名前 | 方悦(ほうえつ) |
登場 | 三国志演義 |
主君 | 王匡 |
コメント | 三国志演義の架空の人物 |
画像 | 亶夏王朝 |
方悦は三国志演義に登場する架空の人物です。
方悦は王匡配下の武将として、三国志演義の第五回に登場します。
三国志演義の第五回は汜水関の戦いと虎牢関の戦いが入っており、個人的には人気のある回だと感じています。
関羽が汜水関で華雄を討ち、袁紹や曹操の連合軍が虎牢関に駒を進め、董卓は呂布に虎牢関で迎撃させたわけです。
三国志演義では呂布は無敵に武勇を誇った武将として登場しますが、虎牢関の戦いで最初の犠牲者となったのが方悦となります。
方悦は勢いよく出て行きましたが、呆気なく敗れました。
今回は三国志演義のチョイ役ではありますが、王匡配下の方悦の解説をします。
王匡の軍に入る
汜水関の戦いでは華雄が暴れ回り孫堅配下の祖茂や潘鳳、兪渉らを討ち取りますが、関羽が出て来ると呆気なく討ち取られました。
董卓は汜水関を李傕と郭汜に任せ、自らは呂布、李儒、樊稠、張済らと共に虎牢関に向かいました。
袁紹は王匡、鮑信、公孫瓚、孔融、陶謙らの諸侯と共に虎牢関を目指す事となり、この時に王匡の軍には方悦がいたわけです。
この時に、王匡の軍が最も早く虎牢関に到着しました。
呂布は鉄騎三千で待ち構えており、王匡の軍勢と戦う事となります。
この時の呂布の輝かしいばかりの描写が描かれており、赤兎馬にのり「人中の呂布、馬中の赤兎」の言葉まで添えられています。
呂布を見つけた王匡は「誰が戦うのか」と後ろを振り返ると、方悦が名乗りを上げました。
呂布との一騎打ちで敗れる
王匡の前に出た方悦ですが、「馬を走らせ槍を構え進み出た」とあり、王匡軍の中でも特に武勇に優れし者という設定だったのでしょう。
三国志演義にも河内の名将方悦とも書かれており、名のある武将となっています。
方悦と呂布の馬上での一騎打ちとなりますが、。五合もしないうちに、方悦は呂布の矛により馬から突き落される事となります。
方悦は武芸では呂布の相手に全くならず、子ども扱いされ敗れたとも言えるでしょう。
この後に、方悦は登場せず、ここで戦死と考えるのが妥当です。
呂布は方悦を討ち取ると王匡の軍に突撃を掛け、王匡は上手く対処する事が出来ず大敗を喫しました。
見方によれば王匡軍の武の柱である方悦が討たれた事で、軍の士気が多いに低下し大敗に繋がったとも言えます。
王匡軍は敗走しますが、幸運にも橋瑁や袁遺が到着した事で呂布は追撃を止めました。
呂布はこの後に張楊配下の穆順や孔融配下の武安国を討ち取るなど、大いに活躍しますが、劉備、関羽、張飛の三人がかりでの一騎打ちでは引き分けました。
呂布は三国志演義では無敵とも言える武勇を誇りますが、呂布の強さを強調する為に創作されたのが方悦であり、虎牢関の戦いでは真っ先に討ち取られています。