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兪渉は三合以内に討ち取られた

2023年4月4日

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宮下悠史

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名前兪渉(ゆしょう)
登場三国志演義
主君袁術
コメント三国志演義の架空の人物
画像©コーエーテクモゲームス

兪渉は三国志演義に登場する架空の人物です。

兪渉は袁術配下として華雄に挑みますが、三合のせぬうちに討ち取られています。

兪渉は華雄との戦いの描写もなく、討ち取られており、扱いはかなり雑だと言えるでしょう。

尚、三国志の世界において兪姓は非常に珍しいと感じました。

正史三国志を見る限り兪姓の人物は、兪賛がいる位です。

兪賛は西陵の戦いで陸抗の配下として出陣しますが、楊肇との戦いの最中に朱琬と共に寝返ってしまいました。

兪渉と兪賛には共通点が見られず、羅貫中が何をもって兪渉という名前を考えだしたのかはイマイチ不明です。

兪渉は架空の人物であり、今回は三国志演義をベースに兪渉が、どの様な人物だったのか解説します。

兪渉が名乗りを上げる

袁紹曹操が反董卓連合を結成し攻めあがると、董卓華雄を総大将に任命し、李粛、胡軫趙岑らと共に汜水関に向かわせました。

汜水関の戦いでは華雄は鮑忠を討ち取り、袁術孫堅に援軍を送らなかった事で、孫堅軍も敗れ祖茂が犠牲となります。

華雄は孫堅の赤頭巾をつけて、反董卓連合の諸将を挑発しました。

袁紹は「誰が戦うのか」と問いますが、この時に袁術の後ろから現れたのが兪渉となります。

兪渉は袁術の後ろから現れたということは、三国志演義では袁術の配下という設定なのでしょう。

三国志演義では「勇将兪渉」の言葉もあり、袁術軍の中でも剛の者という扱いになっていると感じました。

三合以内に討ち取られる

兪渉は袁紹に対し、次の様に述べています。

※三国志演義より

兪渉「それがしが、参りたいと思います」

兪渉の言葉からは荒々しさは感じず、冷静に華雄と戦おうとしたかの様にも見えます。

袁紹は兪渉の言葉を聞くと喜び、出撃の許可を出しました。

兪渉は出馬しましたが、直ぐに袁紹の元に次の報告が入る事になります。

兪渉は華雄と三合と合わせぬうちに討ち取られました。

兪渉は呆気なく華雄に討ち取られた事になるでしょう。

兪渉が華雄と戦っている描写も存在せず、出撃したかと思えば、いきなり討ち取られてしまったわけです。

三国志演義の場合は「馬から落馬した」や「突き落とされた」などの生死が曖昧に表現される場合もありますが、兪渉に関しては明らかに死亡したと言えます。

この後に韓馥配下の潘鳳も討ち取られる事となり、兪渉の後を追いました。

袁紹は顔良文醜を連れて来なかった事を後悔しますが、劉備の弟分の関羽が華雄をいとも簡単に討ち取っており、それを考えると兪渉や潘鳳などは関羽の強さを引き立てる為に創作されたキャラだと言えるでしょう。

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