名前 | 誓約(うけい)、宇気比と書かれる場合もある |
場所 | 天の安の河(高天原) |
道具 | 十拳の剣、八尺の勾玉 |
交戦勢力 | 天照大神、スサノオ |
勝敗 | 天照大神がスサノオに勝ちを譲った?? |
コメント | スサノオが身の潔白を証明する為に行った |
誓約は天照大神とスサノオが、天の安の河で行った神々を誕生させた占いです。
誓約の結果として、スサノオの十拳の剣から三柱の女神が生まれ、天照大神の八尺の勾玉から五柱の男神が誕生しています。
天照大神の八尺の勾玉から誕生した「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」が天皇家に繋がっていく事になります。
誓約に関して言えば、天照大神とスサノオで互いのアイテムを交換して行った事が記されていますが、なぜ互いの持ち物を交換したのかは不明です。
一説によれば、持ち物の交換はイカサマ防止とも考えられています。
今回は天照大神とスサノオの間で行われた、身の潔白を証明する為の占いである誓約を解説します。
平安時代の初期に書かれた古語拾遺には、古事記や日本書紀とは違った誓約の話があり、合わせて紹介します。
尚、天照大神とスサノオの誓約が三月三日に行われているひな祭りを指すとする説も存在している状態です。
誓約を行った背景
イザナギは黄泉の国から帰った後に、三貴士(天照大神、月読命、スサノオ)を誕生させています。
この時に、スサノオは海原を任されますが、任地に行かず泣き叫んだ事で、イザナギに追放されてしまいました。
スサノオは根の堅州国に行こうとしますが、その前に高天原にいる天照大神の元に挨拶に行く事にしました。
天照大神はスサノオがやってきた話を聞くと武装して待ち構え、そこにスサノオがやって来たわけです。
武装した天照大神に対し、スサノオは身の潔白を証明する為に、誓約を行う事を提案しました。
天照大神も誓約を了承した事で、スサノオと天照大神で誓約を行う事になります。
天照大神はスサノオの心を見る為に、誓約を行ったともされています。
しかし、古事記だと誓約をするにあたって勝敗のルールを決めていなかった話もあり、これが天照大神のミスだと指摘される場合もあります。
ただし、日本書紀だと男神が生まれたら、身の潔白が証明された事になるルールとなっており、古事記とは内容が異なっています。
天照大神とスサノオは、天の安の河を間に挟んで誓約をする事になりました。
尚、宮崎県高千穂町の天岩戸の近くに実在する、仰慕窟が天照大神とスサノオが誓約を行った天の安の河だとする説もある様です。
因みに、天岩戸神社の奥に、仰慕窟があり観光も出来る様になっています。
神社名 | 住所 | 電話番号 |
天岩戸神社 | 〒882-1621 宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1073−1 | 0982-74-8239 |
天照大神とスサノオの誓約対決
天照大神の誓約
天照大神とスサノオが誓約を行う事となり、天照大神はスサノオに十拳の剣を貸して欲しいと述べます。
スサノオが天照大神に十拳の剣を渡すと、天照大神は十拳の剣を3つに折り、さらに口の中で噛み砕きました。
これを考えると、既に天照大神が既に人間離れしている事が分かります。
天照大神が噛み砕いた物を口から吹き出すと、宗像三女神が誕生したわけです。
宗像三女神は下記の女神となります。
・タキリビメ
・イチキシマヒメ
・タギツヒメ
タキリビメ、イチキシマヒメ、タギツヒメらは、いずれも海と関連する女神となります。
スサノオはイザナギに海原を任された話があり、スサノオの十拳の剣からは海に関わる女神が生まれたのでしょう。
尚、宗像三女神のタキリビメは、スサノオの六代後の子孫である大国主に嫁いだ話があります。
スサノオの誓約
スサノオは天照大神に、八尺の勾玉を預けて欲しいと望みます。
スサノオは八尺の勾玉を受け取ると、八尺の勾玉を口の中で噛み砕き、数度に渡り吐き出しました。
すると、スサノオの口の中から五柱の男神が誕生したわけです。
天照大神の八尺の勾玉からは、生まれた五柱の男神は、次の通りです。
・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
・天之菩卑能命
・天津日子根命
・活津日子根命
・熊野久須毘命
この中で正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命が、天皇家と直結する神様となります。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は略して、天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)と呼ばれるのが普通です。
アメノオシホミミの子が天孫降臨で有名な瓊瓊杵尊であり、日向三代を経て神武天皇に繋がっていきます。
スサノオも天照大神の八尺の勾玉から、無事に男神を誕生させる事に成功しました。
勝負の行方
天照大神はスサノオが「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」を誕生させた時点で、勝利を確信したとする説があります。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命の名前には、下記の部分があります。
正勝吾勝勝速
