韓綜は正史三国志に登場する人物であり、呉の古老である韓当の子です。
父親の韓当は程普、黄蓋、祖茂らと孫堅四天王に名前が連なる猛将で、孫堅、孫策、孫権と孫子三代に仕えた忠臣とも言えます。
しかし、韓綜は放蕩息子であり、呉で立場が危ういと考え魏に寝返っています。
韓綜は「親の気持ち子知らず」を地で行ったような人物だと言えるでしょう。
韓綜は不忠の臣であり、253年に行われた東興の戦いでは、魏軍の先鋒として呉と戦いました。
東興の戦いでは丁奉の活躍もあり、最終的に韓綜は諸葛恪により首を斬られています。
今回は呉から魏に寝返り東興の戦いで亡くなった韓綜を解説します。
尚、三国志演義では韓綜はいきなり魏の武将として登場する事になります。
三国志演義の東興の戦いでは胡遵の配下として韓綜は登場し、桓嘉と共に丁奉に斬られました。
父親の喪
韓綜の父親の韓当は226年頃に亡くなったと考えられています。
曹丕も226年に崩御しており、孫権は5万の兵を率いて荊州に侵攻する事になります。
魏の文聘が孫権を迎え撃つ事になります。
孫権は韓綜が喪に服していると聞き、石陽の戦いへの従軍を命じず武昌の守備を命じました。
韓綜は建前上は喪に服していましたが、正史三国志には「淫乱にふけり無法を働いた」とあり、処罰されてもおかしくもない様な事をしていたのでしょう。
孫権は韓綜の態度が悪い事を知っていましたが、父親の韓当の功績が大きかった事で目をつぶりました。
しかし、韓綜は孫権に罰せられるのではないかと恐怖し、内心穏やかではなかったわけです。
魏に亡命
部下に悪事を働かせる
正史三国志の注釈・呉書によれば、韓綜は呉に叛逆する事を決めますが、周りの人々が自分に従うか不安だったと書かれています。
韓綜は部下に悪事を働かせ「お前たちを豊かにしたいから許す」と述べました。
韓綜が部下の無法を許した事で、悪事を働く者が次々に増えて行く事になります。
韓綜の部下達はやりたい放題であり、旅人たちは非常に困ったなどの話もあります。。
偽情報を流す
治安が悪くなると、韓綜は部下が強盗をしている事について、詔があり問責を受けたと嘘の情報を流しました。
韓綜は自分の部下は全て裁判に掛けられ裁かれると述べ、さらに自分も罪に落ちると告げました。
部下達は皆が韓綜の言葉を信じ「呉を去る以外に助かる道はない」という様になります。
韓綜は遂に部下を纏め上げて、魏に亡命する為の策略を練る事になります。
魏に逃亡
韓綜は父親の葬儀を行うと述べ、女性を含めた親類などを全て集めました。
韓綜は一族の女性を配下の武将や軍吏などに妻として与え、自分が寵愛していた妾でさえ、側近たちに与えています。
一族や側近、武将、軍吏達を韓綜は纏め上げると、牛を殺し酒を飲み地をすすり合い盟約を結びました。
韓綜は上手く部下の心を一つにしたと言えるでしょう。
韓綜は韓当の棺を車に乗せると、一族や部下と共に男女数千人を引き連れて魏に逃亡しました。
韓綜のやり方は緻密であり、孫権も韓綜の暴挙に気付くことなく、逃げられてしまったのでしょう。
魏の曹叡は韓綜を将軍に任じ広陽候として重用しました。
魏への亡命檄を見ると韓綜は非常にうまくやった様に感じています。
ただし、韓綜は知恵者という感じはせず、小賢しさを持った人物にも見えます。
韓綜の最後
魏の将軍となった韓綜ですが、呉の辺境に何度も侵攻し、孫権は歯がゆい思いをしました。
孫権は韓綜の罪を問わなかったのに、勝手に亡命してしまい「やりきれない」気持ちもあったのでしょう。
孫権の死後に孫亮が後継者となり、諸葛恪が政治を行う事になります。
魏と呉の間で東興の戦いが勃発し、この時に韓綜が魏軍の先鋒となりました。
しかし、東興の戦いでは呉の丁奉の活躍もあり、魏はいい所もなく敗れ去る事になります。
韓綜は東興の戦いで敗れ命を落としました。
呉軍の総大将であった諸葛恪は韓綜の首を斬り都に贈り、孫権の廟に報告したとあります。
韓綜は呉では憎まれていた存在だと考えられ、多くの者が胸をなでおろした事でしょう。