
| 名前 | 晋の献公 |
| 姓・諱 | 姫詭諸 |
| 生没年 | 生年不明ー紀元前651年 |
| 在位 | 紀元前676年ー紀元前651年 |
| 時代 | 春秋戦国時代 |
| 一族 | 父:武公 配偶者:斉姜、狐姫、小戎子、驪姫、少姫 |
| 子:申生、文公(重耳)、恵公(夷吾)、奚斉、卓子、穆姫 | |
| コメント | 晋の国威を輝かせたが、内乱の原因を作った |
晋の献公は春秋時代の晋の君主です。
晋の献公の時代に、周辺の国々を討ち晋は大いに栄えました。
しかし、驪姫を手に入れると奚斉を後継者にしようと考え、結果として太子の申生が自刃し、重耳と夷吾は出奔する事になります。
晋の献公は虢や虞を滅ぼすなど国威を高揚させましたが、数世代に渡る晋の混乱の原因を作った人物でもあります。
賛否両論がある君主だと言えるでしょう。
西方同盟の結成と解体
晋の献公は即位すると、虢と共に東周王朝の朝見した話があります。
春秋左氏伝に記録がある話であり、紀元前676年の話となっています。
晋は東周と敵対した事もありましたが、晋の武公が大量の賄賂を周の僖王に送り和解しており、献公の代になっても関係は良好だったのでしょう。
虢は東周王朝の卿士をしており、虢の仲介により朝見が実現したと見られています。
さらに、晋の献公は虢公や鄭の厲公と協力し、原の荘公を使者として、陳に派遣し陳嬀を迎えに行かせました。
陳嬀は周の恵王の夫人となっています。
晋が本家と分家で争っていた時代に、虢は何度も横やりを入れられ苦々しい思いをしたはずですが、晋の献公が即位した頃は関係は良好だったと言えるでしょう。
当時は東方では斉の桓公が覇者となっていましたが、虢、晋、鄭は周王の元に集結しており、西方同盟を締結していたとする見方も存在しています。
春秋左氏伝によると、魯の荘公の19年(紀元前675年)に、王子頽の乱が発生しました。
王子頽の乱は虢や鄭の活躍もあり、紀元前673年までには平定されますが、恩賞を巡って周の恵王と鄭の厲公の関係が悪化する事になります。
紀元前667年に鄭の文公は斉の同盟に復帰しました。
この頃から、晋の献公も虢と対立しており、西方同盟は解体してしまったと言えるでしょう。
尚、晋の献公が虢を攻撃しようとすると、士蔿が止めた話があります。
晋の献公が驪姫を手に入れる
晋の献公は驪戎討伐を行いました。
史蘇は反対しますが、驪戎討伐を決行しています。
この戦いで、晋の献公は驪戎を大破し、驪姫と妹を手に入れました。
晋の献公は驪姫を寵愛し、驪姫も野望を見せた事で、晋は後に混乱する事になります。
公族を滅ぼす
春秋左氏伝の紀元前671年の記述で、晋では桓叔や荘伯から派生した公族が力を持ち、晋の献公が危惧した話があります。
士蔿は富子を除けば何とかなると進言し、晋の献公の許しを得ました。
士蔿は富子だけではなく、游氏の二男子も殺害し、晋の献公に報告をしました。
さらに、聚に城を築城させ、公子らを住まわせた上で、晋の献公は聚を攻撃し、公子らを皆殺しにしています。
功績により、晋の献公は士蔿を大司空に任命しました。
晋の献公は公子を壊滅させましたが、それと同時に公族の弱体化を招いたとの指摘もあります。
晋では本家と曲沃の分家が60年以上も争った歴史があり、公族は晋の君主になる資格が残っており、危険視していたとみる事も出来るはずです。
後継者問題
晋の献公と驪姫の間に奚斉が生まれました。
晋の献公の子の中で、人望を集めていたのが、斉姜の子の申生、狐姫の子の重耳、小戎子の子の夷吾の三公子でした。
申生、重耳、夷吾は大臣達からも期待されていましたが、晋の献公は奚斉を後継者にしたいと考える様になります。
晋の献公の気持ちを察したのか、梁五と東関嬖五は晋の国を安定させる為の策として、太子申生を曲沃に配置し、重耳を蒲城、夷吾を屈に配置する様に進言しました。
晋の献公は三公子が都から離れれば、奚斉が後継者になれると考え、梁五らの策を実行に移しています。
尚、梁五と東関嬖五は優施の策で、驪姫が二人を買収していたとも考えられています。
耿・霍・魏を滅ぼす
紀元前661年に晋の献公は二軍を編成し、上軍を自ら指揮し、下軍を太子申生が指揮する事になりました。
晋の献公は趙夙を御者とし、畢万を車右としました。
晋軍は周辺の小国である耿・霍・魏を滅ぼす事になります。
戦いに勝利した晋の献公は耿を趙夙に任せ、魏を畢万に任せ大夫としました。
この戦いの後に、士蔿が申生に出奔を勧めますが、申生は従いませんでした。
東山征伐
紀元前660年に晋の献公は、申生に東山征伐を行わさせています。
晋の大臣の里克は「太子がやるべき事ではない」と反対しますが、晋の献公は「まだ誰を太子にするのか決めていない」と述べて、意見を却下しました。
この頃になると、申生の方でも、太子の座を廃されるかも知れないと察知する様になります。
