名前 | 辰王(しんおう) |
場所 | 朝鮮半島 |
登場 | 正史三国志など |
辰王は馬韓にある月支国を本拠地とし、三韓を統治していたかの様な記述があります。
しかし、正史三国志の魏志韓伝を呼ぶと記述が曖昧であり、非常に分かり難い存在でもあります。
魏志韓伝の辰王は馬韓の者がなった様な記述もあれば、古の辰国とされる辰韓とも深い関係にあった様な記述もあります。
別説としては、三韓の王として君臨していたのが、辰王だとも考えられている状態です。
辰王は中華の王朝や諸侯が三韓を掌握する為に、辰王を設置したとも考えられています。
今回は謎多き辰国の王である辰王の解説をします。
辰王とは何者なのか
魏志韓伝では最初に韓族には三つの種族があり、馬韓、辰韓、弁韓があると記載されています。
その後に、次の一文があります。
※魏志韓伝より
辰韓というのは、古の辰韓の事である。
上記の書き方から辰韓は元は辰国であり、ニュアンス的には韓を統治する国だった様にも見受けられます。
当然ながら、辰国には辰王がいたという事になるのでしょう。
次に魏志韓伝では馬韓54国の名前を列挙するなどの記述があり、続いて次の様に書かれています。
辰王の宮廷は月支国にある。
この記述から、辰王が月支国を本拠地としている事が分かるはずです。
月支国は馬韓五十四ヵ国のうちの一つに数えられています。
辰王に関しては、弁韓や辰韓の紹介部分にも記載があり、弁韓と辰韓の二十四ヵ国を紹介した後に、次の記述があります。
そのうちの十二ヵ国は辰王に属している。
辰王の位は馬韓の者が就任する様になってから、代々継続されてきた。
辰王の位は馬韓のものが即く事になっており、辰韓の者は自ら王位に即く事は出来ない。
魏志韓伝の弁韓や辰韓の内容を見ると、辰王は馬韓の者が即いていた事が分かるはずです。
それでいて、ここでも辰王と辰韓には繋がりがある様な事を匂わせています。
魏略には辰韓の者が秦からの亡命者だという事を理由に挙げて、辰王につく事が出来ないとあります。
辰王は馬韓の者だった記述がありながらも、流浪の民とも考えられている辰韓とも深い関係がある様な記述をしているわけです。
正史三国志の魏志韓伝の記述を見る限り辰王の存在に関しては矛盾点もあり、難解な記述となっています。
三韓を統治する者
一つの説として、辰王は韓族を掌握する為に、最初は遼東公孫氏が派遣した者だったとする説があります。
遼東公孫氏は公孫度が遼東で独立の構えを見せてから、公孫康、公孫恭、公孫淵と四代に渡って続いてきました。
この説だと辰王がいる月支国の場所が牙山湾の一帯や天安付近だと考えられており、韓族の北に位置する場所だったとも言えます。
辰王は韓の臣智を従わせ統治し、対外的な交渉や利害関係を調整し纏めていたとも考えられています。
遼東公孫氏は公孫淵の時代である238年に、魏の司馬懿の攻撃を受けて滅亡しました。
これより先は辰王は魏の勢力下にあったとも考えられています。
しかし、247年に帯方郡との戦争により辰王の存在も消えた事になっているわけです。
呉林の辰韓を八分割する案に反対したのか韓族の臣智が反乱を起こし、帯方郡太守の弓遵が戦死しており、韓族を統治する難しさも感じました。
尚、247年頃に卑弥呼も亡くなったと考えられており、辰王と卑弥呼は同時代を生きたという事も考えられます。