
| 名前 | 臨屯郡(りんとんぐん) |
| 所属 | 前漢 |
| 設置ー廃止 | 前108年ー前83年 |
| コメント | 設置後26年で廃止された。 |
臨屯郡は前漢が朝鮮半島に設置した直轄地の郡の一つです。
楽浪郡、真番郡、玄菟郡と共に楽浪四郡(漢四郡)と呼ばれたりもしています。
楽浪四郡の中で楽浪郡は長く残りましたが、臨屯郡と真番郡は早い時期に消滅しました。
臨屯郡は朝鮮半島の東部にあり、現地民族の反乱や辰韓との争いもあり、維持出来なかったのでしょう。
前漢の昭帝の時代である紀元前82年に、臨屯郡は廃止され、県の一部は玄菟郡に再編されますが、後に臨屯郡の故地は楽浪郡に組み込まれました。
今回は26年で幕を下ろした臨屯郡を解説します。
臨屯郡の設置
臨屯郡は楽浪四郡の一つであり、衛氏朝鮮を滅ぼした紀元前108年に設置されました。
朝鮮半島の東部に設置されたのが、臨屯郡であり北には玄菟郡、東には楽浪郡、南西には真番郡があります。
設置当初の臨屯郡は15県だったと伝わっています。
臨屯郡の名前の由来は元々は衛氏朝鮮に服属する臨屯国があったと考えられており、その地名から臨屯郡としたのでしょう。
臨屯郡の廃止
臨屯郡が設置されてから、26年が経過された頃に楽浪四郡の再編が行われました。
後漢書の濊伝に前漢の昭帝の始元5年(前82年)に、臨屯・真番を廃止し、楽浪・玄菟に併せたと記録されています。
この記述から臨屯郡は真番郡と共に、廃止された事が分かるはずです。
真番郡と同様に臨屯郡も設置後26年で終りを迎えたと言えるでしょう。
臨屯郡が廃止された理由は記録されていませんが、臨屯郡と真番郡は楽浪郡を守るかの様に設置されており、韓族の馬韓や辰韓の抵抗もあり、守り切るのが困難であった為だと考えらえています。
臨屯郡は前漢の首都の長安は西方にあり、東方の端ともいえる臨屯郡を守り切るのは不可能だったのでしょう。
前漢王朝にしてみても、維持するのに膨大なコストが掛かる臨屯郡が廃止を決断する理由にもなったはずです。
古代中国においては、国の拡張は朝鮮半島北部までが限界だったとみる事も出来ます。
楽浪郡の隣にある遼東郡あたりが拡張の限界とみた方がよいのかも知れません。
臨屯郡の故地はどうなったのか
真番郡の故地はどの様になったのかは不明ですが、臨屯郡の故地は一部を楽浪郡や玄菟郡に配属させた事が分かっています。
臨屯郡の支配地域だった太白山脈(単単大嶺)よりも東の地域は、北の玄菟郡に配属されました。
しかし、玄菟郡も苦しい立場となり、後に高句麗県の近くに本拠地を遷しています。
こうした中で旧臨屯郡の故地は楽浪郡に配属されました。
楽浪郡の統治範囲は広がり、大楽浪郡の時代となります。
しかし、楽浪郡になっても旧臨屯郡の統治は難しく、過去に臨屯郡に属していた不而県が東部都尉治にされています。
昭明県は南部都尉治としました。
臨屯郡は復活する事無く、消滅したと言えるでしょう。