名前 | 建葉槌命 |
読み方 | タケハヅチノカミ |
別名 | 天羽槌雄神、天羽雷雄命など |
時代 | 日本神話 |
登場 | 日本書紀、古語拾遺など |
建葉槌命は日本書紀や古語拾遺に登場する日本神話の神です。
古語拾遺では天羽槌雄神の名前で登場し織物の神という事になっています。
古事記や日本書紀では登場しませんが、天照大神が引き籠った天岩戸事件の時に、文布(あや)を織った神様でもあります。
天羽槌雄神は武神としての一面もあり、日本書紀では出雲の国譲りの最後の所で建葉槌命の名前で登場します。
高天原の勢力が地上を征服するのに最後まで抵抗した天津甕星を降したのが、建葉槌命です。
天津甕星は武甕槌神や経津主神でも倒す事が出来なかった神であるにも関わらず、建葉槌命は降服させています。
それらを考慮して、建葉槌命こそが最強の武神だったのではないかとも考えられています。
建葉槌命の別名として「倭文神」とありますが、倭文は古代日本における織物の一種だと考えればよいでしょう。
今回は織物の神にして最強の武神ともされる建葉槌命を解説します。
尚、建葉槌命の解説動画(YouTube)も作成してあり、最下部の神社紹介の前に設置してあります。
動画では視覚的に理解しやすい様になっています。
武羽槌命の系譜
齋部宿祢本系帳には、建葉槌命は天羽雷雄命の名で記載されており、天背男命の孫となっています。
さらに、別名として武羽槌命、止与波豆知命だと記載されていました。
齋部宿祢本系帳によれば天背男命の孫が建葉槌命の名前という設定になるのでしょう。
天背男命の名前が建葉槌命の宿敵である香香背男と似ており、元々は建葉槌命、香香背男、天背男命は近しき神だったのではないかとも考えられています。
元々は建葉槌命は香香背男側の神であり、天孫族に寝返り香香背男を討ったのではないかとする説もあります。
織物の神
神々は天照大神を天岩戸から外に出す為に思金神を中心に計画を練りました。
日本書紀や古事記には記載がありませんが、この時に古語拾遺には次の事が書かれています。
※古語拾遺より
天羽槌雄神(倭文が遠祖なり)をして文布を織らしむ。
後述しますが、建葉槌命と天羽槌雄神は同一神だと考えられており、文布を織った事から織物の神だと考えられています。
織物と言えば女性の仕事でもあり、建葉槌命は女神だったのではないかともされています。
ただし、建葉槌命の別名である天羽槌雄神に「雄」の文字が入っている事から、性別は男神だったのではないかともされており、この辺りははっきりとしません。
天照大神が天岩戸に籠ってしまったのは、スサノオが暴れ機織女が亡くなった事件があったからです。
機織女も織物の神に違いありませんが、建葉槌命との関係は不明としか言いようがありません。
尚、魏志倭人伝に倭人が絹織物を作っていた話しがあり、弥生時代の日本には既に絹織物があったのでしょう。
倭国は朝鮮半島の弁韓などから鉄を仕入れていた事は有名ですが、倭人は対価として米や絹織物を輸出していたと考えられています。
倭国の高級特産物は絹織物だったともされており、織物の神がいてもおかしくはないと感じました。
日本書紀の建葉槌命の記述
日本書紀に建葉槌命と天津甕星の戦いの記述があり、次の様に記録されています。
※日本書紀より
二神は邪神や草・木・石に至るまで全てを平らげた。
従わなかったのは、星の神・香香背男だけであった。
そこで建葉槌命を派遣し服従させた。
二神は天に上り復命した。
倭文神・これをシトリガミと読む
上記の記述の中の二神と言うのは経津主神と武甕槌神であり、出雲の国譲りの中で地上の大半を平定した事が分かるはずです。
大国主は既に降伏していましたが、香香背男(天津甕星)だけは健在であり、建葉槌命が何らかの方法を使って討伐した事が分かります。
一つの説として高天原最強の武神でもある経津主神と武甕槌神らであっても、香香背男を倒す事が出来ず、建葉槌命だけが倒す事が出来たとされているわけです。
これだと一番強いのが建葉槌命となり、次に強いのが香香背男、最弱が経津主神・武甕槌神となってしまいます。
経津主神と武甕槌神らでも倒す事が出来なかった香香背男を倒し降伏させた事で、建葉槌命が最強の武神だとされる理由でもあるのでしょう。
ただし、日本書紀には様々な異説が掲載されており、建葉槌命が登場せず、経津主神と武甕槌神が大国主を降伏させ地上を平定して高天原に帰還するものもあります。
尚、日本書紀の記述には「二神は天に上り復命した」とあり、この二神は経津主神・武甕槌神のはずであり、建葉槌命は地上にいた神ではなかったのかとする疑問も湧いてくるはずです。
後に建葉槌命は天孫降臨で瓊瓊杵尊と共に地上に降りますが、建葉槌命も高天原に戻らなければ、瓊瓊杵尊と共に天孫降臨を行う事は出来ないでしょう。
建葉槌命は最強の武神なのか?
