春秋戦国時代

吮疽之仁(せんそのじん)の逸話と語源

2022年9月2日

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なまえ吮疽之仁(せんそのじん)
時代戦国時代の呉起の逸話
勢力
意味部下を労い大事にする事

吮疽之仁は戦国時代の初期に魏の将軍であった呉起の逸話です。

呉起は衛では30人を斬り捨ているなどの狼藉を行っていますが、魏で将軍となるや兵士に対しては威張らず、思いやりを持ち接した話があります。

吮疽之仁は怪我をして苦しむ兵士を、将軍の呉起が自ら傷口から膿を出してやった逸話が語源となっています。

因みに、吮疽というのは悪性の出来物を口から吸いだす行為を指します。

呉起の行動は絶賛されるかと思いきや、兵士の母親は涙を流して悲しみました。

今回は吮疽之仁の逸話や語源となった話を紹介します。

因みに、吮疽之仁の話は、史記の孫子呉起列伝に記載されています。

孫子呉起列伝には呉起の他にも孫武孫臏という二人の孫子の話も収録されています。

尚、吮疽之仁の意味は「部下を労い大事にする事」を指します。

兵士を思いやる呉起

呉起は魏の文侯の信任を得て将軍となります。

呉起は将軍となっても最下級の兵士と同じ服装をし、寝る時も兵士と行動を共にし、自分の食料は自分で持つなど、徹底して最下層の兵士と同じ生活をしました。

呉起はサイコパスで気性が荒い部分も見受けられますが、兵士に対しては理想の上司と言うべき存在だったのでしょう。

ある時に、呉起の部下の兵士に腫物が出来て傷口が酷い状態になった事がありました。

呉起は兵士の所に行くと、自ら兵士の膿を口で吸い取り処置をしたわけです。

将軍が自ら兵士の膿を取る行為に、多くの者が感激した事でしょう。

しかし、兵士の母親は呉起の行動を喜ぶどころか、嘆き悲しむ事になります。

嘆き悲しむ母親

膿を吸い取ってくれた兵士の母親が嘆き悲しみ姿を見て、ある人が、次の様に問いました。

「其方の子は一兵卒に過ぎない。それなのに将軍(呉起)が自ら悪性の膿を吸ってくれたのだ。

嘆き悲しむ事はなかろう。」

兵士は母親が嘆き悲しむのを不思議がり、聞いてみたのでしょう。

母親に訪ねた兵士にとってみれば、将軍が兵卒に過ぎない者に目を掛けてやるのは、喜ぶべき行為だと考えたわけです。

不思議がる兵士に対し、母親は次の様に答えました。

母親「ただ悲しんでいるわけではありません。

以前に呉公起(呉起)が、あの子の父親の悪性を膿を吸ってくれた事があったのです。

呉公の行為に感激した父親は、敵に後ろを見せずに奮戦し、遂には討死してしまいました。

呉公は今度は子の膿をお吸いになっています。

あの子が父親と同じように戦死してしまうかと思えば、嘆かずにはいられないのです」

兵士の母親は父親も呉起の行為に感動し、戦場で奮戦し遂には亡くなってしまった事で涙が出たというわけです。

この逸話が吮疽之仁の語源となっています。

戦場では勇敢な兵士程に早く亡くなる話もあり、母親は嘆かずにはいられなかったのでしょう。

吮疽之仁で思う事

吮疽之仁を見るに、兵士に対し愛情を持ち接するのが呉起の統率方法だと言う事が分かります。

呉起は魏の武侯が即位し宰相が置かれた時に、田文と問答を行った事があり、その時に「士卒を喜んで死地に向かわせた」とする言葉があり、呉起の統率法はかなり優れていた事が分かります。

呉起自身も自らの統率法に自信を持っていたのでしょう。

史記を書いた司馬遷は本文では悪く書きながらも、最後の「太史公曰く」の部分では褒めるなど、物事を二面性を非常によく捉えていると見る事が出来ます。

それを考えると、司馬遷の物事を二つの方向から見る性質が、吮疽之仁の逸話を孫子呉起列伝に掲載するに至ったのでしょう。

この記事を書いた人

構成・文/宮下悠史

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