焚書坑儒といえば学校の世界史の授業でも出てきますし、テストにも出る様な問題です。
そのため多くの人が知っていると思います。
秦王政(嬴政)は統一後に、始皇帝を名乗り様々な改革や土木工事を行う事になります。
土木工事としては、首都の咸陽に阿房宮の建設、北方の匈奴に対抗する為の万里の長城の建設、オルドス地方への直道の建設、南越への運河の開通があります。
他にも、小篆による文字の統一、度量衡における単位の統一があり、思想の統一が焚書坑儒となります。
焚書坑儒は一般的には、始皇帝のやりすぎ政策の一つだと考えられる事が多いです。
焚書坑儒は、焚書と坑儒に分かれていて、焚書は実用書以外の諸子百家の書を燃やすなどの言論統制です。
坑儒は儒者を生き埋めにしてしまった事件となります。
キングダムでも焚書坑儒が取り上げられるかは分かりませんが、予想もしてみました。
尚、秦国で行われたとされる、焚書坑儒が本当に悪なのか?なども考察しています。
焚書坑儒に関しては、史実と考えられる司馬遷が書いた史記にも記述があります。
焚書坑儒の内容
焚書坑儒の内容をまとめると下記のようになります・
・秦国以外の他国の歴史の記録を焼却
・詩経・書経及び諸子百家の著書を所蔵する者は処刑
・詩経・書経を論じた者も処刑
・古の故事を持ち出し現世を批判する者は処刑
・上記の事実を知りながら摘発しなかった官吏は処刑
・焚書の命令が出た後に、30日以内に書物を焼却しない者は入れ墨を入れて労役に科す
・医学・農学・卜筮(ぼくぜい)などの実用書に関しては、燃やす必要はない
・法令について学びたい者は官吏を師とすること
これが焚書坑儒の主な内容です。
内容を見ると分かると思いますが、思想弾圧となります。
これらの政策が本当に実行された事を思えば、今の日本は平和だなと思わずにはいられません。
尚、焚書に関しては厳しい事が書かれていますが、民間の人で書を捨てずに壁の中に隠すなどした人もかなりいたようです。
実際に、焚書坑儒があったにも関わらず、秦の統一以前の書物も現存しています。
ただし、歴史好きからみれば多くの書物がここで消えてしまったのは残念に感じます。
尚、坑儒につきましては、儒者だけではなく、方士(占いなどに通じた人)460名を捕らえて生き埋めにした事件を指します。
坑儒のきっかけとなったのは始皇帝に真人になれる方法を説いた盧生が侯生と共に、始皇帝を誹謗し逃亡した事件です。
方士らは始皇帝に不老不死の秘薬が作れると述べたのに、一向に出来ず批判も集まる存在でした。
こうした中で、方士の代表格である盧生らが逃亡し、始皇帝は役に立たない方士たちの粛清に動いたわけです。
因みに、焚書坑儒と言っても「儒者」ではなく処分されたのは大半が「方士」だったとも伝わっています。
ただし、二世皇帝胡亥と叔孫通という儒者が会話した話が残っています。
そのため、生き埋めにされたのは一部の儒者と方士だったのでしょう。
余談ですが、李斯の師である荀子は「李斯が宰相になったらこの世の終わりだ」と自殺したという話が残っています。
そのため、荀子自身が焚書坑儒で生き埋めにされてしまう事も考えたのかも知れません。
しかし、荀子自身も李斯が丞相になっただけで自殺してしまったら極端ですし困った人にも感じますが・・・。
尚、二世皇帝胡亥の時代に暴政を働く趙高は、胡亥に法律を教えていた話があります。
趙高は法家側の人間であり、趙高も焚書坑儒に関わっていた可能性もあるでしょう。
焚書坑儒で法治主義が加速される
焚書坑儒は李斯の進言により行われたとされています。
近年の研究では始皇帝の下には3つのグループがいてバランスが取れていたのではないかと言われています。
・儒者と呼ばれている古来からの帝王学を述べるグループ
・方士などの占い・錬金術・不老不死などを述べるグループ
・李斯を筆頭とする法律で国を治める事を述べるグループ
儒者というのは、西周王朝時代の周公旦(周の武王の弟)を理想とする事が多く、孔子の弟子など中国では広く広まっていた思想です。
徳で国を治める事を目標にしているような人たちです。
ただし、徳で治めると言っても掴みどころが無いような部分も多かったはずです。
そのため法治主義の李斯とは対立しやすかったのでしょう。
尚、後に新の王莽は西周王朝を理想とした徳治主義で大失敗を犯しています。
方士は、徐福に代表される不老不死について述べたり、錬金術だったり、今で考えればかなり怪しい集団です。
始皇帝は不老不死を望んでいましたが、全く成果を上げる事が出来ない方士たちにイライラしていたのでしょう。
というか、自分の感覚で言えば方士が成果を上げるのはかなり難しいと思うわけですが・・。
不老不死って難しいですよね・・・。
余談ですが、史記には不老不死のはずの男が病死するという滑稽な話も掲載されています
