
| 名前 | グングヌム |
| 生没年 | 生年不明ー紀元前1906年 |
| 在位 | 紀元前1932年ー紀元前1906年 |
| 時代 | イシン・ラルサ時代 |
| 国 | ラルサ |
| コメント | イシン第一王朝から独立した。 |
グングヌムはイシン・ラルサ時代に活躍したラルサの王です。
グングヌムの名は西セム語系ではありますが、名前の意味はよく分かっていません。
ラルサ王名表では五代目の君主となっていますが、イシン第一王朝から完全に独立し初のラルサ王を名乗っており、実質的な初代ラルサ王ともされています。
グングヌムの時代にラルサは多くの諸都市の支持を得て勢力を拡大しました。
シュメールの重要都市でもあるウルも支配下に加えています。
グングヌムはイシン第一王朝を相手に圧倒的に有利な立場を作り出しますが、滅ぼすまでには至らず世を去りました。
グングヌムによる独立
グングヌムのラルサは求心力を集め勢力を拡大していましたが、反対にイシン第一王朝のリピトイシュタルは苦しい立場でした。
こうした中で、リピトイシュタル王に対し、グングヌムによる決定的な破滅の引き金が引かれます。
南部の有力諸侯であったラルサの5代目君主「グングヌム」による、イシン第一王朝からの完全な独立宣言です。
グングヌムは「イシンが『蛮族エラム』と婚姻を結んだことはメソポタミアの伝統に対する背信行為である」とする声明を独立の大義名分としたのではないかとも考えられています。
ラルサはエラムにも軍事遠征も行いました。
グングヌムは独立を宣言すると同時に、軍事行動によってイシン第一王朝の最大の経済インフラであった「聖地ウル」を制圧し、支配権を完全に強奪したのです。
当時のウルは、ペルシア湾から押し寄せる「ディルムン貿易」の富を一手に引き受けていました。
グングヌムがこのウルの交易権を力づくで掌握したことにより、周辺の諸都市は「イシンに従っていても経済的に干からびるだけだ」と、次々とラルサへの支持へと鞍替えしていったと考えられています。
このことは、イシン第一王朝によるメソポタミア南部の第一次覇権根底から覆す、歴史的な大転換点となりました。
当時、ウルの神殿で最高女祭司を務めていたのは、敵国であるイシン第一王朝の王家出身の女性でした。
しかし彼女はウルの陥落後、新覇者であるグングヌム王の「長命と繁栄を願う祈祷」を公式に行っています。
これは、敵国イシンの王家の血を引く人物が、公の場でグングヌムを祝福したという事実こそが、「ウルの神々はイシンを見捨て、ラルサのグングヌムを真の正当なる支配者として受け入れた」ということを示す、非常に強力なプロパガンダでした。
ラルサ王朝の覇権形成
名実ともにウルの支配者となったグングヌムは、自身の碑文の中で、それまでのラルサの指導者が決して口にできなかった最大級の君主号を大々的に宣伝します。
それが「ラルサの王、シュメールとアッカドの王、サミウムの後継者」です。
ラルサ王朝の歴史において、公式に「王」を自称したのは、グングヌムが最初でした。
先代までのラルサの支配者たちが、実力を蓄えながらもイシンを刺激しないよう「アムル人の頭領」という謙虚な肩書きに留めていたのに対し、このグングヌムによる「シュメール・アッカドの王」の自称は、イシン第一王朝に対する事実上の王権奪取の宣戦布告に他なりませんでした。
ただし、これほどの大躍進を遂げたラルサ王朝も、政治的基盤は未だ脆弱であったとする指摘があります。
そこでグングヌム王は、イシン第一王朝が用いたのと同様に、自らも「ウル第三王朝の正当な後継国」とすることで、支配の正統性を補強したのです。
その上で、グングヌム王は単なる軍事占領にとどまらない、圧倒的な経済戦略を仕掛けます。
彼は宿敵エラムへの軍事侵攻を成功させて国境の脅威を排除し、領土を劇的に拡大すると同時に、ペルシア湾から押し寄せる海上の富「ディルムンとの貿易ルート(交易権)」を完全にその手中に収めたのです。
ディルムン貿易がもたらす膨大な銅や財宝の利権をラルサが独占したことにより、イシン第一王朝の求心力は完全に断たれ、リピトイシュタル王による反撃の勝ち目は残されていませんでした。
グングヌムの最後
グングヌムのラルサはメソポタミア南部の大半の都市を支配下としました。
こうした中でイシン第一王朝ではリピトイシュタルが命を落とし、ウルニヌルタが後継者となります。
グングヌムはイシン第一王朝からニップルを奪いました。
しかし、ここでグングヌムの寿命が尽きてしまい最後を迎えています。
グングヌムが亡くなるとアビサレが後継者となりました。
アビサレの時代になってもラルサはイシン第一王朝を相手に圧倒的に有利な立場となりますが、攻めきれずにイシン・ラルサ時代は続く事になります。
| 先代:サミウム | グングヌム | 次代:アビサレ |