名前 | 雛祭り |
日時 | 三月三日 |
五節句 | 桃の節句 |
上巳の節句 | |
画像 | YouTube |
ひな祭りは三月三日に全国各地で行われており、華やかな雛壇などが注目を集めています。
ひな祭りは女の子の日でもあり、華やかな服装に身を包み、ひな人形の前で甘酒を飲む行事でもあります。
三月三日のひな祭りの行事では女の子が女性としてのたしなみを見つける事が目的だともされています。
雛壇の最上部を見ると、お内裏様とお雛様が並び婚礼を表している事は明らかでしょう。
以外に思うかも知れませんが、ひな祭りの由来が神道や日本神話にあるとする説があります。
日本神話では天照大神とスサノオが誓約をするシーンがありますが、これがひな祭りの原型ではないかとする説があります。
ただし、雛壇を見ると様々な人だけではなく、花なども飾られており、これらも日本神話と関係しており、意味があるものだと考えられています。
今回はひな祭りの由来が日本神話にあるとする説を紹介します。
ひな祭りが三月三日に行われる理由
ひな祭りは三月三日に行われる行事でもあり、季節の節目である節句とも関係しています。
節句といえば三月三日の桃の節句や五月五日の端午の節句、七月七日の七夕の節句、九月九日の重陽の節句があり、一月一日だけは元旦を避けて一月七日に人日の節句としてあります。
これが五節句と呼ばれるものです。
五節句は神道の儀式と深く関わっており、日本神話とも関係しているのではないかと考えられています。
スサノオと天照大神の誕生
イザナギが黄泉の国から帰還し、禊を行うと天照大神、月読命、スサノオの三貴士が誕生しました。
イザナギは天照大神を自らの後継者として高天原を任せ、月読命には夜の国、スサノオには海原を任せました。
しかし、スサノオは任地に向かおうとせず泣きじゃくり、イザナギはスサノオを勘当してしまったわけです。
スサノオは根の国に行こうとしますが、その前に天照大神の挨拶に行くと述べ、高天原に向かいました。
スサノオは強力な力を持った神であり、山々を振動させながら進み、天照大神は武装してスサノオへの迎撃態勢を取る事になります。
尚、天照大神が武装してスサノオを待ち構えている事から、日本神話は戦争が本格的に始まった弥生時代の話ではないかとも考えられています。
スサノオは「天照大神や高天原を征服するつもりはない」と述べ、身の潔白を証明する為に、天照大神とスサノオは誓約をする事になりました。
この天照大神とスサノオの誓約がひな祭りの原型になっているとも考えられているわけです。
誓約
誓約は「せいやく」と読む事も出来、約束を守る事を指します。
誓約というのは聖なる儀式でもあり誓いでもあるわけです。
天安河原を挟み天照大神とスサノオの誓約が始まります。
天照大神はスサノオが持っていた十握剣を三つに折り、天真名井の水をつけて口の中で砕き、息として吐き出しました。
天照大神の息の中からタキリビメ、タギツヒメ、イチキシマヒメの三柱が誕生しました。
これが宗像三女神です。
スサノオも天照大神の角髪にあった八尺瓊勾玉を砕き吐き出すと、アメノオシホミミ、アメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマノクスビら五柱が誕生しています。
ここで誕生したアメノオシホミミは地神五代に数えられる事になります。
天皇の治世になっても誓約は行われた話がありますが、多くの誓約でルールを決めていましたが、何故か天照大神とスサノオの誓約ではルールが決められていませんでした。
スサノオが強引に勝利を主張し、天照大神がスサノオに勝利を譲る形で、スサノオの勝利が確定しました。
この天照大神とスサノオの誓約がひな祭りと関係しているわけです。
三官女と五人囃子
天照大神とスサノオの誓約で五男三女が生まれたというのがポイントとなります。
雛壇飾りを見ると、過去にはお内裏様とお雛様だけでしたが、時代が立つにつれて豪華になり、御付きの者も増えて行く事になります。
お内裏様とお雛様の下には三人の官女がおり、これが天照大神とスサノオの誓約で誕生した宗像三女神を指すとされています。
さらに、官女の下には五人囃子がおり、これが誓約で誕生した男神の五柱を指すと考えたわけです。
そうなると、必然的にお内裏様はスサノオであり、お雛様は天照大神となります。
尚、ひな祭りは婚礼の儀式ともされていますが、天照大神はイザナキの左目から生まれ、スサノオは鼻から生まれるなど姉と弟の関係となります。
こうした事情から天照大神とスサノオは近親婚になってしまうとも考えられます。
ただし、日本神話では子供を作るのに、スサノオとクシナダヒメの様にまぐわいを行い子が誕生するケースもあり、誓約は近親婚ではないとする説もあります。
天照大神とスサノオの誓約自体が人間離れした行動であり、何を指すのか分からない部分が多いです。
ひな祭りと七夕
誓約と天界
天照大神とスサノオの誓約が行われた舞台は高天原であり、天界だともされています。
夜空を見れば星座が浮かんでおり、大宇宙が誓約の舞台だったのではないかとする説もあります。
