その他 春秋戦国時代

要離は刺客となり慶忌を討つが共感は出来なかった

2021年4月5日

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宮下悠史

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要離を紹介します。

要離は、呉王の子である慶忌を殺したとされている人物です。

要離は、伍子胥が推薦したとも、孫子の兵法書で有名な孫武が推薦したとも言われています。

要離ですが、史記に掲載されているわけではなく、東周列国志や呉越春秋に登場する人物で、実在が疑わしい人物でもあります。

本当に実在したのであれば、史記の刺客列伝に掲載されても、おかしくはないはずです。

司馬遷は、極端な話を好む傾向にあるため、慶忌と要離の話が、史実であれば必ず掲載するようにも思います。

しかし、掲載しないと言う事は、物語の中だけの人物だと言う事も考えられます。

要離は架空の人物かも知れませんが、かなり極端な人物でもあります。

要離は現代の、日本人の感覚で言えば「ドン引き」してしまうような人かも知れません。

伍子胥は、過去に専諸を呉の公子光(後の闔閭)に、推薦したりしていますが、要離も推薦したとなると、こういう関係の人に詳しいのかな?と思ってしまう部分もあります。

伍子胥自体が、楚の平王の墓を暴き死体に鞭を打つような人物なので、刺客となるような人とは相性がいいのかも知れません。

要離は、忠臣と言えるのかも知れませんが、やり過ぎてしまっている人物にも感じました。

尚、自分は要離のような生き方は出来ないし、ここまでやる必要はないと考えてしまう程です。

今回は、刺客となった要離を紹介します。

慶忌に闔閭が憂いを見せる

呉の公子光は、伍子胥が推薦した専諸という刺客を使い、呉王僚を暗殺しています。

この時に、呉王僚の子である慶忌が逃亡したわけです。

公子光は、即位して呉王闔閭となったわけですが、慶忌の事が心配でした。

慶忌が他国に援助を求めて、軍隊と共に呉に攻めてくるなどを、心配したためです。

呉王闔閭は、慶忌を殺害するために、刺客を雇って放ったり、部隊を使い兵士に始末するようにしたのですが、全て上手く行きませんでした。

慶忌は、人並み外れた身体の持ち主で、誰も慶忌を倒す事が出来なかったわけです。

慶忌に悩まされていた、闔閭に刺客になると自薦したのが、要離です。

自分の妻子を殺害する

要離が自薦した時に、闔閭は「お前には無理だ」と言ったとされています。

要離は、体も華奢ですし、腕力もなく慶忌とは対格差があり過ぎた為に、闔閭は無理だと言ったわけです。

しかし、要離は下記のように言っています。

「士は勇気が無いのを憂えるのであり、成功しないのを憂えるわけではありません。王(闔閭)の助けがあれば、必ず慶忌を討ち取る事が出来ます」

そして、呉王闔閭の許可を取り、慶忌の殺害の為に動き出します。

この時に、要離は闔閭に自分の腕を一本斬り落とし、妻子を殺害するように依頼しています。

要離が闔閭に恨みを持つ形にして、慶忌に近づくためです。

慶忌に近づくためとはいえ、殺されてしまう要離の妻子は非常に可哀想だと感じました。

これを許してしまう闔閭も人間的にどうなの?と感じるわけです。

三国志の時代に赤壁の戦いが曹操孫権の間で行われています。

この時に、周瑜は芝居ですが、黄蓋を鞭を打つ苦肉の策を行っています。

これを理由に、黄蓋は曹操に偽りの降伏をするわけですが、この時に黄蓋が自分の妻子を殺した上で曹操に降伏したとしたら、多くの人はドン引きするのではないかと思います。

それを考えれば、どうしても要離の妻子を殺して、闔閭の願いを叶えようとする行為は多くの日本人には理解できないでしょう。

もちろん、私も含めてですが・・・。

しかし、要離は妻子を闔閭に殺害させて、慶忌に近づきます。

慶忌の配下となる

要離は、慶忌がやってくると大そう喜びます。

慶忌は、要離が妻子を殺害されて、闔閭に恨みを持っている事が分かると納得して臣下としています。

要離は、慶忌に「闔閭は無道で王子(慶忌)と共に、呉の国を奪還に行きたい」と言い出します。

慶忌は、要離の事を信頼していましたから、呉に攻め入る事を決断します。

尚、慶忌は衛に亡命したと言われていますが、呉王闔閭が即位した時代の衛は弱小国になっていたはずです。

西周時代の後期や春秋時代の初期であれば、衛の武公という名君がいて、国勢は盛んでした。

しかし、衛の懿公が鶴が好きすぎて、大夫達に愛想を突かれて翟に敗れてからは、一旦は滅亡しています。

斉の桓公が国を復興させて、衛の文公を即位させます。

文公の時代は、発展しましたが、それでも以前ほどの国力までは回復しなかったのでしょう。

の属国のような国でもありましたし、戦国時代も国としては存続していますが、戦国七雄にも入らない弱小勢力です。

この衛の力を借りて、慶忌は呉に進撃したという話もありますが、衛がこの時期に外征を行う程の力がある様には思えません。

しかし、慶忌は、衛の力を借りて呉に進撃した事にもなっている場合があります。

慶忌を殺害する

慶忌は、要離と共に船で長江を下り呉を目指します。

この時に、大風が吹いて慶忌はバランスを崩したわけです。

このタイミングを狙い要離は、慶忌を刺しています。

普通の人であれば、これで討ち取れるのかも知れませんが、慶忌は並外れた体力を持っていました。

慶忌は、要離の頭を掴むと水中に3度入れて殺そうとします。

