
| 名前 | アルザワ |
| 民族 | ルウィ人 |
| 場所 | アナトリア半島 |
| コメント | ヒッタイトに滅ぼされた。 |
アルザワは古代アナトリアにあったルウィ人の国です。
ヒッタイトの西方にあった国でもあります。
ただし、統一国家があったわけではなく、アルザワ諸国というのが実情のようです。
東にはヒッタイトがおり、エジプト新王国のアメンホテプ3世とは手紙のやり取りをした話も残っています。
しかし、ヒッタイトの勢力は脅威であり、紀元前1300年までにはムルシリ2世により滅ぼされてしまった様です。
尚、エジプト第18王朝のアマルナ文書が見つかっていますが、この中にエジプトとアルザワの往復書簡が発見されました。
これによりヒッタイトとその言語の解明に役立った話が残っています。
ルウィ語も同時に注目を集めました。
アルザワの誕生
古代アナトリアには先住民族のハッティ人がいました。
ここにルウィ人の流入があり、ルウィ人を追いかける形でヒッタイトが入ってきたとされています。
ヒッタイトに追われる形でルウィ人たちはアナトリア半島の西に移動し、東にはヒッタイトが建国されました。
ルウィ人が建国したのがアルザワであり、紀元前14世紀から13世紀頃に影響力を発揮する様になります。
ただし、アルザワ国はアヴァイヤ、クワリヤ、ハバラ、ミヤなどのアルザワ諸国家を指すと言えるでしょう。
アナトリア半島でのアルザワはアヒヤワ、アシュワと並びヒッタイトの対抗勢力でした。
アルザワとアメンホテプ3世
エジプト第18王朝のアメンホテプ3世の時代に、アルザワと書簡のやり取りをした記録が残っています。
アルザワとアメンホテプ3世のやり取りの中で、ヒッタイトが危機的な状況にあったとする文書があります。
実際に紀元前14世紀にヒッタイトが弱体化した事が分かっています。
アメンホテプ3世はヒッタイト語の粘土板文書をアルザワに送っており、この頃のエジプトにヒッタイト語が書ける書記がいたのでしょう。
ただし、アマルナ文書を見るとエジプト第18王朝はヒッタイトとは、アッカド語でやり取りをした事が分かっています。
これを考えると、アルザワには古代オリエントの共通語であるアッカド語を、理解出来る者がいなかったのではないかと考えられています。
文化面ではヒッタイトに後れを取っていたとも見れるはずです。
尚、アメンホテプ3世はミケーネ文明とも繋がり、アルザワとミタンニ王国を合わせてヒッタイト包囲網を形成しようとした説もあります。
アメンホテプ3世が本当ヒッタイト包囲網を形成しようとしたのかは不明ですが、ヒッタイトはアルザワの東の隣接国であり、協力するに値する計画でもあったはずです。
アルザワの滅亡
ヒッタイトのムルシリ2世年代記にアルザワの滅亡に関する記述があります。
ムルシリ2世の治世の3から4年目に、2年間掛けてアルザワを完全に平定したとあります。
これがアルザワの滅亡の記録となります。
紀元前1300年までには、アルザワは滅亡していたのでしょう。
ただし、エジプト第19王朝のメディネト・ハブの記録によれば、アルザワはアラシヤ、コーデ、カルケミシュ、ヒッタイトと共に海の民により滅ぼされた事になっています。
しかし、実際には海の民よりも前に滅ぼされていたとも考えられている状態です。