
| 名前 | シュイリシュ |
| 生没年 | 不明 |
| 時代 | メソポタミア文明 |
| 国 | イシン第一王朝 |
| コメント | ウルの王を名乗りナンナ神像を取り戻した。 |
シュイリシュはイシン第一王朝の二代目の君主です。
父親のイシュビエッラの時代に、エラム人によりウル第三王朝が崩壊しました。
イシュビエッラはウルは奪還しましたが、ウルの都市神であるナンナ神像はエラムに持ち去られたままでした。
シュイリシュはエラムからナンナ神像を取り戻した王とも知られています。
ただし、エラムを戦いで破りナンナ神像を取り返したのではなく、外交により平和的に取り戻したのではないかと考えられています。
ウルの王を名乗る
イシュビエッラが亡くなると、子のシュイリシュが即位します。
イシン第一王朝の本拠地はイシンであるにも関わらず、シュイリシュはシュメールの王、アッカドの王だけではなくウルの王を名乗りました。
このことから、イシン第一王朝がウルの権威を利用したと分かります。
シュイリシュの名前の意味は「彼の神に属する者」です。
彼は皇太子の時代から将軍としても活躍していた事が分かっています。
ナンナ神像の奪還
シュイリシュにとって最大の問題は、ナンナ神像がエラムに奪われていることでした。
父親のイシュビエッラの時代にウルはエラムから奪還していましたが、ナンナ神像はエラムに持ち去られたままでした。
彼はナンナ神像を取り戻すことに成功します。
古代メソポタミアにおいて、王の治世に起きた重大な事件(戦争の勝利や神殿の建設)は、その年の「年号(元号)」として公に記録されるのが通例でした。
しかし、2代目シュイリシュ王による「ナンナ神像の奪還」という国家的な大快挙の年において、エラムを武力で討ち破ったという軍事的な年名は一切存在していません。
この事実に基づき、シュイリシュ王は武力衝突を選んだのではなく、「エラム王国に対して莫大な貢物を進上する、あるいは外交的な条約を結ぶことによって、政治的に神像を買い戻した(奪還した)」という説が有力視されています。
こうした事情から、シュイリシュの時代からエラムとは敵対から友好に、シフトしたとみる事が出来ます。
シュイリシュが亡くなるとイッディンダガンが後継者となりますが、イシン第一王朝はさらに発展する事になります。