しかし、慶忌は自分が助からない事を悟ると「汝は天下の国士だ。名を成させてやろう」と言い死に絶えています。

さらに、慶忌は自分の部下に、要離に手を出してはいけないと命令をしたともされています。

これにより、要離は助かり呉に帰る事が出来ました。

要離は3つの罪により自害する

要離が慶忌を討ち取った事を知ると、呉王闔閭は喜び、要離に褒賞を与えようとします。

しかし、要離は闔閭の申し出を断り「自分は死ななければならない」と言います。

要離は自分には、3つの罪があると闔閭に語りはじめます。

「事を成功させる為とは言え、自分の妻子を殺した事は不仁にあたる」

「慶忌を殺した事は、自分を信任してくれた、主君を殺した事でもあり不義にあたる」

「自分は水中に3度顔を入れながらも助かったのは、慶忌に温情による所が大きい。これは恥辱にあたる」

「自分は不仁、不義、恥辱の3つを冒したわけだから生きている事は出来ない」

要離は、この様に言うと闔閭は止める事が出来ずに自刃しています。

これが要離の刺客としてのお話しです。

要離と予譲

要離と予譲の刺客としてのやり方は、全く反対だと思いました。

予譲は、史記の刺客列伝にも載っている、智伯の仇を討つために趙襄子の命を狙った刺客です。

予譲は、趙襄子を討つために、体中を被れさせてみたりして、別人にような容貌になったりして命を狙っています。

予譲の友人は、「そんな辛い事をしなくても、趙襄子の配下となり、隙を見て命を狙えば簡単に事は成就する」と言っています。

しかし、予譲趙襄子に仕えるのではなく、智伯の家臣として仇を討つと言っているわけです。

さらに、「二心を持った輩たちに自分の生きざまを見せてやるためだ」と言い放ちます。

予譲は、趙襄子を暗殺するのは、結局は失敗に終わり自害しています。

予譲がタブーとした敵討ちのやり方を実践したのが、要離だと言えるでしょう。

しかし、要離もこのような行いをするのは、恥じていた事が分かりますし、実際に死に繋がっています。

目的は、殺害する事で同じであっても、手段に拘るのが刺客の美学なのかも知れません。

もしくは、「士の美学」とも言えるでしょう。

もう一人の慶忌

春秋左氏伝にも慶忌という人物が登場します。

呉の王族ようですが、出自は明確になっていません。

闔閭の後継者として呉王夫差がなるわけですが、越王句践を破るまでは名君と言えるかも知れません。

しかし、越王句践を破ってからは、佞臣である伯嚭の言葉を聞き入れて、伍子胥を自害させるなども行っています。

こうした状況を見た王族の一人である慶忌は、「呉王(夫差)は行いを改めないと、呉は滅びる事になる」と諫言しています。

斉を破ったりして、得意げになっている夫差は聞き入れる事をしませんでした。

この状態を見た、慶忌は自分の領地である艾に戻り、さらにに行っています。

呉王夫差は、黄池の会を主宰し晋の定公と覇者の座を争ったりしますが、その隙に越は呉に攻め込んでいます。

越は呉に攻め込むと、首都である姑蘇は陥落し、呉の太子友が越の捕虜になった事を知ります。

呉王夫差は、慌てて国許に帰ると越と和睦しました。

この状況を見た慶忌は今なら、呉王夫差が目を覚ましてくれると期待したのか、呉に戻っています。

慶忌は、呉王夫差に「今こそ、不忠者を誅して越と和を結ぶべきです」と進言しています。

しかし、呉王夫差は逆上して、慶忌を殺してしまいました。

春秋左氏伝に登場する慶忌は、まともな事を言っているけど、結局は殺されてしまう悲劇の人でもあります。

尚、慶忌を殺害して2年すると、呉王夫差は越の家臣である、范蠡や文種らの策を聞き入れた、越王句践に滅ぼされています。

これが、慶忌の史実の人物像です。

ただし、春秋左氏伝の慶忌と要離に殺害された慶忌とでは、明らかに別人と言えます。

よって、同姓同名の可能性もあるでしょう。

繋がりに関してはイマイチ不明です。

ただし、呉の王族という部分は一致しています。

要離の考えに共感が出来ない

最後に、要離についての個人的な感想です。

自分は絶対に、要離にはなれないと感じました。

いくら主君の目的を叶えるためとはいえ、自分の妻子を殺害してしまうのは、問題の行動だと思います。

多くのお父さんが、会社に行ったりして働くのは、家族の為であると自分は感じています。

会社の社長の為に働いている人は少ないのではないでしょうか?

要離は、自分の妻子よりも、明らかに主君である闔閭を優先させています。

現代で言えば、会社至上主義になっているわけです。

現代と春秋戦国時代の価値観は違うのかも知れませんが、主君の目的を果たすために、妻子を殺害すると言うのは理解する事が出来ませんでした。

私が生温い人なのかも知れませんが、私は要離のような生き方は出来ないと思った次第です。

ただし、要離が私の話しを聞いたとすれば「お前如きが俺を理解できるはずがない!」と罵られてしまいそうな気もしますが・・・。

人には色々な生き方があると、言う事なのでしょう。

尚、当たり前ですが、現代で要離のような事を行えば立派な犯罪ですので、絶対にやってはいけません。

あと、要離にもう少し違う生き方を考えてみればいいのでは?とも思ってしまいました。

こう思うのって自分だけですかね・・・。

要離にとってみれば「大きなお世話だ!」と言われてしまいそうですが・・・。

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