒し、3年の歳月を掛けてエジプト軍をパレスチナに遠征させました。

この遠征は成功し、ヒクソスの最後の拠点であるシャルーヘン(ガザ地区の辺り)を陥落させます。

エジプトは封鎖地形とは言われているものの、東ではシナイ半島と陸で繋がっており、不安はあったと思われます。

エジプト古王国の時代には、エジプト軍は歩兵のみで構成されていたと考えられています。

しかし、新王国時代に入ると戦車が本格的に導入され、その存在は確実に確認されています。

実際、エジプトの墳墓からは戦車が丸ごと出土したという例もありました。

ヒクソスが戦車と複合弓をもたらしたという話もあるようです。

さらに、エジプト新王国の戦車は丈夫でありながらも軽く、走行が不可能な場所では抱えて運ぶ事が出来たとされています。

エジプト先王国のレプリカの戦車を作り二頭のポニーに引かせると、最高速度は時速38キロにも達したと言われています。

古代といっても、技術が大きく進歩していたことが分かります。

凛々しく戦車に乗っているツタンカーメンの壁画は非常に有名です。

ちなみに、ユダヤの歴史家ヨセフスは「ヒクソス」がエジプトから追放された後にエルサレムの街を作ったとしています。

そのため、これが旧約聖書の出エジプトに出て来るモーセに率いられてエジプトから脱出したヘブライ人だったのではないかとする説が存在します。

イアフメス1世は南方のヌビアにも遠征を行い、クシュ王国の勢力を排除しようと考えました。

クシュ王国は、後にエジプトに黒いファラオを誕生させる事になる重要な王国です。

エジプト第25王朝はクシュ朝とも呼ばれており、黒人のファラオがいた事が明らかになっています。

イアフメス1世はヌビア遠征を行いましたが、本国エジプトでテティアンという州侯が反乱を起こしたため、撤退を余儀なくされています。

エジプト新王国はエジプト古王国や中王国よりも強大だと言われていますが、この時代はまだ成立したばかりであり、まとまっていないという印象を受けます。

イアフメス1世の国内統治と王妃の台頭

イアフメス1世は、テティアンの反乱を鎮圧したのち、新王国の安定化に力を注ぎましだ。

州侯に土地を与えて支持基盤を固めるなど、王権の強化を積極的に進めています。

また、神殿建設にも熱心で、多くの碑文を残したことからも、宗教的権威の確立に努めた様子がうかがえます。

こうした一連の政策によって、イアフメス1世は新王国の権威を確立するために大きな役割を果たしたと言えるでしょう。

また、エジプト第17王朝から、王妃が絶大なる権力を持つようになっていったとされています。

エジプトの王妃は大王妃とも呼ばれ、絶大な権力があったようです。

イアフメス1世の碑文の中には、祖母だとされるテティシェリを崇拝する内容のものもあります。

イアフメス1世の妻であるイアフメス=ネフェルトイリの記念建造物は、夫の建造物に勝るとも劣らない出来となっています。

イアフメス1世の母イアフヘテプ1世や、王妃イアフメス=ネフェルトイリは、それぞれ「王の母」「王の妻」といった称号を名乗っており、
当時の王家において非常に大きな権力を持っていたことがうかがえます。

イアフメス1世は、アビドス葬祭殿の背後にピラミッドを建造していますが、これを最後にピラミッドは造られなくなってしまいました。

その理由については明らかになっていません。

イアフメス1世は、死後テーベ西岸のデゥラ・アブー・アル=ナガー地区に埋葬されました。

これでエジプト第18王朝の最初のファラオの時代が終わりました。

先代:カーメス(第17王朝)イアフメス1世次代:アメンホテプ1世

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