
ネフェルネフェルウアテンは、アクエンアテンの治世末期と共同統治を行ったと考えられています。
アクエンアテンの時代から引き続き、アケトアテンを首都としました。
ただし、かなり謎が多い女王であり、ネフェルティティやスメンクカーラーとの同一人物説がある状態です。
アクエンアテンが世を去ると、単独統治を行いました。
ネフェルネフェルウアテンは多神教の復興を行っており、アメン神の神殿も建設するなどしました。
尚、ネフェルネフェルウアテンの統治期間は極めて短く4年程しかなかったと考えられています。
次代のツタンカーメンとの関係もよく分かっていません。
ネフェルネフェルウアテンの即位
ネフェルネフェルウアテンの即位名は「アンクケペルウラー」であり、女性として記録されており「彼女の夫に有益なる者」という形容辞もあり、女王だったと考えられています。
ただし、スメンクカーラーにもアンクケペルウラーという即位名を持っており、ネフェルティティと同一人物とする説もあります。
ネフェルネフェルウアテン、スメンクカーラー、ネフェルティティの3人は同じ人物だった可能性も残っています。
アクエンアテンからツタンカーメンに至るまでの、王統の記録はとにかく分からない事が多い状態です。
ネフェルネフェルウアテンはアクエンアテンの治世末期に、共同統治王となりました。
信仰の復活
アクエンアテンはアテン神のみを神とする一神教を始めましたが、治世の末期には完全に行き詰っていました。
こうした中でアクエンアテンの時代の末期から、アメン神をはじめ様々な神が復興しており、この時代にネフェルネフェルウアテンは、単独統治を行う事になります。
多くの神々が復興したのは、当時のエジプトで力を持っていたアメン神だけが強くならない様に分散させ、政治的な配慮があったとも考えられています。
ネフェルネフェルウアテンの時代に、テーベの西岸でアメン神殿が再興された事が分かっています。
アマルナ改革で動いた揺れ幅は元に戻る方向に進みました。
それと同時に、アクエンアテンの宗教改革の失敗を表しているのでしょう。
ネフェルネフェルウアテンの最期
ネフェルネフェルウアテンは謎多き女王だけあり、お墓の場所も未だに発見されていません。
その最期もよく分かっていません。
しかし、次代のツタンカーメンの王墓の副葬品の中には、ネフェルネフェルウアテンの為に作成したものが混ざっている事が分かっています。
ネフェルネフェルウアテンの埋葬品になるはずのものが、ツタンカーメンに再利用されていた事になるでしょう。
尚、ネフェルネフェルウアテンの死後にファラオとして立ったのが、ツタンカーメンですが、この時はまだ8歳くらいの子供だったと考えられています。
エジプト第18王朝はアイやホルエムヘブが主導する様になり、ツタンカーメンの死後は両者がファラオとなり、エジプト第18王朝は終焉しました。