名前 | 崔勇(さいゆう) |
登場 | 三国志演義 |
主君 | 郭汜 |
画像 | ©コーエーテクモゲームス |
崔勇は三国志演義の第十三回に登場する架空のキャラです。
当然ながら崔勇は、正史三国志には登場しません。
三国志演義の崔勇は郭汜配下の武将として登場し、徐晃と一騎打ちとなります。
しかし、三国志演義の設定では崔勇と徐晃では圧倒的に武芸の差に開きがあり、崔勇は一合で徐晃の大斧の餌食となりました。
徐晃は後に曹操に仕え歴戦の猛者として活躍するわけですが、犠牲者第一号が崔勇となります。
崔勇はここ以外では登場せず、徐晃と戦い敗れた事で物語からフェードアウトしました。
今回は三国志演義の架空の人物である崔勇を解説します。
郭汜の配下
董卓亡き後に長安で李傕と郭汜が争い首都の長安は荒廃しました。
こうした中で献帝は長安を脱出しますが、李傕や郭汜に急襲され苦境に陥ります。
この郭汜の軍には崔勇もおり、献帝への追撃を行っていたわけです。
楊奉も李傕らに敗れ終南山の麓に陣取っており、この楊奉の軍には崔勇の天敵とも呼べる徐晃がいました。
楊奉は献帝を守護しようと郭汜の軍の前に現れますが、郭汜配下の大将である崔勇が前に進み出る事になります。
崔勇は楊奉を裏切り者と罵りました。
崔勇に罵詈雑言を浴びせられた楊奉は腹を立てますが、自ら進んで一騎打ちをしようとはしませんでした。
このシーンを冷静に分析するなら、楊奉は武勇では崔勇に敵わないと考えた事になるのかも知れません。
それか、楊奉が崔勇との一騎打ちでまさかの事態になればと考えて、一騎打ちを避けたとみる事も出来るはずです。
徐晃との一騎打ち
崔勇との一騎打ちを選択しなかった楊奉は「公明は何処におるか」と述べました。
この公明こそが徐晃であり、三国志演義だと大斧をトレードマークとした武将になっています。
この時の徐晃の描写ですが、三国志演義では、次の様になっています。
※三国志演義より
一人の大将、大斧を手に栗毛の馬を躍らせ真っすぐに崔勇に打ちかかった。
徐晃は楊奉に呼ばれると躊躇なく前に出て、崔勇に襲い掛かったと言えるでしょう。
崔勇も徐晃の姿を見ると迎撃の体制を取り、応戦しました。
ここで崔勇と徐晃の一騎打ちとなりますが、次の記述が存在します。
二匹の馬が馳せちがい、ただの一合で崔勇は切り落とされた。
崔勇は一撃で徐晃にやられ最後を迎えました。
上記の記述から察するに崔勇と徐晃はすれ違いざまの一振りで勝負は決したと言えるでしょう。
楊奉は徐晃が崔勇を討った事を確認すると、郭汜軍に総攻撃を命じています。
崔勇が討たれ同様したのか郭汜の軍は大敗北を喫し、20里も後退しました。
郭汜の軍が総崩れになった事を考えれば崔勇が討たれた事は、かなりの衝撃だった事にもなるはずです。
献帝は崔勇を討ったのが徐晃だと知ると、労をねぎらいました。
楊奉は献帝を護衛し、華陰県まで行き段煨から衣服や食事などを献上し、献帝も一時の安らぎを得る事になります。
勿論、崔勇は徐晃に敗れたのを最後に物語から姿を消しました。