
| 名前 | ヤムスム |
| 生没年 | 不明 |
| 時代 | メソポタミア文明 |
| 国 | ラルサ王朝 |
| コメント | ラルサ王朝の二代目 |
ヤムスムはメソポタミア南部のラルサ王朝の二代目とされている人物です。
ラルサ王朝の二代目となっていますが、初代のナプラヌムとの関係もはっきりとしません。
さらに言えば、ラルサ王朝三代目のサミウムとヤムスムの関係も不明です。
イシン第一王朝の記録に38名のアムル人がおり、この中にヤメスムなる人物が含まれており、ヤムスムと同一人物ではないかと考えられています。
アムル人のヤメスム
イシン第一王朝の建国者イシュビエッラが、38人のアムル人に対して同時に恩賞を与えたという記録が存在します。
この38名の中に「ヤメスム」という名が含まれています。
歴史学的な見解として、この「ヤメスム」はラルサ王朝の第2代王とされる「ヤムスム」と同一人物であると考えられています。
この同一視に基づくと、当時のヤムスムの立場について以下の疑問が生じます。
ヤムスムが独立した都市国家ラルサの「王」であったならば、イシュビエッラから他者のアムル人と一括りで恩賞を受けるという状況は不自然です。
38名のうちの一人に過ぎないという事実は、彼が当時、独立した主権者というよりは、イシュビエッラの指揮下、あるいは影響圏内にいた「多くのアムル人首長の一人」であった可能性を示唆しています。
ヤムスムの活動
初期のラルサとイシン第一王朝の間には、イシン第一王朝がラルサへ武器を輸送したなど、協力関係を示す記録が残されています。
この時期のヤムスム(ヤメスム)は、ラルサ近郊に拠点を置くアムル人集団の頭領であり、イシンの影響下で活動していた可能性が指摘されています。
ただし、記録上の「ヤメスム」とラルサ王「ヤムスム」が同一人物であるかについては、依然として慎重な検証が必要です。
ラルサの初代王とされるナプラヌムと、第2代王ヤムスムの関係については、史料が限られており明確ではありません。
当時のアムル人社会の慣習に基づき、ナプラヌムとヤムスムが親子関係にあり、世襲によって地位が継承されたとする推察もなされています。
しかし、これを直接的に証明する同時代の史料は見つかっていません。
イシンとラルサの興隆に深く関わったウル第三王朝は、最終的にエラム人の侵攻によって滅亡しました。
| 先代:ナプラヌム | ヤムスム | 次代:サミウム |