キングダム

山の民は実在したのか

スポンサーリンク

宮下悠史

YouTubeでれーしチャンネル(登録者数5万人)を運営しています。 日本史や世界史を問わず、歴史好きです。 歴史には様々な説や人物がいますが、全て網羅したサイトを運営したいと考えております。詳細な運営者情報、KOEI情報、参考文献などはこちらを見る様にしてください。 運営者の詳細

名前山の民
登場キングダム
コメント仮面を被った異民族

山の民は漫画キングダムに登場し、秦人とは異なる異民族として扱われています。

キングダムの設定では山の民との繋がりは秦の穆公の時代まで遡り友好を築いた事になっています。

山の民に関してはキングダムの架空の設定だと考えられますが、戦国七雄の西端に位置する秦には中華の人々だけではなく様々な異民族がいた事が分かっています。

それらを考えると、山の民は全てがフィクションだとも言えないのではないでしょうか。

さらに、秦の穆公と野人の話は実際に史記の秦本紀に掲載されている話でもあります。

ただし、楊端和が山界の死王という設定になっていますが、史記や戦国策を見る限りでは、楊端和が異民族だったとする話はありません。

今回はキングダムに登場した山の民を解説します。

秦の穆公と山の民

秦兵に追われ嬴政、河了貂は黒卑村から脱出し昌文君との待ち合わせ場所のお堂(屋敷)に到着しました。

この屋敷は特別な場所であり、400年前に建てられたにも関わらず綺麗な状態で残っていたわけです。

嬴政は400年前に秦の穆公がの君主となっており、稀にみる名君だったと話し出しました。

秦の穆公は誰よりも差別なく人を愛した王であり、敵国の奴隷に対しても師事したと言います。

キングダムの秦の穆公の奴隷に師事した話ですが、秦の宰相である百里奚の事を指しているのでしょう。

ある日、秦の穆公の馬が山に住む野人たちより殺害され、食われてしまうという事件が起きました。

信はその話を聞くと「秦の穆公が皆殺しにした」と推察しますが、実際の秦の穆公は馬肉にあった酒を振舞った事になっています。

秦の穆公は秦人も野人も関係なく礼を尽くし、それがきっかけで山の民の心を掴んだと言います。

この秦の穆公と山の民の話は創作に思うかも知れませんが、史記の秦本紀にも似た様な話が書かれているわけです。

史記でも野人が秦の穆公の良馬を食べてしまいますが、秦の穆公は酒を賜わった話になっています。

後述しますが、史記でも野人が秦の穆公のピンチに駆け付け恩返しをした事になっています。

キングダムの山の民の話は史記をベースにした話となっている事が分かるはずです。

キングダムの設定では秦の穆公と山の世界の王は手を取り合い盟約を結んだ事になっています。

穆公の避暑地

秦の穆公が山の民と盟約を結んだ話を嬴政がすると、河了貂は「秦人と山民族の交流は聞いた事が無い」と返しました。

キングダムの設定では秦の穆公は山の民を差別しませんでしたが、穆公の死後にと山の民の盟約は失われ交流は途絶えていたわけです。

山の民は400年が経過しても秦の穆公の事を忘れてはおらず、神聖な場所として建物を守っていた設定になっています。

秦と山の民の交流の為の場所が、嬴政と昌文君の合流予定の場所でした。

この場所の名前が「穆公の避暑地」です。

穆公の避暑地は秦の首都である咸陽と山の民の居住地の中間にある事になっています。

黒卑村から脱出した嬴政、信、河了貂の三名は秦と山の民の交流する神聖な地に足を踏み入れた事になります。

昌文君が到着する前に、ベッサ族のムタに襲われますが、が倒しました。

昌文君や壁も穆公の避暑地に到着する事になります。

馬酒兵

昌文君も合流しましたが、この時点で国内で嬴政に味方する者は殆どおらず、数の力で王弟の成蟜、大臣の竭氏、呂不韋などに大きく劣っていました。

ここで嬴政は山の王に面会を求める事になります。

山の王の居住地は奥深くに在り、多くの兵士が脱落していく事になります。

こうした中で壁から山の民の馬酒兵の事を聞かされます。

秦の穆公の13年にが大飢饉になると、秦の穆公は晋の恵公に食糧を届けました。

これを泛舟の役と呼びます。

翌年に秦が飢饉になると、晋の恵公は大軍を率いて秦を攻めました。

晋は秦の恩を讎として返したと言えるでしょう。

ここにおいて秦と晋の間で戦争が勃発し、史実では韓原の戦いと呼ばれています。

秦の穆公は敵に囲まれて窮地に陥りますが、この時に300人の山の民が救援軍として現れました。

山の民は秦の穆公からの酒と馬の恩を返しに現れたわけです。

ここで山の民が晋兵を倒すわけですが、余りにも凶暴でありや河了貂を驚かせ、山の民は僅か三百人で数千人の晋兵を蹴散らし、晋王と捕らえたというのです。

史記の話では野人が穆公を救った話がありますが、野人が晋の君主を捕えた話しは存在しません。

しかし、史実の韓原の戦いで晋の恵王が捕虜になったのは事実です。

山の民に捕らえられる

