
紀元前239年に行われた戦いですが、史記や戦国策には著雍の戦いは存在せず、原泰久先生が考えた架空の戦いなのでしょう。
著雍の戦いでの魏の総大将は呉鳳明であり、秦軍は騰が率いました。
著雍の戦いで秦軍は王賁の策に従って行動し、三日目で信、王賁、録嗚未の三隊が魏軍を破り呉鳳明の本陣を急襲し勝負を決めました。
秦軍は著雍の地を占拠し大要塞を築く事になります。
尚、この記事では前半は著雍の戦いが史実の点から実在したのかを検証し、後半では著雍の戦いのあらすじを解説します。
著雍の戦いは史実なのか
著雍の戦いは漫画キングダムでは、次の様な説明がなされています。
※キングダム35巻・第369話『新たなる要衝』より
二年前の合従軍の侵攻で、秦国の国境は大きく形を変えていた。
秦が中華へ出づらくなるよう、国境を書き変えて行ったのである。
キングダムでは勢力図も掲載しており、著雍や山陽の北にあり、秦の領土が魏の領土に食い込む形で、存在している事が分かるはずです。
キングダムの説明によると、著雍の戦いが起きたのは函谷関の戦いの2年後であり、紀元前239年の事となります。
しかし、史実の紀元前239年頃の勢力図を見ると下記の様になっています。

キングダムの勢力図とは違っており、秦の領土は魏の北方に達し、斉との国境を接している事が分かるはずです。
キングダムでも山陽の戦いで蒙驁が廉頗を破った後に、東郡宣言をしていますが、東郡の場所は上記の地図だと魏の北方の秦と斉が国境を接しているあたりです。
それを考えると、既に史実とは勢力図が違っており、著雍の戦いは存在しなかった事になります。
キングダムでは函谷関の戦いや番吾の戦いなど実在した戦いと、蛇甘平原の戦いや黒羊丘の戦いなど実在しなかった戦いが織り交ぜられています。
著雍の戦いの場合は、後者の架空の戦いだと言えるでしょう。
キングダムでは史実の戦いの場合は、戦いが終わった後に、史記の言葉が記載されたりしますが、著雍の戦いは戦いが終わっても、史記の言葉も掲載されておらず、やはり架空の戦いなのでしょう。
ただし、紀元前239年の勢力図を見ると、既に韓は風前の灯であり、秦が圧倒的な強さを見せている事が分かるはずです。
これらを考えると著雍の戦いの様に、魏としては何としても秦の侵攻を食い止めたいと考えており、絶対に守り抜きたい要所はあったと考えるべきでしょう。
著雍の戦いを入れた理由
著雍の戦いを原泰久先生が入れた理由ですが、物語を面白くする為の演出だったのではないでしょうか。
史実の春秋戦国時代を見ると、秦の圧倒的な強さの前に諸侯は対抗する事が出来ず、領土は次々に浸食されて行きました。
魏であっても、史実では信陵君が亡くなってからは、秦に抵抗する事は全くできておらず、悲哀さまであります。
しかし、圧倒的な強さを持つ秦が弱小の魏をボコボコにしても物語としては面白みに欠けます。
そうした意味でも、著雍の戦いを入れて魏には呉鳳明が健在であり、まだまだ戦国七雄の戦いはどの様になるのか分からない。という印象を与えたかったのではないでしょうか。
著雍の戦いですが、魏火龍七師の生き残りとして紫伯、凱孟、霊凰が登場しました。
魏火龍七師の紫伯は何処か陰があり、豪快な性格の凱孟がおり、呉鳳明の師匠の霊凰が登場し、物語を面白くした様に感じています。
確かに、呉鳳明は霊凰を犠牲にしてしまうセコサが見えて株を落としたのかも知れませんが、王賁と紫伯の戦いや王賁と関常のぶつかり合いなど、人間味も感じて楽しめた人も多いのではないでしょうか。
著雍の戦いで魏火龍七師は凱孟しかいなくなってしまいましたが、今後の活躍にも期待したいと感じました。
著雍の戦いのあらすじ
王賁の策
著雍の戦いでは魏の大将軍の呉鳳明が出陣しており、さらに謎の三名の将軍が出陣し1日で秦は三城を失いました。
秦では騰に対峙させていましたが、援軍として飛信隊と玉鳳隊が派遣される事になります。
総大将の騰は隆国や録嗚未と相談し、王翦に援軍を求めようとしました。
これに反対したのが、王賁であり、王翦がいる拡陽は趙が狙っていると述べ反対しています。
しかし、著雍は何としても手に入れるべき地であり「王翦の援軍が必要」とする声もありましたが、王賁は著雍の魏軍の布陣には隙があり「三箇所同日同刻撃破」で勝てると述べました。
王賁は著雍の戦いの三日目に王賁、信、録嗚未の三名が目の前の敵を倒し、呉鳳明の本陣に雪崩れ込む作戦を立てています。
秦軍は王賁の作戦に従い動く事になります。
著雍の戦いが開戦

