呂氏春秋は呂不韋が命令して作らせた百科事典的な書物になります。
呂不韋が生きている時代に完成していますので、司馬遷が書いた史記よりも前の書物となります。
さらに、呂氏春秋には史記にも載っていない話もあるのが特徴です。
1年を12カ月に分けて春夏秋冬に分けてあります。
これを時令と呼び現代でも使われているわけです。
今回は呂氏春秋についてのお話しです。
尚、呂不韋は「奇貨居くべし」とあるように商才が優れているだけに思う人もいますが、当代一流の文化人でもあるわけです。
因みに、呂氏春秋は諸子百家の中では、雑家に分類されます。
呂不韋も食客を3000人集める
呂不韋は丞相となり10万戸を授けられて権力を握ると、戦国四君である孟嘗君、平原君、信陵君、春申君にならったのか食客を3000人集めたとされています。
孟嘗君などは3000人の食客がいても、泥棒もいたり物まね名人がいたり玉石混交状態でした。
しかし、呂不韋の場合は質にかなり拘ったようで食客たちも一流の文化人だったり学者だったりと、クオリティが非常に高かったようです。
これらの食客たちと作り上げたのが呂氏春秋であり市場で1字でも添削することが出来れば1000金を与えると宣伝しました。
呂不韋は余程、自信があったのでしょう。
尚、呂氏春秋は初の百科事典ともいえる様な内容です。
呂氏春秋は徳についてのお話しも多い
私も呂氏春秋を読んでみましたが、様々な事が書かれています。
夏・殷・周の王様がどのように考えて政治を行ったなども多く書かれているわけです。
周の文王が病に掛かった時に、災いを払うために臣下は宮殿の増設を提案しましたが、周の文王は許しませんでした。
代わりに、生活を質素にして徳を積む事に努めた話もあります。
これを繰り返したところ周の文王は病が全開したとあります。
他にも、甯越(ねいえつ)という人物はたゆまぬ努力を行った事で30年で成し遂げる事を15年で出来たなどの努力する事を大事だとする話も掲載されていました。
現代人がみても役立つ感じの自己啓発系のネタもかなりあります。
天下は一人の天下に非ず
呂氏春秋は百科事典のような内容なので、様々な事が書かれているわけです。
歴史作家の宮城谷昌光さんは戦国名臣列伝の呂不韋の部分で「天下は一人の天下に非ず」という言葉に注目しています。
キングダムの呂不韋は武力による統一ではなく貨幣による秦中心の国家を理想としていました。
しかし、呂氏春秋の天下は一人の天下に非ずという言葉を解釈すれば、民主主義を提唱しているというわけです。
秦王政は史実では、自分に権力が集中するように、中央集権化を進める政策をしています。
ここが呂不韋と始皇帝が相いれない部分となるでしょう。
ちなみに、始皇帝は自分一人の独裁国家にしようとした為に、統一後わずか15年で滅んだとも考えられるわけです。
史実だと秦には王翦、王賁、蒙恬、李信などの名将もいましたし、政治を行う大臣も昌平君、昌文君、李斯などがいたわけですが、秦王政に諫言する臣下はいなかったようです。
ここが秦が短命国家に終わった原因だとされています。
呂不韋が秦の相国を務めた状態で、秦が天下統一を成し遂げていたら、趙高の暴政や扶蘇の廃位と胡亥の擁立なども無かったのかも知れません。
陳勝呉広の乱などが発生しても、章邯や王離らは秦の中央政府と協力し、もっと楽に戦えた可能性もあります。
トップに権限が集中しやすい体質だった為に、秦は滅んだ可能性もあるでしょう。
呂氏春秋と言う本は考えさせられる部分も多いですので、読んでみる価値はあるでしょう。
日本でも訳した本が何冊か出ていますので、興味があれば読んでみてください。
ちなみに、街の図書館などでも置いてある事も多いです。
勇気の行きつくところ?
呂氏春秋は奇妙な普通ではありえない様な話も掲載されています。
斉の国の東と西に勇者気取りの男がいたそうです。
東と西の勇者気取りの男が道であってしまいました。
この二人は一杯飲む事になったのですが、「肉が食べたい」と言い出します。
そして、醤油だけを用意して、お互いの肉を刻みあい食べたと言うのです。
もちろん、交互に食べ合い結局は二人とも死んでしまったそうです。
呂氏春秋では「このような勇気ならない方がマシだ」と述べています。
こういう滑稽な話が載せられているのも呂氏春秋の特徴です。
盗賊に助けられた男
呂氏春秋にあるこれは正しいのか?と考えてしまうような話も紹介しておきます。
ある所に潔癖な男がいて旅に出たそうです。
この潔癖な男は道で飢えてしまいました。
たまたま通りかかった盗賊が潔癖な男に食べ物を与えて飢えから回復しました。
潔癖な男が名を聞いた時に、盗賊だと言うと、潔癖な男は悪事に手を染めた男から食べ物の援助をもらうわけには行かない。
そう言うと食べたものを全て吐き出してしまいます。
その結果、潔癖な男は飢えて死んでしまいました。
盗賊の食べ物を受け取る事は正義なのか?という事を考えさせられる内容です。
私なら「もしかして盗賊は改心したに違いない」と勝手に判断して食料を貰ってしまう可能性もあります。
しかし、道徳の授業でも使えそうな内容も含まれているのが呂氏春秋です。
日本では、孫子や史記などに比べると知名度は落ちますが、考えさせられる内容も多いです。
呂不韋の思考は呂氏春秋を通じて、未だに輝き続けていると言えるでしょう。