古代中国

江南(古代中国)の特徴

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宮下悠史

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名前江南
地域長江流域
コメント北方に比べると過ごしやすい気候

江南は揚子江流域の地域を指す場合が多いです。

主に三国志の呉の勢力圏である長江下流域を江南と呼ぶ場合もありますが、長江上流域の蜀の地も含めて江南と呼ばれる場合もあります。

華北には黄河文明がありましたが、江南には長江文明がありました。

江南と華北では気候が全く違っており、江南には豊富な水もあり、過ごしやすい気候であったとも言えるでしょう。

ただし、最初に発展する事になったのは華北の地域です。

司馬遷の記述を見ると貧富の差が少なかった話もありますが、後漢の時代になると多くの豪族が誕生し貧富の差は拡大しました。

華北では五胡十六国の時代となりますが、北方の多くの知識人らも南方に逃れて来ており、江南は大発展する事になります。

梁の時代までには、南北が逆転し華北よりも江南の方が文化・経済共に北方に勝っていました。

今回は古代江南を解説します。

江南と森林

淮水よりも南の長江流域の地域は、生態学的にはフォレストランドと呼ばれています。

つまり、森林が多い地域だと言えるでしょう。

華北がオープンランドで森林が育ちにくい環境とは対照的です。

江南では日本の様に夏に雨量が多く、照葉樹林が育ちやすい地域でもあります。

夏の高温多湿な気候により、森林が増えるだけではなく、地面にも草などが茂るのが特徴です。

こうした事情から、森林が人々の移動を遮っている状態でした。

古代の江南では人々の交流が、森林によりブロックされてきたとみる事が出来ます。

春秋戦国時代に楚には多くの貴族がおり、国として纏まりが無かったとも言われていますが、こうした地形も関係を持っていたのではないでしょうか。

江南は自給可能地域

江南では雨量が多く、水の供給に困る事は稀です。

こうした特徴もあり、耕地が開かれる様になると、それを一面に拡げていく事も可能となります。

水が人々の生活を支えており、豊作と凶作の差がそれほど出ないのも特徴です。

華北では雨量により50%もの豊凶の差が出るとも言われていますが、江南では僅か5%ほどしか収穫に影響を与えません。

江南では広い耕地を持つ事が出来れば、自給可能となり、森林により他地域と隔絶されていても、そこまで問題はなかったと言えるでしょう。

豊富な水がある事で水田も可能であり、水不足に悩まされた華北とは対照的です。

こうした気候の理由もあり、江南では小国が乱立しやすい傾向にあるわけです。

司馬遷と江南

春秋戦国時代に入ると、長江流域には、越などの国がありました。

しかし、これらの地域は最終的にに滅ぼされて、支配領域に組み込まれる事になります。

前漢の武帝の時代に書かれた史記の貨殖列伝によると「かつての楚、越の地域は土地が広く人口が少なく、自給ができ食料が豊富で飢える人はいない。ただし、千金の金持ちもいない(省略)」と記述しました。

史記には司馬遷が楚の春申君の故城を見たとする記述があり、司馬遷が南方を旅した事は確実でしょう。

こうした事情から貨殖列伝の記述は、実際に司馬遷が江南(南方)を旅して見たものを、そのまま書いたと考える事が出来ます。

勿論、司馬遷が江南の隅々まで歩いたとは言えませんが、司馬遷の記述は、かなり正確だとみる事が出来るはずです。

司馬遷の記述を見ると、江南では飢饉が起こりにくく、貧富の差が少ないなど、人々はのんびりと暮らしている様にも見えます。

華北では飢饉が起きやすく食糧調整が必須だったのに比べると、穏やかに暮らしていたとみる事ができます。

江南の華北では余りにも条件が違い過ぎており、本当に同じ民族だったのかと疑問視する声もあります。

後漢の時代の江南

江南では暮らしやすい気候もあり、厳しい環境に打ち勝つために技術を発展させた華北に比べると後進地域となりました。

しかし、前漢の末期から後漢にかけて、漢人入植者が江南で開発を行う様になります。

江南には三国志の呉や東晋、劉宋などの首都が置かれた建業(建康)もありましたが、この頃にはまだ田舎に過ぎなかったと言います。

漢人入植者たちは土地を開拓し占有し、千金の財産を築きました。

司馬遷の時代には「千金の金持ちもいない」とされた江南にも、豪族が次々に誕生し、後漢王朝も県を設置するなど江南の統治を進める事になります。

さらに、後漢末期となり世界が混乱をきたすと、華北から多くの人々が江南に移り住みました。

漢民族の江南移住

三国志の世界は西晋が天下統一し終わらせますが、直ぐに崩壊し五胡十六国の時代となります。

北方は異民族の侵入により大混乱となりました。

こうした中で漢人の名士や民衆なども江南に移り住む事になります。

江南の地では東晋王朝が勃興していましたが、華北にいた知識人も多く集まったと言えるでしょう。

この頃から江南が中華文明の中心地となります。

江南が華北を圧倒

東晋王朝は成立しましたが、劉宋、斉、梁、陳と王朝が変わっていく事になります。

王朝交替が起こったり内部で争いも生じましたが、これらの王朝は激しく争う五胡十六国に比べたら穏やかなものでした。

250年近く江南では、北方に比べればはるかに平和だったと言えます。

こうした事情もあり、漢民族による江南の開発は進みました。

華北では異民族王朝が暴れまわり、国土は荒れる事になりますが、江南では力を蓄えていたわけです。

5世紀の前半に劉宋と北魏の勢力が拮抗し、これ以後を南北朝時代と呼びますが、北と南の勢力が拮抗した事で起きたとも見られています。

6世紀になると、南では梁が勃興しますが、江南の方が華北よりも文化だけではなく、経済力も凌駕していました。

江南の大発展は、後の世にも強く影響を与える事になります。

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