その他 三国志

陳応(ちんおう)は飛叉を武器に戦うも敗れる

2022年4月27日

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宮下悠史

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名前陳応(ちんおう)
登場三國志演義
主君趙範
コメント飛叉を武器とする武将
画像三国志(コーエーテクモゲームス

陳応は三国志演義で趙範の配下として登場した武将です。

陳応は正史三国志には名前が存在せず、三国志演義のオリジナルキャラクターだとされています。

三國志演義の設定によれば、陳応は飛叉(さすまた)と呼ばれる武器を使用した話があります。

主君の桂陽太守・趙範が趙雲に降伏しようと考えますが、陳応はタカ派であり交戦する様に主張しました。

しかし、趙雲には武芸で敵わず、最終的に策を弄しますが、結局は上手くは行かず処刑されています。

因みに、正史三国志で陳珪の子で陳登とは兄弟の「陳応」なる袁術の人質となった武将が存在します。

袁術の人質になった「陳応」と趙範配下の陳応は単なる同姓同名であり、別人だと考えた方がよいでしょう。

陳珪や陳登は名士であり、三国志演義に記述されている様に猟師の出身ではありません。

尚、陳応には相棒とも言える鮑隆がいますが、共に猟師出身という設定になっています。

余談ですが、陳応が使ったとされる飛叉と呼ばれる武器は、上記の様なものらしいです。

陳応の出陣

劉備は赤壁の戦い後に荊州四郡の制圧に乗り出します。

劉備は諸葛亮や趙雲、張飛の活躍もあり邢道栄劉賢を破り、零陵太守の劉度を降伏させる事に成功しました。

次に劉備陣営がターゲットにしたのが、趙範が太守を務める桂陽であり、ここで趙雲が自ら兵を率いて桂陽に出陣したいと述べます。

張飛も桂陽に行きたいと述べますが、くじなどを行った結果として、趙雲が三千の兵を率いて桂陽に進軍してきたわけです。

桂陽太守の趙範は武官たちを集めて軍議を開くと陳応と鮑隆が、次の様に進言しました。

陳応・鮑隆「劉備は謀反人であり、曹丞相(曹操)には憎まれております。

劉備と戦わぬ理由はありません。

我等両人が先陣となり、戦いとうございます」

陳応と鮑隆は後漢の丞相である曹操に劉備が憎まれている事を理由に、趙雲の軍と戦いたいと述べたわけです。

この時に趙範は、劉備は漢の皇叔で、諸葛亮には智謀があり、趙雲は長坂の戦いで見せた武勇を以っており、関羽と張飛には武勇があると述べます。

陳応や鮑隆は戦いを望みましたが、主君の趙範は趙雲に降伏したいと思っていたわけです。

しかし、陳応は諦めず、趙範に次の様に述べました。

陳応「私が趙雲の軍と戦い、私が敗れた時に降伏しても遅くはありません」

趙範は陳応の言葉に対し、反対する事が出来ずに、三千の兵を与えて出陣させる事にしました。

陳応が単独で趙雲の軍とぶつかる事になったわけです。

趙雲に敗れる

陳応は出陣し、陣形を整えると飛叉を持ち前に出ます。

趙雲も先頭に出て来ると、次の様に述べました。

趙雲「我が主君である劉備様は劉表様の弟でもあり、現在は劉琦殿を後見なさっている。

私は民を懐けるためにやって来たのである。

敵対する者は謀反人である」

趙雲は劉表と劉備、劉琦の関係を出し、荊州を領有する正統性を述べたわけです。

これに対し、陳応は次の様に返答しました。

陳応「我らが主君は曹操様である。劉備などという奴は聞いた事も無い」

陳応の受けごたえに激怒した趙雲は、陳応に向かって攻め寄せてきました。

趙雲が槍を持って攻撃すると、陳応は飛叉で反撃しています。

しかし、趙雲と陳応では実力の差がありすぎて4,5回打ち合っただけで、陳応は適わないと悟りました。

陳応は逃げ出し、趙雲が追って来ると飛叉を投げつけますが、飛叉は趙雲に受け止められ投げ返されています。

趙雲は逃げる陳応を捕まえ鷲掴みにし、地面に投げ捨てたわけです。

趙雲は陳応に対し、次の様に述べました。

趙雲「貴様の様な奴が相手になると思うな。

命は助けてやるから、さっさと趙範に降伏を勧めてこい」

趙雲の言葉で陳応は自陣に帰る事を許されました。

尚、陳応の兵士は陳応が捕虜になった時点で逃げ去っています。

趙雲に処刑される

陳応は趙範に戦いに敗れた事を報告すると叱責されて下がる事となります。

趙範は降伏を決断し、趙雲を城に招き入れ酒宴を開いています。

この時に、趙範は兄嫁で未亡人となっていた樊氏を趙雲に紹介しています。

樊氏はかなりの美貌を持っていましたが、女性を使った色仕掛けだと趙雲に思われた事で、趙雲は激怒しました。

この時に趙範が左右の者に趙雲を捕える様に合図した事もあり、趙雲は趙範を殴りつけ、趙範と趙雲の関係は絶縁したわけです。

困った趙範は陳応と鮑隆に相談する事となります。

この時に、陳応と鮑隆は趙雲に降伏すると見せかけ、趙雲の陣に向かいました。

趙雲は酒宴を開き酔った所で陳応と鮑隆を捕え尋問すると、策がバレてしまいます。

結局は、陳応と鮑隆は趙雲により処刑されてしまいました。

因みに、趙範はこの後に趙雲と戦いますが、戦いに敗れて捕虜となっています。

しかし、趙範は劉備諸葛亮により桂陽太守として復帰する事を認められました。

陳応は三国志演義の架空のキャラであり、趙雲を引き立たせる為に創作されたと言えるでしょう。

陳応の能力値

三国志14統率62武力72知力45政治27魅力40

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