肆氏はキングダムでは竭氏の参謀役として登場します。
切れ者と言ったイメージを持った人も多いのではないでしょうか。
竭氏からは足蹴にされたりもしますが、特に恨むような描写もなく最後まで忠義を尽くしました。
王都奪還編が終わると竭氏の勢力を引き継ぎ、嬴政の部下になります。
肆氏は架空の人物に思うかも知れませんが、史記の始皇本紀に登場し、実在の人物ではないかともされています。
今回は肆氏がどの様な人物なのか、史実とキングダムを合わせて解説します。
尚、キングダムの映画では加藤雅也氏が肆氏を演じました。
肆氏の史実
始皇本紀の記録
史記の始皇本紀に肆氏に関する記述があります。
始皇帝(秦王政)の9年に(紀元前238年)に嫪毐(ろうあい)が趙姫と結託し乱を起こそうとしている事が発覚しました。
史記の始皇本紀では、次の記述があります。
※史記本紀1(ちくま学芸文庫)より
毐(ろうあい)のほか衛尉の竭、内史の肆、佐弋(官名)の竭、中大夫の斉ら二十人をことごとく捕らえて、みな車裂きの刑にし、首を木の上にさらして人民に示し、その宗族を滅ぼした。
具体的な内容は不明ですが、「内史の肆」なる人物が登場しており、嫪毐の連座で亡くなっている事が分かるはずです。
さらに注目すべきは内史の肆と共に処刑された人物の中に「衛尉の竭」と「佐弋の竭」がいる事でしょう。
キングダムでは竭氏は王都奪還編で亡くなっていますが、史実を見ると「竭」なる人物が嫪毐の頃まで生き残っていた事が分かります。
ただし、王都奪還編はキングダムのオリジナルの話でもあります。
さらに、肆氏の官職は「内史」であり、内史は秦の首都近郊の地域を統治する役割であり、秦が戦国七雄を滅ぼす戦争では騰がなっており、天下統一後は蒙恬が就任しています。
それを考えれば、肆氏は秦で重職に就いていたと言えるでしょう。
肆氏は何故最後を迎えたのか
肆氏は嫪毐の乱で命を落としましたが、その理由は簡単に嫪毐派の人だったからでしょう。
趙姫が嫪毐を寵愛した事で、秦では呂不韋派と嫪毐派で多いに争った話があり、肆氏が嫪毐に味方した事で捕らえられて最後を迎えたと考えらます。
始皇本紀の言葉から推察するに、一族皆殺しになってしまったのでしょう。
尚、史記の肆氏は嫪毐の乱意外に記録はなく、分かっている事は殆どありません。
それでも、史記に書かれており実在した人物の可能性は極めて高いと言えます。
キングダムでの肆氏
軍参謀
キングダムでの肆氏は竭軍参謀として登場します。
初登場で竭氏は王騎が昌文君を始末したと言いますが、肆氏は王騎を信頼しておらず「信用しすぎると大けがする」と進言しています。
竭氏は意に介さず朱凶が返り討ちにあった事などを問いますが、肆氏はムタに追跡されていると述べました。
尚、ムタは信に敗れています。
肆氏の忠義
嬴政、壁、信、河了貂は楊端和を説得し、山の民と共に秦の首都咸陽を目指しました。
竭氏は嬴政が行方不明となれば、魏を攻撃中の呂不韋が攻めて来ると考え、兵を集めたわけです。
8万の軍勢を見た竭氏は呂不韋の20万の軍を殲滅するには、8万の兵では少なすぎると肆氏に竭氏は裏拳を入れ殴り、靴で肆氏の頭を踏みつけました。
現代でいえば上司のパワハラとなるはずです。
しかし、肆氏は竭氏の暴力があっても、裏切る事もせず、忠義を尽くす事になります。
王騎の件でも肆氏の洞察力の高さが分かりますが、肆氏程の能力のある人がなぜ竭氏に忠義を尽くすのか疑問が湧く部分でもあります。
竭氏はさらに、肆氏に10万の兵を集める様に命じました。
