その他 三国志 後漢

楊慮は17歳で百人の弟子がいた

2023年3月26日

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宮下悠史

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名前楊慮(ようりょ) 字:威方
生没年不明
時代三国志、三国時代
一族弟:楊儀 宗族:楊顒
コメント17歳で夭折した神童

楊慮は正史三国志の楊儀伝の注釈・楚国先賢伝などに登場する人物です。

楊慮は蜀漢に仕えた楊儀の兄であり、襄陽郡の出身となります。

弟の楊儀は性格に問題を抱え魏延と度々トラブルとなり、能力はありながらも性格が足を引っ張り諸葛亮の後継者にはなれませんでした。

それに対し、楊慮は夭折しましたが人柄が大変優れていた様であり「徳行楊君」と呼ばれた話があります。

楊慮は17歳で亡くなってしまうわけですが、弟子が100人もいた話があり、それが本当であれば神の如き人物だとも言えるでしょう。

尚、楊慮の弟子としては許汜の名前が挙がっています。

普通に考えれば、徳行楊君の名前からして郷里では期待の星だったようにも感じました。

しかし、楊慮は弟子は多く持ちましたが、仕官せずに、この世を去っています。

尚、楊慮や楊儀の宗族として楊顒がいる事も分かっています。

今回は17歳で夭折し、弟子を百人作った記録がある楊慮を解説します。

江南の第一人者

楚国先賢伝によれば、楊慮は若くして徳行があり、江南の第一人者とされたとあります。

徳行があるとは書かれていますが、どの様な徳行が楊慮にあったのかは記載されておらず分かっていません。

楊慮は高く評価されており、若くして中央政府の三公から召し出されたとあります。

しかし、楊慮は州や郡からの招聘も辞退し、仕官を受け入れる事はありませんでした。

それでいて、楊慮は百人の弟子がいた話があります。

百人の弟子は楊慮から学問や礼節などを教わっていたのでしょう。

人々は楊慮を讃え「徳行楊君」と呼びました。

しかし、楊慮は17歳で夭折したとあり、若くして亡くなったと言えるでしょう。

三国志では曹操の子で夭折した曹沖なども神童ぶりを見せていますが、楊慮も記録が本当であれば、神童だったと言えます。

楊慮の記録は本当なのか?

楊慮ですが、流石に17歳で百人の弟子は無理があると感じている人が多いようです。

楊慮が賢かった事は事実だと思いますが、流石に17歳で百人の弟子を持つのは難しいと思いました。

現代と三国志の世界を混同してはいけないのかも知れませんが、未だに自分は10代で100人の弟子どころか5人の弟子を持った人もみた事がありません。

楊慮の弟子として許汜の名前が挙がっていますが、許汜は呂布の配下として王楷と共に袁術に救援要請に行った話があります。

しかし、許汜と王楷の説得で袁術は救援する構えを見せたにすぎず、呂布は滅び許汜は劉表の元に逃亡しました。

許汜は荊州で陳登の事を傲慢だと述べ、劉備に無能扱いされてしまった逸話があります。

許汜が陳登を傲慢だと述べたのは、師匠である楊慮が「徳行楊君」と呼ばれる程の人柄であり、それに比べ陳登の態度が傲慢だと指摘したのかも知れません。

楊慮は仕官せず功績を残せませんでしたが、郷里では優秀な人で期待する人も多かったのでしょう。

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