名前 | 天地開闢 |
読み方 | てんちかいびゃく |
登場 | 古事記、日本書紀など |
コメント | 日本神話における天地創造の話 |
天地開闢は日本神話の始まりであり、世界の創生でもあります。
天地開闢は日本神話における天地創造と言ってもよいでしょう。
日本神話と言えば古事記と日本書紀が有名ですが、天地開闢のシーンは古事記と日本書紀で異なります。
古事記の天地開闢は天と地が分かれたと思ったら、直ぐに天之御中主神が現れ造化三神が現れては消える流れとなります。
それに対し、日本書紀では天と地が分かれる前の状況を説明して、漸く神が登場します。
しかし、日本書紀の天地開闢の話しでは造化三神ではなく、国之常立神が現れるなど、古事記と日本書紀で違いがあります。
尚、世界の天地創造の話しでは一神教の世界を中心に「神が世界を創造した」となっているものが多いのですが、日本神話では天地開闢の後に、神が突然現れた様な内容となっています。
今回は日本神話の創生の話しでもある天地開闢の解説をします。
古事記の天地開闢
古事記の天地開闢は、かなりシンプルに描かれているのが特徴です。
古事記では「天と地がはじめて開けた時」と前置きした上で、最初の神である天之御中主神が登場します。
天之御中主神は現れたと思ったら、直ぐに消えてしまうのですが、これ以後に二度と登場しません。
天之御中主神は天の中心という神ではありますが、天地開闢の時以外では二度と姿を現さないという事です。
天之御中主神の次に高御産巣日神、続いて神産巣日神が登場しますが、この二柱も直ぐに姿を消しました。
ただし、高御産巣日神と神産巣日神は「隠れた」とありますが、天地開闢の後の物語にも普通に登場します。
高御産巣日神は天照大神と相談し大国主から地上を奪おうとするなど野心を見せ、神産巣日神はスサノオに斬られたオオゲツヒメから五穀の食料を取り出すシーンがあります。
造化三神が隠れると宇摩志阿斯訶備比古遅神と天之常立神が現れますが、直ぐに隠れてしまいました。
造化三神と宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神ら五柱を別天神と呼びます。
尚、天地開闢に登場した別天神と呼ばれる神々は人間の姿として描かれる事もありますが、実際には人間の姿をしておらず男女の性別も持たない独神だったと伝わっています。
これが古事記の天地開闢の話しであり、直ぐに神世七代の話に移行します。
日本書紀の天地開闢
天地開闢以前
古事記の天地開闢では、いきなり天と地が誕生しましたが、日本書紀では天地開闢以前の描写が描かれています。
※日本書紀より 神世上より
昔、天と地が分かれておらず、陰陽の別れも存在せず鶏の卵の中身の様な固まっていない状態でした。
こうした中で、僅かに暗くぼんやりと何かが芽生えを起こしてきた。
日本書紀は天と地が分かれる天地開闢の前の状態から始まり、まだ神も誕生してはいないわけです。
卵の中のドロドロとした何もない様な状態の中で、自然に何かが出てきた事になります。
日本神話における天地開闢は無から有が誕生した事になります。
天地開闢の瞬間
天地開闢の前に何かが芽生えたわけですが、日本書紀では次の様に書かれています。
やがて澄んで明らかなものは、昇りたなびいて天となり、重く濁った部分は下を覆い滞って大地となった。
日本書紀では天と地は最初は一つであったが、何かが上昇して天となり、残ったものが地になったとあります。
これが日本書紀における天地開闢なわけです。
古事記ではいきなり天と地が別れて「天地開闢」となりますが、日本書紀だと天地開闢までの描写が描かれています。
それでも、天地開闢により世界が誕生したとも言えます。
不安定な天地
天地開闢により天と地が誕生しましたが、天地共に不安定な状態でした。
日本書紀には、次の記述が存在します。
澄んで明らかなものは、一つにまとまりやすかったが、重く濁ったものは固まるのに時間が掛かった。
故に天が先に完成し、大地はその後に出来た。
そして、後から神がお生まれになった。
日本書紀では天地開闢の後に先に天が完成し、大地は後で出来上がったと書かれています。
日本書紀の記述だと大地は後から出来上がったとありますが、大地に関してはぶよぶよしている様な状態であり、中々完成しなかった様な描写があります。
しかし、天地開闢により神々が暮らす高天原も出来上がったと言えるでしょう。
日本書紀では天地開闢で天地が出来上がった後に、国常立尊が誕生する事になります。
古事記と日本書紀での違い
日本書紀では先に述べた様に、天地開闢があり天地が創造された後に、国常立尊が最初の神様として登場します。
それに対し、古事記では国常立尊(国之常立神)は造化三神に続く、神世七代の最初の神として登場しています。
それを考えると、古事記では天地開闢の話しが造化三神の話しとなっており、日本書紀と差異があります。
日本書紀では造化三神の話しが存在せず、いきなり神世七代の世界に突入するという事です。
尚、日本書紀には様々な言い伝えが記録されていますが、大半は天地開闢があり、大地が中々完成しない中で、神が誕生した話に繋がってきます。
因みに、平安時代初期に成立したとされる先代旧事本紀に掲載される天地開闢の話しは、日本書紀とほぼ同じ内容となっています。
天地開闢は実在したのか?
天地開闢が実在したのか?ですが、普通に考えれば誰かが創造したものだと考えるのが妥当なはずです。
もちろん、天地開闢が超弦理論を表しているとか、ビッグバンを表しているなどの説も存在しています。
しかし、天地開闢の瞬間を見た者はおらず、説話に過ぎないと感じました。
それでも、天地開闢の話しは人々が想像力をよく搔き立てた内容になっていると言えるでしょう。