肆氏の洞察力の高さ
竭氏は兵士がもっと欲しいと思っていましたが、ここで山の民が咸陽を訪ねて来ました。
竭氏は少しでも兵が欲しいと考えており、成蟜に無断で城内に呼び込んでいます。
勿論、この中には嬴政、壁、信、河了貂、昌文君らも混ざっており、城中で乱を起こし成蟜と竭氏の首を狙っていました。
山の民の集団を肆氏は配下の左慈や魏興らと見物していましたが、楊端和や山の民が何故、今さら秦に味方するのか考えていたわけです。
行列を眺めていた肆氏ですが、山の民の中にキラッとした光物を持っている者がいる事を発見します。
この瞬間に肆氏は山の民が反乱を起こすと察知しました。
肆氏は光物の正体が甲冑だと判断したわけです。
キングダムの話の展開だと、肆氏は直ぐに兵を集めに向かったと言えるでしょう。
嬴政の正体を見破る
案の定、山の民は乱を起こし竭氏は馬車で逃げますが、絶体絶命のピンチとなります。
ここで登場したのが兵を率いた肆氏であり、間一髪で竭氏は助かりました。
さらに、「山の民を動かせる平地の者などそうはいない」と述べ、背後に嬴政がいる事を告げたわけです。
肆氏が「大王嬴政」の名を口にすると、嬴政は姿を現しました。
ここでも肆氏の洞察力は光りました。
嬴政が囮となり信や山の民のバジオウ、タジフらは右龍からの元を目指しますが、肆氏は右龍には屈強な左慈を配置していたわけです。
中央では肆氏や魏興が率いる軍と嬴政、昌文君、楊端和らの軍で乱戦となりました。
肆氏の計算に狂いが生じる
右龍にいた左慈は信に討たれましたが、この間も肆氏は嬴政の軍と戦っていました。
嬴政が馬上の魏興に追い詰められ昌文君が救うシーンもありましたが、嬴政は叫び軍の士気を上げています。
これを見た肆氏は「いい王だ」と述べ嬴政を認めますが、さらなる精鋭が到着し、嬴政を討とうとします。
尚、この時に肆氏の頭の中では左慈が信などの山の民の別動隊を殲滅したと思っていましたが、実際には既に左慈は討たれており、山の民の別動隊は成蟜のいる本殿に向かっていました。
この時点で肆氏の計算に狂いが生じていたと言えるでしょう。
敗北
信ら別動隊は成蟜の部屋まで辿り着き、ランカイを倒し騰の登場もあり、竭氏は最後を迎えました。
ランカイが敗れ竭氏が討たれた事で、成蟜は冷静さを無くし外に出ると、肆氏はまだ戦っていたわけです。
肆氏は成蟜の異様な姿に気付き本殿で何があったのか確認すると、右龍から敵が現れ竭氏も討たれたと告げました。
肆氏は右龍の左慈が討たれた事を驚きますが、竭氏が「万が一にも生きているのか可能性」がある事を確認しますが、成蟜は「首だけになって生きれる人間がいるか!!」と述べ、この瞬間に主の竭氏が世を去った事を悟ります。
肆氏は敗北を悟りますが、成蟜は剣を出し「何とかせぬか」と述べた所で、突然、王騎が現れました。
魏興が馬上から王騎に襲い掛かりますが、一撃で敗れ、竭氏の首が届けられ、成蟜の負けが決定したわけです。
肆氏が大王派となる
嬴政は竭氏を破り秦の大王に返り咲きますが、次は呂不韋との政争が予想されていました。
こうした事情もあり、竭氏との戦いは竭氏一党の内部抗争という事となり、竭氏一党の大部分が許される事になります。
竭氏の勢力は肆氏が引き継ぐ事になります。
嬴政は肆氏と戦っており、能力の高さを認知していたのでしょう。
キングダムの読者の方々も肆氏は能力だけではなく忠誠心も高く、納得の判断に思えたのではないでしょうか。
王都奪還編が終わると肆氏は嬴政の家臣となったわけです。