
| 名前 | 鶏口牛後(けいこうぎゅうご) |
| 時代 | 春秋戦国時代 |
| コメント | 蘇秦が韓の恵宣王を説得した言葉 |
鶏口牛後の元になっている言葉は「鶏口となるも牛後となるなかれ」です。
春秋戦国時代に蘇秦が遊説を行った時に、韓の恵宣王を説得した言葉であり、史記や戦国策に記録されています。
「鶏口牛後」は巨大組織の末端にひっついているよりも、小規模な組織でもトップであった方がよいとする故事成語でもあります。
蘇秦は「鶏口牛後」の言葉が決め台詞になったのか、韓の恵宣王の説得に成功し、六国の合従に加える事に成功しました。
今回は鶏口牛後の由来や意味を解説します。
鶏口牛後の由来
蘇秦の遊説
鶏口牛後の逸話の由来は、史記や戦国策の蘇秦の発言によるものです。
蘇秦は鬼谷子の弟子となり、後に揣摩の術を完成させ、諸国を遊説しました。
蘇秦の目的は秦意外の六国(韓、魏、趙、燕、斉、楚)を合従させ、出世する事にあったわけです。
燕の文公に認められた蘇秦は、趙の粛侯も説得に成功し、韓の恵宣王とも会見を行う事になりました。
ここで、蘇秦の口から鶏口牛後の言葉が出る事になります。
鶏口牛後と蘇秦の説得
蘇秦は六国の王と交渉を行いますが、この中でも特に難しいとされていたのが韓となります。
韓は秦に国土の一部が国境に接しており、秦の脅威を受けやすい国でした。
それと同時に魏に比べると、反秦感情が少なく交渉が難しい相手でもあったと言えるでしょう。
蘇秦は韓の恵宣王との交渉で、韓の恵宣王の賢明さと、韓の長所を並べ立て「これで秦に屈していたら天下の笑い者になってしまう」と、心をくすぐる様な発言をしました。
貪欲な秦に従っても国土の割譲を求められるだけで、韓の国土は無くなってしまうと恐怖を煽る様な事も述べています。
こうした中で蘇秦は韓の恵宣王に「鶏口となるも牛後となるなかれ」と伝えました。
韓の恵宣王との交渉で、蘇秦が最期に行ったのが鶏口牛後の言葉となります。
決めの言葉でもあったのでしょう。
蘇秦は「牛の様に巨大な秦の末端組織でいるよりも、小さな鶏であってもトップにいた方が良い」と述べたわけです。
鶏口となるも牛後となるなかれの言葉が略され「鶏口牛後」の故事成語となりました。
韓の恵宣王は鶏口牛後の言葉に納得したのか、蘇秦が主催する合従に加わる事を約束しました。
蘇秦は韓を後にすると、魏の襄王、斉の宣王、楚の威王を説得し、六国の合従を成立させています。
後に張儀が連衡の同盟を成立させる為に、韓王と会見を行いますが、この時に張儀は韓の弱点を指摘し、秦の強大さや合従論者の言っている事は「甘言」と述べ、連衡に加わる様に説得しました。
鶏口牛後の意味
鶏口牛後の意味を考えると、蘇秦は韓の恵宣王に「牛の様に大きな秦の後に尻尾の様にくっついているよりは、小国ではあるかも知れないが六国の王となった方がいい」伝えた事になります。
先にも述べた様に、鶏口牛後の意味は「大組織の末端にいるよりも、小さな組織でもトップにいた方がよい」とする例えになっているのは明らかでしょう。
大きな組織の駒でいるよりも、小さな組織でもトップにいた方がよいとする意味にもなります。
鶏口牛後は本当なのか
鶏口牛後の話が本当なのかですが、現代で考えればケースバイケースだと言えます。
大企業の末端の平社員と、中小企業のトップを比べた場合ですが、気楽さで考えれば大企業の平社員の方が遥かに上だと感じました。
中小企業であれば、うまく回っていれば全然問題ないと思いますが、上手く回らなくなるとかなり苦しいはずです。
韓の国は秦に徐々に国を削られて行き、韓王安の代で滅亡しました。
最後の韓王である韓王安は、かなり苦しい気持ちであり、鶏口牛後で考えれば秦の末端の役人の方が幸せだった可能性もあると感じています。
蘇秦の鶏口牛後の目的はあくまでも、六国の同盟の成功にあり、どの場面でも鶏口牛後が役立つとは限らないはずです。