そういう事もあり始皇帝は思想統一の為に、李斯の進言を入れて焚書坑儒を行ったわけです。
これにより秦は、法律に厳しい酷吏のような人が重用される事になり、法治主義がさらに加速されていきます。
法律の数も多くなりますし、度を過ぎた適用事例も増えていくわけです。
焚書坑儒を行った事で始皇帝の部下の言論バランスは明らかに崩れた事でしょう。
尚、春秋戦国時代の晋の名臣である叔向が鄭の執政である子産に「滅んだ国には法律が多い」と述べています。
この事から、当時の中国には法律を増やすと国が亡びると言う考え方が根強くあったはずです。
法治主義の李斯にとってみれば、この考え方があると政策の実行がしにくいと考えたのもあるのかも知れません。
ちなみに、漢の高祖劉邦が武関を破り秦の都咸陽を陥落させた時は、【法は三章のみ】とし、【盗み・殺人・傷害を負わせるな】の3つだけにしてあるのは興味深いです。
秦人が法律の多さに悩んでいた事を考えての政策だったのでしょう。
扶蘇は焚書坑儒を諫言する
秦という国は、呂不韋が失脚すると秦王政(後の始皇帝)が決めた事に関して意見が言える人材は皆無と言ってよい状態でした。
始皇帝の軍略の師ともいえる王翦や北方の匈奴征伐で大成果を上げた蒙恬ですら意見が出来ない状態です。
独裁体制が強い始皇帝の政治にあって、始皇帝長男の扶蘇が「焚書坑儒」に反対する意見を出します。
これに対して、始皇帝は扶蘇を遠ざけようと思ったのか、北方の蒙恬のところに行かせています。
ただし、「蒙恬の元で勉強してこい」という意味合いも強うように思いますが・・・。
しかし、この決断が後に秦を崩壊させる遠因になっていると私は思っています。
尚、扶蘇は焚書坑儒に反対した事が天下に知られたのか、絶大なる扶蘇人気が起こります。
扶蘇が治める世の中に期待した人は多かったのでしょう。
実際に、扶蘇が始皇帝の後を継いだら法治主義を緩めるのではないかと感じています。
焚書坑儒は悪なのか?
焚書坑儒は悪だと考える人が多いです。
実際に、私も行われたとしたら、焚書坑儒反対派に回る事でしょう。
しかし、焚書坑儒を評価する人もいるわけです。
中国共産党の毛沢東などは、焚書坑儒を評価しているわけですし、文化大革命もある意味、焚書坑儒とも言えます。
韓非子の書物の中には書物の数を少なくする事も書かれています。
そのため全ての人に対して悪だとも言えないと思うわけです。
権力者にとってみれば自分の思想以外の事を排除できるので都合がよいと考えられるのかも知れません。
焚書坑儒は権力者からして見ると、「俺が民を啓蒙してやろう」という感じにも思えるわけです。
尚、焚書坑儒は民を愚かにする政策だとも言われています。
衆愚政治にならないような、哲人政治のさきがけのような政策でもあるのでしょう。
ただし、私は反対ですけすが・・。
キングダムの焚書坑儒について
キングダムで焚書坑儒が扱われるのかは分かりません。
しかし、李斯の言葉で気になる言葉がありました。
馬鹿な!刑罰とは手段であって法の正体ではない!
”法”とは願い!国家が国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!
この全中華の人間にどうあって欲しいのか どう生きて欲しいのか どこに向かって欲しいのか それをしっかりと思い描け!
この言葉から考えると、キングダムで焚書坑儒を描くとしたら、国民に臨む国家の在り方として焚書坑儒を行うのかも知れません。
国民に願うあり方として、必要のない書物を消すという考え方です。
キングダムでは、焚書坑儒は出てくるのかは、分かりませんが、歴史的な事実もあるので、何らかの見せ方で描いて欲しいなと思います。
ただし、下手に言論弾圧とかしてしまったら、李信などは反発しそうな気がしますが・・。
キングダムで焚書坑儒があるとしたら、嬴政は統一後に人が変わってしまったなどの設定が必要な様にも感じます。
やり過ぎはよくない
ここからは私の個人的な意見ですが、焚書坑儒というのはやり過ぎていると思います。
確かに世の中には、多くの書物がありますが、役に立たない本や時代にあっていない本も数多くあります。
実際に、本が1冊あったとしても役に立つ部分は7%とも言われています。
それに読書をたくさんしている人が成功しているのか?と言われるとそうでもない部分も多いわけです。
しかし、本を読むというのは、役に立つ知識が身に付く事でもありますし、役に立つ本もあるからです。
焚書坑儒は始皇帝のやり過ぎ政策の一つだと思っています。
それにしても、ここで大量の過去の資料が失われてしまったのは残念に感じます。
後世の事も考えてくれ!と叫びたくなるような政策でもあると思いました。
あと、言論統制された中国や北朝鮮の話しなどを聞くと「やっぱり日本っていい国だよな~」と思わずにはいられません。