嬴政らは山の奥に入って行きますが、仮面をつけた山の民に囲まれてしまいました。

山の民は嬴政だけを山の王に合わせるつもりであり、嬴政だけを連れて奥地に消えて行く事になります。

、河了貂、壁の三名は遅れて追跡する事になります。

壁は山の民に関する知識を持っており、山の民は種族が多く河了貂は奇妙な仮面をつけた山の民とは違う種族だと説明しています。

信は山の民の仮面を付けて潜入しようとしますが、山の民に襲撃され三人は捕虜となってしまいました。

信たちは山の民の居住地に連行されますが、そこには断崖絶壁に建てられた宮殿があったわけです。

山の民の技術力

山の民はおかしな仮面を被り上半身は裸の格好で武器も力自慢のこん棒など、何処か蛮族の様な格好をしています。

しかし、たちが見たものは崖を削って作った様な壮麗な宮殿だったわけです。

この事から山の民は極めて高い技術力を持っていた事が分かります。

原泰久さんが描く山の民は決して蛮族ではなく、文化レベルは高かったと言えるでしょう。

尚、古代日本に邪馬台国と戦った狗奴国がいますが、狗奴国も蛮族の様なイメージがありますが、近年では高い文化レベルを持っており邪馬台国を苦しめたのではないかとも考えられています。

狗奴国や熊襲と山の民は似た様な匂いがすると感じました。

山の民と秦人の決別

嬴政は山界の王である楊端和と面会しますが、、壁、河了貂の三名は山の民に捕らえられています。

嬴政は楊端和に力を貸してくれる様に頼みますが、楊端和は断り人と山の民が決別した話を語り出しました。

楊端和の話では秦で山の民と友好を保とうとしたのは、秦の穆公一人であり、穆公が亡くなると秦人は山の民に危害を加える様になったと言います。

山の民も穆公の時代は平地に住んだりもしましたが、秦人は山の民を攻撃しました。

山の民にも犠牲が出て結局は山に帰りますが、秦人は執拗に攻撃したと言います。

山の民と嬴政

楊端和はとの融和を拒否しますが、嬴政が説得を試みました。

ここで捕虜になっていた、壁、河了貂が引き出されても、嬴政は顔色一つ変えず理想を語り続けたわけです。

嬴政は「中華を統一する最初の王になる」と述べ、理想を語ると信が軛を解き暴れ出しました。

さらに、信が山の民の一人を人質にとり、嬴政も楊端和に力を貸す様に要請する事になります。

嬴政と信を見ていた楊端和は納得し、嬴政の玉座奪還の為の協力を約束しました。

山の民は嬴政の玉座奪還に活躍するだけではなく、蕞の戦いでは李牧龐煖を撃退するのにも活躍しています。

楊端和は秦の六大将軍の一人になるなど、異民族設定にも関わらず秦の最高位の将軍となり、秦人と同様の待遇を受けている事が分かります。

山の民の主要人物

楊端王

楊端和は山界の死王の異名を取る山の民のリーダーです。

キングダムでの楊端和は圧倒的な実力と美貌を兼ね備えたカリスマ的な人物として描かれています。

因みに、楊端和は史記にも名前が掲載されており、実在の人物です。

史実の楊端和は王翦羌瘣と共にを滅ぼすのに活躍しました。

ただし、史記には楊端和が女性だったとも山の民だとする記述も存在しません。

がっかりするのかも知れませんが、史実の楊端和は男性であり普通のの民だったと思われます。

バジオウ

バジオウは山の民のナンバー2と言ってもよい存在です。

双剣を武器として戦うのが特徴となります。

尚、バジオウは幼少時は野生児であり困った存在でしたが、楊端和との戦いに敗れた人の心が宿る事になります。

山の民の中では楊端和に次ぐ武勇を持つのがバジオウと言ってもよいでしょう。

タジフ

タジフは楊端和の側近の一人でもあります。

怪力の持ち主でもあり、ランカイとの戦いでは足にしがみつき動きを止めています。

巨大な岩に棒を付けただけのタジフハンマーと呼ばれる武器を使ったりし山の民の中でも屈強の戦士だと言えるでしょう。

タジフは勇敢なだけではなく、仲間想いの人物としても描かれています。

シュンメン

山の民は様々な仮面を被っていますが、シュンメンは鳥のくちばしの様な二本の角がある仮面を被っているのが特徴です。

キングダム公式ガイドブックでは意外とおしゃれ好きとも書かれていました。

さらに、王都奪還編で仲間になったランカイの教育係も務めています。

ランカイ

成蟜の部下で凶悪な人物として描かれていました。

体格を生かして戦いますが、たちとの戦いで敗れています。

その後のランカイは山の民となり暮らしている様です。

スポンサーリンク

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

宮下悠史

YouTubeでれーしチャンネル(登録者数5万人)を運営しています。 日本史や世界史を問わず、歴史好きです。 歴史には様々な説や人物がいますが、全て網羅したサイトを運営したいと考えております。詳細な運営者情報、KOEI情報、参考文献などはこちらを見る様にしてください。 運営者の詳細