
| 名前 | アメンエムハト3世 |
| 時代 | エジプト中王国 |
| 王朝 | エジプト第12王朝 |
| 一族 | 父:センウセレト3世 配偶者:ヘテプティ、アアト |
| 子:アメンエムハト4世?、セベクネフェル、ネフェルプタハ | |
| コメント | エジプト中王国の最盛期のファラオ |
アメンエムハト3世はエジプト第12王朝のファラオです。
この時代にエジプト中王国は全盛期を迎えました。
エジプト中王国時代の最も反映した時代の王がアメンエムハト3世だったと言えます。
センウセレト2世の時代から熱を入れて始めたファイユーム地方の干拓は完成し、父親のセンウセレト3世が貴族たちの力を削いでおり、ファラオの力は極めて強いものでした。
アメンエムハト3世は2基のピラミッドも建設しており、財政的に潤っていた事は間違いないでしょう。
アメンエムハト3世の治世
アメンエムハト3世がファラオになると、50年の長きに渡ってエジプトを統治する事になります。
アメンエムハト3世の時代がエジプト中王国で最も繁栄した時代だと言われています。
古代エジプトはメソポタミアと異なり、外部勢力の侵入が比較的少なかったとされます。
また、ナイル川の定期的な氾濫によって土地が再生されるため、気候変動さえ起こらなければ社会は安定しやすかったと考えられています。
アメンエムハト3世の時代には、既に官僚機構が整備されており、内外の不安要素も少なく王権は強固でした。
父親のセンウセレト3世の働きも大きかったわけです。
先代のファラオ達の恩恵を最も受けたのがアメンエムハト3世であったと言えます。
アメンエムハト3世はエジプトの南方にあるヌビアの国境線を強化しました。
その結果、金、黒檀、象牙などのアフリカの産物を多く手に入れることが可能になりました。
シリアではビブロスの支配者がエジプトの役人として扱われ、交易網はアナトリアやバビロニアにまで広がっていた。
その結果、レバノン杉、オリーブオイル、ワイン、銀、さらにはシリア人奴隷など、多様な物資がエジプトにもたらされました。
アメンエムハト3世の時代にはファイユームの干拓事業が完成し、ナイル川では水量を調整する水門、堤防、水路などの建設も行われました。
ナイル川の治水により農地が6800ヘクタールも広がったと伝わっています。
こうしたことにより、王家の財政が豊かになり、中王国時代の全盛期が訪れました。
アメンエムハト3世のピラミッド
アメンエムハト3世はダハシュールに黒いピラミッドを、ハワラにもピラミッドを建設しています。
二基のピラミッドが建設されるのは、古王国時代のスネフェル以来であり、アメンエムハト3世の治世が安定していたことがはっきりと分かります。
先王たちの努力の恩恵を最も受けたのがアメンエムハト3世でした。
ハワラのピラミッド葬祭殿は、迷路のような構造であり、ギリシア人からは「ラビリントス」と呼ばれています。
ヘロドトスやプリニウス、ストラボンといった人物がその仕組みに驚愕したと言われています。
ヘロドトスはラビリントスを目撃し、記録していましたが、近代になるとその場所が分からなくなってしまいました。
しかし、ヘロドトスはラビリントスについて「人口湖であるモエリス湖の近く」「ワニを崇拝する土地にある」と記しており、
この条件に合致する場所を1843年にレプシウスが特定しました。
その後、ピートリーが発掘調査を進め、砂に埋もれていた巨大な像や円柱の残骸などを発見しています。
ピートリーの推定では、ラビリントスは大規模な神殿三つ分に相当する広さを持っていたとされています。
ハワラのピラミッドは盗掘されない様に、落とし戸やダミーの扉など様々な仕掛けを作りましたが、結局は破られてしまったという現実があります。
ピラミッドを盗掘者から守り抜くのは至難の業でもあるのでしょう。
アメンエムハト3世は死後、ハワラのピラミッドに埋葬されたと伝えられています。
盗掘を防ぐために落とし戸や偽扉などの仕掛けが施されていましたが、最終的には破られ、墓は盗掘されてしまいました。
王の玄室は水没していたため、潜りながらの大規模な捜索となり、王と王女の棺が見つかりました。
ダハシュールの黒いピラミッドは王の墓とはせず、二人の王妃や王族6人を安置しています。
そして、アメンエムハト3世の治世が終わると、急速にエジプト第12王朝は衰えていきます。
それと同時に、既にアメンエムハト3世の治世の後期には衰退の兆しが見えていたのではないでしょうか。