司馬尚を紹介したいと思います。
キングダムでは、趙の三大天に就任を打診したにも関わらず「青歌(地名)」に拘り続けて中央への参加を拒否し続けている設定になっています。
李牧も実力を認めていますし、燕のオルドが趙に攻め込んだ時(悼襄王9年)には、2万の兵に対して5千の兵で対応しているのです。
そして、オルドを退けています。
尚、司馬尚は史実の人物なのか気になる人も多い事でしょう。
結論から言えば、司馬尚は史実の人物です。
司馬尚の史実を語ると呆気ないほど簡単に終わる
司馬尚の史実の実績ですが、呆気ないほど簡単に説明が終ってしまいます。
司馬遷の書いた史記によると、趙の幽穆王の末期に秦は王翦、羌瘣、楊端和の3将が趙の都・邯鄲を攻めています。
それに対して、趙は李牧と司馬尚に任命して反撃させています。
しかし、秦に買収された郭開が幽穆王に李牧と司馬尚を讒訴しました。
その結果、幽穆王に疑われた李牧は自殺させられ、司馬尚は将軍の職務を剥奪されて庶民の落とされたとあります。
この後の司馬尚の動向は史書に書いてないので一切分かりません。
司馬尚の史実を見ると、李牧とタッグを組んで趙と秦の最終決戦で、最初に将軍を任せられていた事以外は一切分からない存在です。
オルドの侵攻から趙を守ったのは?
キングダムだと、秦軍が鄴(ぎょう)攻めを行った時に、趙の隙を突いて燕将オルドが攻め込んだ事になっています。
オルドは趙の城をいくつか落としたわけですが、青歌に向かい始めます。
この時に「虎の尾を踏んだ」という表現もあり、青歌城主である司馬尚が城から打って出ています。
オルドは司馬尚の強さに「面白い」と興奮気味になりますが、同時に急報が入り、燕の貍と陽城が陥落したとの情報が入ってきます。
陥落させたのは趙の趙伯です。
そして、オルドは燕に引き上げる決定を下し、司馬尚も追撃戦を行わないようにして青歌に戻っています。
司馬尚は5千の兵力で2万の敵にぶつかるなど勇将ぶりを見せていますが、実際にはこの戦いは架空の戦いではないかと思っています。
史実を見ると燕軍が趙を攻めた形跡はありませんし、逆に趙が燕を攻めて貍と陽城を取った事になっているのです。
ちなみに、韓非子を見ると貍と陽城を攻めた将軍が龐煖(ほうけん)となっています。
さらに、龐煖は秦軍から鄴を守ろうとするが間に合わなかった話があります。
龐煖の救援が遅れた事で、桓騎、王翦、楊端和らにより鄴は陥落し、趙の国土は一気に半分になったとも言われています。
司馬尚の史実の実績は恐ろしいほど少ない
司馬尚ですが、史実の実績に関しては恐ろしいほど資料が少ない状態です。
戦いに勝った記録すらないわけです。
しかし、趙と秦の最終決戦である邯鄲の戦いで、李牧と共に司令官を任される辺りは、かなりの実績があったのかも知れません。
残念ながら記録に残らなかっただけの可能性もあります。
尚、幽穆王が李牧と一緒に司馬尚を解任した事を思えば、幽穆王の側近だから重用されたなどの事もない様に思います。
そのため、私個人の見解としては、能力は高かったのではないかと考えています。
李牧は桓騎を破ったり、何度も秦軍を破るわけですが、そこで大活躍した可能性もあるでしょう。
それほどの実績が無ければ、史実でも李牧と並んで将軍に任命される事は無かったのではないかと思います。
司馬尚の子孫
司馬尚の子孫は楚漢戦争や三国志にも登場します。
楚漢戦争で項羽により殷王に封じられた司馬卬は、司馬尚の子孫だと言われています。
司馬卬は項羽に反旗を翻し劉邦に味方しますが、項羽が派遣した陳平に敗れています。
再び司馬卬は項羽に味方しますが、司馬卬は劉邦軍と戦うと呆気なく降伏し、項羽は責任は司馬卬を降伏させた陳平にあると言い、陳平は漢の劉邦の許に逃亡する事になります。
張良と並ぶ劉邦軍の二大軍師となる陳平が漢に走る原因を作ったのが、司馬尚の子孫の司馬卬だとも言えます。
三国志で有名な司馬懿も司馬尚の子孫だと言われています。
蜀の諸葛亮孔明のライバルである司馬懿仲達が司馬尚の子孫だと伝わっているのです。
三国志が好きな方は分かっていると思いますが、司馬懿の時代に魏を乗っ取る事に成功し、司馬懿の息子である司馬師、司馬昭の時代に司馬一族の権威を不動のものとします。
司馬懿の孫の司馬炎は三国志の世界を終わらせ天下統一する事になります。
それを考えると司馬尚の子孫は皇帝にもなっている事になります。
秦の李信の子孫が唐の皇帝になった話もありますが、李信と唐の皇室は系図が疑問視されていて、司馬尚と司馬懿の系図の方が信憑性は高い様に感じました。
尚、司馬尚と一緒に戦った李牧の子孫は楚漢戦争で韓信に進言した李左車となります。
キングダムでも個人的な予想
司馬尚のキングダムの予想ですが、鄴攻めでは出番は燕の将軍であるオルドを退けただけで終わりでしょう。
その後に、桓騎が扈輒(こちょう)を破り10万の首を斬り大戦果を挙げますが、ここでも登場は少しだけだと思われます。
史実ですと、平陽の戦いで扈輒を破った桓騎ですが、李牧との戦いになると呆気なく敗れています。
その後のパターンは史書により違いがあり戦死するか、燕国に逃亡するはずです。
歴史書の中でも、桓騎の最後は項燕と同じようにはっきりとしません。
しかし、この戦いで司馬尚も大活躍するのではないかと思います。
ただし、司馬尚が秦軍と戦うための条件としては、「青歌」になんらかの危害を加えなければいけません。
それを桓騎がやってしまうのではないでしょうか?
結果として、司馬尚の怒りを買い李牧戦で敗れる一因になるような気もします。
ただし、黒洋戦で既に李牧は桓騎の弱点を掴んでいるようなので、李牧が単体で勝利を収める可能性もあるでしょう。
桓騎の弱点に司馬尚が関わっているとしたら展開的に面白いかも知れません
尚、龐煖は残念ながら鄴攻めの最後で李信に討ち取られてしまいましたが、これで三大天は李牧一人になってしまいました。
それを考えれば司馬尚の三大天もほぼ確実だと感じます。
今から三大天を3人揃えるとなると、傅抵では役不足に感じますし、三大天の最後の一席は戦国策に登場する司空馬しかいないと感じています。
ただし、司空馬は史記には登場しない人物なので採用されるのかは分かりません。
自分の中でも1回くらいは、三大天全員集合を見てみたいなとは感じています。
初期の三大天である廉頗・藺相如・趙奢にも引けは取らない様な三大天を描いてくれればと思います。
あと、司馬懿のようにボケ老人の振りとかする策略が司馬尚にもあるかも知れません・・。
司馬懿が曹爽を騙した時の様な絶妙な演技を見せてくれる可能性もあります・・・。
その辺りもキングダムの作者である原泰久さんんがどのように描くのか楽しみです。
尚、司馬尚が「待て慌てるな、これは王翦の罠だ」とか三国志の司馬懿の言葉を発したら笑ってしまうかも知れません・・・。