天照大神は多くの方が存じている様に、太陽神であり、スサノオを星の神か闇の神に見立てているとする説です。
天照大神とスサノオが誓約をした場所は天安河原であり、これが天の川を指すと考えます。
三月三日の桃の節句が女の子の儀礼であり、スサノオの3人の娘(宗像三女神)を指し、五月五日の端午の節句は男の子の儀礼の日となっています。
「七五三」という言葉がある様に、神道では七月七日は男女の結婚の儀礼とも考える事が出来るわけです。
ただし、大方の場合で結婚式の主役は女性であり、七五三では男性は五歳のみですが、女性は三歳と七歳でお宮参りをするしきたりとなっています。
織姫と彦星
七夕伝説では遊んでばかりで仕事をさぼる様になってしまった織姫と彦星が、七夕の夜に一度だけ会える事になっています。
これが天界である高天原で繰り広げられた天照大神とスサノオの誓約を指すとも考えられています。
織姫が天照大神であり、彦星がスサノオとなり、天照大神が織女星であり、スサノオは牽牛星に比すわけです。
誓約で誕生し天照大神の子となった五人の息子はプレアデス星団であり昴を指します。
プレアデス星団は六つの星から成り立っていますが、日本書紀の別説では天照大神の子が六人であると記述されています。
スサノオの娘となった宗像三女神はオリオン座の三ツ星を指し、三ツ星の周りには四つの鼓星があり、オリオン座はリボンの様な形を形成しています。
オリオン座の三ツ星と四つの鼓星を足した数が七であり七五三の七の由来にもなっていると言います。
ひな祭りには織女星と牽牛星、オリオン座、プレアデス星団が関係しており、雛壇には壮大なる宇宙が現れているとも考えられているわけです。
ひな祭りでは女の子は甘酒を飲みますが、甘酒が天の川や天安河原を表しているのではないかとする説もあります。
ひな祭りと桃の節句
ひな祭りは三月三日に行われますが、桃の節句の日でもあります。
日本神話の中でイザナギが黄泉平坂でイザナミや黄泉醜女、黄泉の国の軍隊に桃を投げつけて退散させた話があります。
イザナキは桃に感謝し意富加牟豆美命の名前を与えた話しがあります。
纏向遺跡でも大量の桃の種が出土しており、古代日本では桃には不思議な力があり、不老長寿の仙薬としても使われていた話しがあります。
左近桜と右近橘
雛壇の原型
ひな祭りに使われる雛壇の両サイドを見ると、左近桜と右近橘がある事が分かります。
左近桜と右近橘と同様のものが平安京の天皇の住居である内裏に建てられた紫宸殿の前にもあります。
紫宸殿には天皇の即位の儀式で使われる高御座があり、高御座は天皇と皇后にそれぞれあり、二つ並べて陛下が即位します。
高御座の様子が雛壇の元になっているのではないかとも考えられているわけです。
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメ
左近桜と右近橘は両脇にありますが、桜と橘は対局に位置し陰陽を表しているとも考えられています。
桜は美しく咲きパッと散ってしまい、橘は地味ではありますが、慎ましく咲いているわけです。
桜の実は食用にはなりませんが、橘の実は食べる事も出来ます。
左近桜と右近橘はコノハナサクヤヒメとイワナガヒメを表しているではないかとも考えられています。
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメは共にオオヤマツミの娘であり、天孫である瓊瓊杵尊に嫁ぎました。
しかし、瓊瓊杵尊は容姿が美しいコノハナサクヤヒメだけを貰い受け、イワナガヒメを実家に帰らせてしまったわけです。
イワナガヒメには「岩の様な永遠さ」があり、瓊瓊杵尊はイワナガヒメを受け入れなかった事で、神にも関わらず永遠の命を失いました。
尚、後にコノハナサクヤヒメは海幸彦や山幸彦らを身籠りますが、瓊瓊杵尊は認知しないなどの暴挙に出ています。
雛壇に置かれた左近桜と右近橘はコノハナサクヤヒメとイワナガヒメを表しており、女性はコノハナサクヤヒメの様に生まれ成長し、子供を出産し最後はイワナガヒメになるとも考えられているわけです。
イワナガヒメの右近橘は生命の木の実ともされています。
非時香果と垂仁天皇
ひな祭りの雛壇に置かれた橘を巡っては、第11代垂仁天皇の時代の非時香果だったのではないかとする説もあります。
第11代の垂仁天皇は配下の田道間守に対し、常世の国にあるという非時香果を持ち帰って来る様に命じました。
常世の国は出雲神話などにも登場しますが、場所が何処なのかはっきりとせず謎が多いです。
それでも、田道間守は常世の国を探し出し、非時香果を持ち帰りました。
しかし、時すでに遅しで垂仁天皇は崩御していたわけです。
田道間守は垂仁天皇の死を嘆き悲しみ自害しました。
一説によると田道間守が常世の国から持ち帰った非時香果が「橘」だったのではないかと考えられています。
ただし、橘は常世の国まで取りに行かなくても普通に日本に自生しており、橘が非時香果だったわけではないともされています。
ひな祭りというのは深く考えれば、多くの謎が含まれているわけです。