名前 | 劉賢(りゅうけん) 別名:劉延 |
生没年 | 不明 |
登場 | 三國志演義 |
勢力 | 劉度 |
画像 | 三国志(コーエーテクモゲームス) |
劉賢は三国志演義に登場する架空のキャラクターです。
三國志演義の設定では、劉賢は零陵太守・劉度の息子となっています。
正史三国志を見ると劉度は、劉備に降伏した事だけが記述されており、劉賢の名は登場しません。
劉賢は邢道栄を推挙し、劉備に抵抗するなど主戦派として登場します。
邢道栄が敗れ諸葛亮の策略に利用された事で、劉賢も最後は降伏しました。
劉賢が敗れた事で、劉度も降伏も決めるなど、劉賢が零陵の実質的な総大将ともみる事も出来るはずです。
今回は荊州四英傑・劉度の子である劉賢の解説をします。
尚、三国志演義のバージョンによっては劉賢ではなく「劉延」の名前で登場したりします。
岩波文庫の「完訳三国志」では劉延の名前が使用されていました。
邢道栄を推挙
赤壁の戦いは呉の周瑜が大都督となり、黄蓋の火計が成功した事で、孫権・劉備連合軍の勝利となりました。
周瑜は呂蒙や甘寧らと共に曹仁が籠る江陵を攻撃し、劉備は荊州四郡の平定に取り掛かります。
この時に劉備は伊籍の推薦で馬良を配下に加え、関羽に荊州の留守番を任せ劉備、諸葛亮、趙雲、張飛で零陵に押し寄せて来ました。
この時に、零陵太守の劉度に劉賢は万夫不当の勇者として、邢道栄を推挙しています。
邢道栄は劉度に古の廉頗や李牧に匹敵する猛者だと述べ、出陣を許されています。
しかし、邢道栄の実力は趙雲や張飛に大きく劣っており、呆気なく捕らえられてしまいました。
捕らえられた邢道栄は、劉賢の陣に夜襲を掛けてくれれば、自分が寝返り劉賢を捕えると述べ、釈放されています。
ただし、これは諸葛亮の策であり、邢道栄の降伏が偽りだと考え、策に利用される事となります。
劉賢が捕らえられる
邢道栄は劉賢の陣に戻ると、劉備軍が夜襲を仕掛けてくる事を告げ、次の様に述べています。
邢道栄「劉備軍の夜襲を逆に利用しましょう。
陣の外に伏兵を置き、陣屋には旗印を多く立てておきます。
孔明(諸葛亮)が夜襲に来た所で、伏兵を繰り出し捕虜にすべきです」
劉賢は邢道栄の策を了承し、敵の夜襲に備えて伏兵を配置しました。
劉賢と邢道栄は劉備軍の夜襲部隊を急襲し、追撃を行います。
しかし、追撃の最中に夜襲部隊が見えなくなり、劉賢は危険を感じ邢道栄に撤退を命じました。
劉賢と邢道栄が戻って来ると、自分達の陣には張飛が待ち構えており、劉賢は適わないと感じたのか、進路を変え諸葛亮の陣を襲おうと考えます。
劉賢と邢道栄は方向転換したわけですが、今度は趙雲に出くわしてしまいました。
邢道栄は趙雲に一撃でやられてしまい、劉賢は方向転換しますが、張飛に出くわして捕らえられてしまいます。
劉備の配下となる
劉賢は張飛に捕らえられ諸葛亮の陣まで連れて来られると、次の様に述べています。
劉賢「我が軍が交戦したのは邢道栄がさせた事であり、本心ではございませぬ」
劉賢は「死人に口なし」と思ったのか邢道栄の責任としてしまったわけです。
しかし、諸葛亮は劉賢に酒を飲ませ接待し、解放しています。
諸葛亮は劉賢に劉度を降伏させる使者となる様に述べ、劉度が降伏しない場合は城攻めを行い一族皆殺しにすると述べました。
劉賢は既に戦意は無かった様で、父親の劉度に降伏を勧め、劉備は零陵を取る事に成功したわけです。
劉度が降伏すると、劉賢は劉備に仕える事となり、荊州の軍務に就く事となります。
尚、これ以降に劉賢の出番はなく、最後の姿も描かれていません。
零陵を降伏させた劉備の一行は趙範、金旋、韓玄を倒し、荊州四郡を手に入れる事となります。
劉賢の能力値
三国志14 | 統率54 | 武力66 | 知力51 | 政治42 | 魅力52 |