上記の部分が「正に勝った。吾(われ)が勝った。速やかに勝った」とあり、天照大神は勝利を確信したともされてるわけです。
しかし、スサノオは天照大神に対し、次の様に発言しました。
スサノオ「私の心は清く正しかった。それ故に三人の優しき女神が生まれたのだ。私が勝負に勝利したのだ。」
古事記によれば、スサノオが強引に勝ちを主張し、高天原に残る事になったわけです。
天照大神もスサノオの言っている事が一理あると思ったのか、勝ちを譲る形となります。
尚、天照大神の提案により、スサノオの十拳の剣から生まれた宗像三女神はスサノオの娘となりました。
逆に天照大神の八尺の勾玉から生まれた正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命らは天照大神の息子となったわけです。
天照大神の子はスサノオとの誓約で誕生した五柱の男神だけですが、スサノオは高天原を追放された時に、五十猛命と新羅に舞い降りた話があります。
五十猛命はスサノオの子とされていますが、どの様に誕生したのかは不明です。
誓約の結果
誓約の結果として、スサノオは身の潔白が証明されたとして、高天原に残る事になります。
ただし、誓約に関しては、スサノオの身の潔白を証明する為であり、天照大神がスサノオと誓約の対決をする必要がないとも考えられます
必要のない勝負をアマテラスが行ってしまい、結果として敗れたと考える人もいるようです。
尚、高天原に残ったスサノオは数々の狼藉を働き、嫌気が指した天照大神が天岩戸に隠れてしまいます。
天照大神が誓約で勝ちを正式に主張しなかった事で、多くの神々が迷惑を被っています。
機織り小屋で仕事をしていた天服織女に至っては、命を落とす結果にもなってしまいました。
天照大神がスサノオに勝ちを譲ったのは、後の事を考えればスサノオが増長する結果にもなっていますし、悪手だったと言えるでしょう。
スサノオ自身も結局は、神々に高天原を追放されている事を考えれば、天照大神が誓約で勝ちを意地でも主張すべきだったと述べる人もいます。
ただし、スサノオは追放された後に、出雲に舞い降りると、八岐大蛇を退治するなどもあり英雄となっています。
天照大神とスサノオの関係
天照大神とスサノオはイザナギが禊を行った時に生まれたのであり、姉と弟の関係です。
天照大神とスサノオの間に、子が出来た事を考えると、姉と弟が交わり子が出来た事になってしまいます。
現代で考えれば問題行為にもなるはずです。
しかし、後にスサノオは八岐大蛇を退治しますが、その後にクシナダヒメを妻に迎えています。
スサノオはクシナダヒメと「まぐわい」を行い、八島士奴美神を誕生させています。
スサノオとクシナダヒメは男女の関係で子を作っているわけです。
それを考えると男女の交わりと誓約で子を作るのは別物であり、天照大神とスサノオが「よからぬ関係」になったのではないとする説もあります。
しかし、誓約というのは「まぐわい」に比べれば、非常に分かりにくい要素が多いと言えるでしょう。
古語拾遺
古語拾遺は平安時代初期に、斎部広成が著したとされています。
古語拾遺によればスサノオは、天照大神に八尺瓊勾玉を献上する為に現れました。
そこで、スサノオと天照大神が誓約を行うと、天祖吾勝尊(アメノオシホミミ)が誕生したわけです。
天照大神は天祖吾勝尊を愛し可愛がります。
古語拾遺の記述を考えると、天皇家に繋がる天之忍穂耳命はスサノオの子であり、天照大神の養子とも取れるわけです。
古語拾遺は天皇に献上されたわけですが、これだと血統としてはスサノオの血筋をなってしまう事になります。
しかし、古語拾遺が天皇に献上されても問題がなかったわけであり、少なくとも奈良時代や平安時代の初期では、天皇家はスサノオの子孫だとしても問題がなかった事になるでしょう。
竹内文書の誓約(追記)
竹内文書は偽書とも極秘口伝とも言われており、信憑性には疑問を持たれている書物です。
しかし、竹内文書にも誓約に関する記述があるので紹介します。
竹内文書によれば天照大神の国と、スサノオの国が戦争となった話があります。
天照大神とスサノオの戦争では、天照大神が敗れスサノオの国が勝利しました。
竹内文書によれば誓約は戦争後の、天照大神の国とスサノオの国の和解を示していると言うのです。
さらに、天照大神とスサノオは結婚しますが、天照大神の夫は先のスサノオとの戦争で死亡しており、天照大神はスサノオを憎んでいました。
竹内文書では天照大神の前の夫が、天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)だと言うのです。
天之忍穂耳命は古事記では誓約で誕生した天照大神の長男で、「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」とも呼ばれています。
さらに、竹内文書では古事記などで誓約で誕生し、天之忍穂耳命の弟だとされる天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命らは、天之忍穂耳命と天照大神の子だと記述されています。
因みに、古事記や日本書紀の誓約で、スサノオの十拳の剣から誕生した宗像三女神が天照大神とスサノオの子となっています。
竹内文書には古事記や日本書紀とは全く別の話が書かれていますが、偽書としてのイメージが強く陰謀論やオカルトの世界の話になってしまうわけです。
そもそも神話の世界は、どこまでが本当なのか分からない部分も多いと言えます。