建葉槌命は天津甕星を倒し最強の武神の座を手に入れたかの様に見えますが、織物の神が最強の武神だとするのは変に思うかも知れません。
普通に考えれば最高級の武闘派の将軍よりも織物職人の方が強かった事にもなってしまいます。
日本書紀の文章を見ると「経津主神と武甕槌神」が香香背男に敗れたとは一言も書かれてはいません。
単純に経津主神と武甕槌神は香香背男に敗れたわけではなく、配下の建葉槌命に最後に残った香香背男の討伐を任せ、建葉槌命は任務を達成したに過ぎない可能性もあります。
経津主神と武甕槌神が香香背男に敗れたのでないのであれば、建葉槌命は最強の武神とは言えないと感じました。
ただし、じゃんけんの様に相性の問題で建葉槌命は香香背男に勝利した可能性もあるはずです。
ただし、建葉槌命がどの様にして香香背男を降伏させたのかは不明であり、分からない部分が多いです。
尚、建葉槌命の名を考えると「建」の文字は「武」を現わしているとも考えられます。
武甕槌神は古事記では建御雷神とも書かれており「武」の文字が「建」になっている事が分かります。
さらに、建葉槌命も武羽槌命と書かれる場合もあり、元々は戦争に纏わる神様だった可能性はあるはずです。
織物の神が武神にされてしまう理由
そもそも織物の神が武神にされてしまうのは変だと感じています。
織物の神であれば経津主神と武甕槌神の衣服を作るのが仕事であるはずです。
建葉槌命が織物の神にして武人にされてしまうのは、次の記述があるからでしょう。
※古語拾遺より
天羽槌雄神(倭文が遠祖なり)
※日本書紀より
倭文神・これをシトリガミと読む
古語拾遺には天羽槌雄神が倭文の遠祖とあり、日本書紀には建葉槌命が倭文神だとする記述があるからです。
個人的には日本神話は各地の様々な神話が集められて合体して作られたとされており、同じ神様であっても様々な名前を持っていたりします。
大国主が八千矛神や葦原醜男など様々な名前を持つのも、日本各地の似ている神話の人物を合わせて大国主という人物を作ったとも考えられています。
建葉槌命にしても、書物により次の様に記述されています。
日本書紀 | 建葉槌命 |
古語拾遺 | 天羽槌雄神 |
新撰姓氏録 | 止与波知命、天破命 |
先代旧事本紀 | 天羽槌雄神 |
齋部宿祢本系帳 | 天羽雷雄命 |
それらを考慮すると各地の神話が集まり建葉槌命が誕生し、その過程で織物の神とも習合されてしまったのかも知れません。
斎の大人
日本書紀の巻第二 神代下 第九段 一書(第二)に天津甕星に関する次の記述が存在しています。
※日本書紀より
天に悪神がおり、天津甕星と言います。
別名は天香香背男です。
まずは、この神を排除し、その後で地上に降り葦原中国を平定させて頂きたい。
こちらの記述では天照大神や高皇産霊尊は大国主が支配する地上平定を企み経津主神と武甕槌神を派遣しようと呼び寄せると「天津甕星の排除が先」と進言された事になります。
日本書紀の別説では建葉槌命の名前は登場しませんが、続けて次の記述があります。
※日本書紀より
この時に甕星を征する斎主をする主を斎の大人と言った。
この神はいま東国の香取の地においでになる。
ここで言う「斎の大人」が建葉槌命だったのではないかとする説もあります。
この説だと祭祀の責任者になった建葉槌命が天津甕星を征伐した事にもなるはずです。
香取が何処になるのかは不明であり、この説も不明な点が多いと言えるでしょう。
建葉槌命の解説動画
建葉槌命のゆっくり解説動画となっています。