キングダム

関常は軍略に通じた仕事人

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宮下悠史

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名前関常(かんじょう)
登場キングダム
所属玉鳳隊
コメント玉鳳隊を支える仕事人

関常は漫画キングダムに登場する架空の人物です。

著雍の戦いの少し前に王翦の軍から、王賁の玉鳳隊に移籍しました。

関常は軍略にも通じており、王賁が相手であっても遠慮なく物申す人物でもあります。

王賁のやり方を最初は危ぶんでいましたが、後には認め素直に従う様になります。

関常はキングダム公式ガイドブックにも「仕事人」とも書かれており、玄人好みの活躍を見せてくれる人物です。

尚、関常のモデルがスキマスイッチの常田真太郎さんだとする話は有名でしょう。

スキマスイッチの「マ」を「間(かん)」にし、中国人っぽく「関」に代え、常田真太郎さんの「常」の文字を組み合わせ「関常」が誕生したとの事です。

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関常と著雍の戦い

玉鳳隊に加わる

関常は著雍の戦いの半年ほど前に玉鳳隊に加わる事になります。

王翦の軍から王賁の軍に関常は移籍したわけですが、その理由は明らかになっていません。

しかし、関常は仕事人の様な人物であり、玉鳳隊に必要な人物になっていきます。

著雍の戦いでは玉鳳隊の右翼の千人将として、関常は戦う事になります。

王賁を諫める

著雍の戦いで玉鳳隊はの紫伯の軍と対峙する事になります。

紫伯は槍の達人というだけではなく、知略もあり戦いが始まると玉鳳隊の背後に部隊を回しました。

関常は紫伯の実力を認めた上で、今なら乱戦を解いて離脱出来ると考え、撤退を進言しました。

しかし、王賁は別の考えを持っており、紫伯を討てば問題ないと考え、兵を前に進める様に命令しています。

関常は「父君王翦は そんな危うい手は打ちませぬぞ」と一喝しました。

王翦は負ける戦いはしない人物であり、関常は王賁の危うさを指摘した事になります。

王賁の行動に関常は「捨て身が過ぎる。王家の頭領を継ぐ者として、もう少し命を大事にされよ」と諫めています。

しかし、王賁は捨て身ではなく勝算があり、紫伯の陣に向かう事にしますが、関常は「右翼はつき合いませぬぞ」と離脱しました。

関常は「別にお守りをしろと殿(王翦)から仰せつかったわけでもない」と述べると、右翼の歩兵と騎馬隊を退がらせる事になります。

玉鳳隊は今までは王賁のワンマンの様な部分が多々ありましたが、関常は正面から向き合ってしっかりと諫めたと言えるでしょう。

王賁は紫伯と戦いますが、結局は苦戦し退却する事になります。

玉鳳隊の退却は困難となり、番陽も半数の兵を失う事を覚悟しましたが、既に離脱していた関常が戻って来て背後から敵を攻撃した事で、玉鳳隊は無事に退却出来ました。

関常は見事な働きをしたと言えるでしょう。

作戦遂行のために奮戦

王賁は戦いが終わり夜になると番陽に関常を呼ぶ様に命令しました。

王賁は関常に中央の主攻になる様に命じますが、関常は「御冗談ですか」と述べています。

関常は「我が隊は機動力に優れた部隊であり、両翼のどちらかに置いてこそ力を発揮する」と述べ断わりました。

しかし、王賁は紫伯との戦いでは機動力は必要ないと述べ、自分は紫伯が現れるまで、関常軍の後ろに隠れていると告げています。

関常は王賁では紫伯を討てぬと告げ、総大将の騰に作戦中止を申し入れる様に進言しますが、王賁は聞き入れませんでした。

王賁に関常は「大敗の原因を作った戦犯としてその名を大きく汚しますぞ」と述べますが、王賁は聞かなかったわけです。

関常は番陽に職務怠慢になるとも告げますが、番陽は王賁を信じており譲りませんでした。

作戦を理解した関常は自ら中央で部下の宮康や松琢と共に奮戦する事になります。

作戦に反対しても、しっかりと役割をこなすのも仕事人の関常なのでしょう。

紫伯の本隊が出陣してきますが、関常は「正面から受け止めて紫伯隊の足を止める」と檄を入れました。

予想通り紫伯に王賁は苦戦し、関常は番陽に王賁を下がらせる様にさせようとしますが、王賁は断り最終的に紫伯を討ち取り任務を達成しています。

飛信隊も信と凱孟の戦いがありましたが、河了貂の策が功を奏し撤退に追い込み、録嗚未の軍も魏の本陣を急襲する事になります。

魏の呉鳳明霊凰を犠牲にして撤退し、著雍の戦いは軍の勝利で終わりました。

関常の疑い

朱海平原の戦い王翦の軍は右軍の亜光を失いました。

王翦の軍では亜光に代わる将として、王賁に任せようとする声が大きくなったわけです。

しかし、王翦は王賁を将とせず、将が不在のまま戦う様に命じました。

王翦の采配に憤りを感じたのが関常であり、夜になると番陽に「これは父子の確執ではない」と述べています。

関常は「王翦様は賁様が自分の本当の子ではないかと疑っている」と番陽の前で述べました。

ここで話を信に聞かれており、関常はしらばっくれますが、番陽は信に王賁が生まれた時の話と母親の朱景の話をしています。

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