その他 三国志

裴元紹(はいげんしょう)は馬を盗もうとした賊

2022年7月20日

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名前裴元紹(はいげんしょう)
登場三國志演義
所属臥牛山の山賊
画像三国志(コーエーテクモゲームス

裴元紹は三国志演義のオリジナルキャラクターだと考えられています。

正史三国志には「裴元紹」の名前は一切見る事が出来ません。

裴元紹が登場するのは三国志演義第28回「蔡陽を斬って兄弟疑いを解き、古城に介して主臣 義に聚まる」の回となります。

裴元紹は臥牛山の賊であり、周倉の腹心的な立場でしたが、関羽の赤兎馬を奪おうと考え、後には趙雲の馬も奪おうとし殺害されています。

裴元紹は劉備の配下として迎えらえれる予定だったわけですが、趙雲の馬泥棒をした事で、返り討ちに会い物語からフェードアウトしました。

今回は馬泥棒の人であり、ある意味、不幸な人でもある裴元紹を解説します。

赤兎馬を要求

関羽千里行の後に、関羽は郭常に家に泊まりました。

この時に郭常の放蕩息子が赤兎馬を奪おうとする事件が発生します。

郭常の息子は赤兎馬を奪う事には失敗しますが、翌日に臥牛山の賊を連れて関羽の前にやってきました。

この賊の大将が裴元紹であり、黄色の頭巾を被った裴元紹は関羽に次の様に述べ脅す事になります。

裴元紹「我こそは天公将軍・張角の部将だ。さっさと赤兎馬を置いていけ。さすれば命だけは勘弁してやろう」

関羽は自分の事を知らぬと思い笑って次の様に述べています。

関羽「お前は何も知らぬ盗っ人に過ぎない。

お前が張角の手下なら、劉備、関羽、張飛の兄弟の名を知らぬのか」

史実だと劉備、関羽、張飛張角が引き起こした黄巾の乱での活躍は不明ですが、三国志演義だと劉備、関羽、張飛は大活躍した事になっているわけです。

因みに、裴元紹は張角の部下だったと名乗りますが、後に登場する周倉は張角の弟の張宝の武将だったと述べています。

関羽に降伏

裴元紹は関羽の名前を聞くと、次の様に述べます。

裴元紹「赤ら顔で髭が長いのが関羽だと聞いておる。

顔は見た事がないが。貴様は何者じゃ」

関羽は裴元紹の言葉を聞くと髭袋を取り、美髯公と呼ばれた髭を見せる事になります。

裴元紹はこの瞬間に目の前にいる男が関羽だと理解し、郭常の放蕩息子の襟首を掴み馬から引き落とし、自らも馬を降りました。

関羽が名前を聞くと裴元紹は「姓が裴、名が元紹」だと答え、張角が亡くなった後に、仕える者もなく山賊となり暮らしていたと言います。

裴元紹は郭常の子が『千里の馬に乗った客人が自分の家に泊まった』と述べ、自分に馬を奪う様に勧めたとバラシました。

関羽は郭常の子は、父親の郭常に恩があった事から許し、郭常の子は逃げ去る事になります。

周倉を紹介

関羽は裴元紹に「なぜ自分の名を知っていたのか?」と問うと、裴元紹は次の様に答えました。

裴元紹「この先に臥牛山があり、この山に周倉と言う男が住んでおります。

周倉は赤ひげの男で、過去には張宝の部下の大将をやっておりました。

張宝が死んでからは山賊の仲間となっておりますが、将軍(関羽)の御高名を語ってくれていたのです。

御目通り出来なかった事を残念がっていました」

関羽は裴元紹の言葉に好感を持ったのか「正しき道を歩むように」と伝え周倉に会う事となります。

臥牛山の頭目となる

周倉と裴元紹は関羽の配下となり、同行しようと願いますが、これに劉備夫人である甘夫人が難色を示します。

甘夫人は今までに兵士を抱えた事もなく、過去には廖化の同行も断っているのに、周倉と裴元紹の部下を連れて行くのはどうか?述べたわけです。

さらに、周倉と裴元紹は山賊であり、甘夫人は世間体も気にしました。

結果として周倉一人だけが関羽に付き従う事となります。

甘夫人が一人、二人の人数だったら、別に構わないと述べたからです。

裴元紹も「お供したい」と述べますが、周倉に説得されました。

裴元紹は臥牛山を纏める山賊の頭領となり、周倉や関羽が迎えに来るのを待つ事になったわけです。

この時の裴元紹は「気が進まぬ顔で別れた」とあります。

因みに、これが周倉と裴元紹の最後の別れともなりました。

裴元紹の最後

関羽はその後に劉備や張飛と合流し、臥牛山の山賊たちを迎えようと考えました。

周倉に命じ臥牛山の裴元紹や部下達を迎えに行かせたわけです。

しかし、周倉は負傷した者を引き連れて帰って来る事になります。

周倉は次の様に述べました。

周倉「臥牛山に一人の男がやって来て、裴元紹と対決となり一合で突き殺してしまったと聞いております。

私もその男に戦いを挑みましたが、全く歯が立たず何度も負けてしまいました」

周倉の言葉から裴元紹が既に亡くなっている事が分かります。

因みに、裴元紹を一突きで倒したのは趙雲であり、ここにおいて趙雲も劉備らに合流する事になります。

趙雲は公孫瓚に仕えていましたが、公孫瓚滅亡後は劉備に仕えようと考えていたという設定になっています。

劉備は趙雲に経緯を訪ねると、河北の袁紹に仕える気はないと答え、裴元紹に関しては、次の様に述べました。

趙雲「裴元紹が私の馬を奪おうとしたので、討ち果たし臥牛山に身を落ち着けた次第です」

趙雲の言葉から、裴元紹が趙雲の馬を奪おうとして、返り討ちにあった事が分かります。

関羽は過去に裴元紹に「正しき道を歩むように」と述べたわけですが、裴元紹には寝耳に水だった事になるでしょう。

裴元紹は趙雲に敗れ命を落とし、三国志演義からは当たり前ですが、登場しなくなります。

裴元紹の能力値

三国志14統率49武力65知力25政治27魅力41

この記事を書いた人

構成・文/宮下悠史

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