申生は晋の献公の命令通り、東山征伐を成し遂げました。
下陽を滅ぼす
史記によると、晋の献公は次の様に述べたとあります。
※史記晋世家より
晋の献公「我が先君である荘伯や武公が晋の乱を平定した時に、虢は常に晋を助けて曲沃を討った。
虢は晋の亡命公子を匿っており、虢を誅伐しなければ子孫に憂いを残すであろう」
晋の献公は先祖の荘伯と武公の時代に、虢が東周王朝の命令で曲沃を討ち、晋の公室を復活させた事を述べ、虢を滅ぼすべきだと考えた事になります。
実際に、虢は何度も曲沃を攻撃しており、荘伯や武公は苦い思いをしてきたわけです。
曲沃の時代であれば、虢の方が国力は上だったのかも知れませんが、晋が統一されてしまえば、国力は晋の方が上だったのでしょう。
ここで、荀息の策もあり、虞に道を借りて虢を討つ事になり、これが仮道伐虢であり、兵法三十六計にも採用されています。
紀元前658年に、晋の献公は虞に道を借りて、虢の下陽を滅ぼしました。
虢には黄河を挟んだ反対側に上陽があり、まだ滅亡したわけではありません。
晋の混乱の始まり
驪姫が暗躍し、表向きは太子の申生を褒めながらも、裏では密かに讒言を行っていました。
申生は驪姫の言葉もあり、曲沃で母親の斉姜を祀り胙を晋の献公に送りました。
この時に、驪姫が申生が毒を混ぜたとし、晋の献公は激怒しました。
申生は驚いて新城に出奔しますが、ここで自害し、驪姫は重耳と夷吾も殺害しようと企てる事になります。
一早く察知した重耳と夷吾は、それぞれ蒲邑、屈邑に逃亡しました。
晋の献公は蒲と屈を攻撃し、重耳は白狄に亡命する事になります。
夷吾も屈で奮戦しましたが、献公が派遣した賈華により苦しくなり、紀元前654年に郤芮の言葉もあり梁に出奔する事になります。
これにより、奚斉が後継者に決まったかに思えましたが、これが晋の混乱の始まりでもありました。
虢と虞を滅ぼす
紀元前656年から紀元前654年の間に、晋では太子廃立を巡る後継者問題が勃発してましたが、それと同時に虢を滅ぼすべく動いていました。
紀元前655年に晋の献公は再び、虞に道を借りて虢を討つ事にしました。
宮之奇は反対しますが、虞公は晋が同姓の国だと信じており、道を貸してしまう事になります。
晋の献公は虢の上陽を滅ぼし、これが虢の滅亡となります。
虢の最後の君主は、虢公醜だったと伝わっています。
虢を滅ぼした晋の献公は虞に侵攻し、虞を滅ぼしてしまいました。
これにより、仮道伐虢が完全に成立したと言えるでしょう。
紀元前655年は後継者問題が起きてはいましたが、虢と虞を併呑する大戦果を挙げた年でもあります。
狄を討つ
紀元前652年に晋の献公は、狄を討ったとあります。
この時には晋の献公が自ら指揮を執った訳ではなく、里克が総大将となり、梁由靡と虢射を引き連れての戦いとなりました。
史記の文章を読む限りでは、晋の献公は狄に重耳がいる事を危惧し、後継者としての奚斉の立場を固める為に、狄を討伐したと見る事が出来ます。
しかし、狄の軍も奮戦し、采桑の戦いが勃発したりもしていますが、狄を叩きのめす事は出来ませんでした。
晋の献公と斉の桓公
史記によれば当時の晋は強大であり、西は河西を領有し、秦と国境を接し北は狄に接し、東は河内に渡っていたとあります。
晋の献公は後継者問題は引き起こしましたが、周辺の国々を幾つも滅ぼしており、大いに晋の武名を高めたと言えるでしょう。
それでも、当時の中華の主役は斉の桓公であり、紀元前651年に葵丘で会盟を開きました。
この時に、晋の献公も会盟に参加しようとしましたが、病気で行くのに遅れ、途中で周の宰孔と出会い、斉の桓公との会盟に参加しない様に告げた話があります。
史記では斉の桓公の態度が驕っていた事になっていますが、実際には周の襄王の方針として、晋が斉の覇権に参加せず、東周王朝と晋の独自の関係を望んだと考えられています。
晋の献公は斉の桓公の会盟に参加しませんでした。
この頃になると、晋の献公は体調を崩しがちであり、往年の覇気も無かった様に感じています。
晋の献公の最後
晋の献公の体調は悪化し、献公の方でも己の死を意識し出したと考えられます。
こうなると、晋の献公の心配は、奚斉と驪姫の事だったのではないでしょうか。
実際に、晋の献公は荀息を宰相に任じ、奚斉の事を任せました。
献公は自分が亡くなった後に、大臣達が乱を起こすと予見しており、荀息に上手くまとめて欲しかったのでしょう。
晋の献公は紀元前651年に世を去りました。
晋の献公の予感は的中し、里克と丕鄭が中心となり、奚斉と驪姫を討ち、荀息が卓子を立てると、これもまた滅ぼしました。
里克と丕鄭は重耳に断られた事で、夷吾を君主として迎え入れる事になります。
夷吾が晋の恵公ですが、不徳な部分もあり晋は中々安定しませんでした。
晋の安定は重耳の時代を待たねばなりません。