著雍の戦いが始まりますが、魏の呉鳳明の本陣が中心にあり、その周りを魏火龍七師の紫伯、凱孟、霊凰が布陣し、秦軍が包囲する形となります。
魏軍の布陣から必然と騰が霊凰の相手となり、紫伯が王賁の玉鳳隊、凱孟が信の飛信隊とぶつかる事になりました。
騰と霊凰が対峙し騰と乱美迫が戦う場面もありましたが、騰は霊凰を警戒しており、正面からぶつかろうとはしませんでした。
魏の凱孟は飛信隊の信に大いに興味があり、一騎打ちとなりますが、この隙に荀早が飛信隊の軍師の河了貂をさらっています。
しかし、河了貂が機転を利かし、羌瘣が荀早を捕虜としました。
後に河了貂と荀早の間で人質交換が行われる事になります。
王賁は紫伯の圧倒的な槍さばきを見ておどろく事になります。
玉鳳隊は関常の機転により退却に成功しました。
録嗚未は出足が悪く敵の前線を超える事が出来ませんでした。
ここまでは、呉鳳明の狙い通りであり、魏が有利に事を進めていたわけです。
騰と録嗚未
著雍の戦いの二日目が終わると、総大将の騰が録嗚未の野営地を訪れました。
飛信隊や玉鳳隊は魏火龍七師の凱孟と紫伯の部隊を相手にしていましたが、録嗚未の前には魏火龍はいない状態だったわけです。
ここで騰は録嗚未に著雍の戦いは中華の注目を集めていると語りました。
2年前の函谷関の戦いで魏の呉鳳明と楚の媧燐が注目を集め、著雍の戦いでは騰と呉鳳明が戦っており、中国全土の傑物たちが注目するところだと述べています。
録嗚未は騰が主攻となり戦った方がよいと考えますが、騰は著雍の戦いは呉鳳明に秦の若き才能たちが挑む戦いだと位置づけていました。
騰は王賁の策を高く評価していたわけです。
運命の戦い
著雍の戦いの三日目になりますが、秦軍の予定では、この日に信、王賁、録嗚未の三隊が同時に魏の軍に穴を開けて、呉鳳明の本陣に突入する予定でした。
玉鳳隊は関常を前に出し、紫伯が前に出ると王賁も前に出ました。
かなり苦戦しましたが、王賁は紫伯を討ち取り、呉鳳明の本陣に向かう事になります。
飛信隊は凱孟の部隊と交戦し、信と凱孟の間で一騎打ちが繰り広げられました。
飛信隊はかなり苦戦しましたが、河了貂の軍師としての力が荀早を上回り、隆国を援軍として呼んでいました。
凱孟も敗北を悟り、飛信隊も呉鳳明の本陣に向かう事になります。
録嗚未も魏軍を破り呉鳳明の本陣に向かいました。
呉鳳明は一早く逃亡し、霊凰と合流しています。
二人は話し合っていましたが、突如として信が乱入し、呉鳳明は霊凰を犠牲にして退却しました。
この瞬間に著雍の戦いでの秦の勝利が決まったと言えるでしょう。
著雍の戦いが終わって

著雍の戦いは終わり、著雍の地は秦軍が占拠しました。
信が間違えで霊凰を討った事を聞くと、録嗚未は多いの驚きました。
録嗚未は王騎や摎が一目置いていた人物であり、信が人違いで呆気なく討ち取ってしまい拍子抜けした部分もあるのでしょう。
王賁は魏火龍七師の紫伯を討ち取っていましたが、重傷であり立ち上がる事ができませんでした。
騰は総司令(昌平君)の命令で著雍の地に大要塞を築くと発表し、皆を驚かせています。
昌平君は著雍の地を不動の拠点として、魏を徹底的に弱体化させるのが狙いだったと言えるでしょう。
戦国七雄の国々の中で滅国が出る事を予見し、著雍の戦いは完全に終わりました。
