春秋戦国時代

韓陽は使者になったり将軍として出陣した記録がある

2022年7月21日

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名前韓陽(かんよう)
生没年不明
時代春秋戦国時代
勢力
登場戦国策・趙策、韓策

韓陽は戦国策に登場する人物です。

韓陽は戦国七雄の韓の公子であり、上党に使者として派遣された時は、靳黈に上党をに明け渡す様に述べた話があります。

しかし、靳黈は韓陽の言葉に聞く耳を持たず、秦との徹底抗戦を見せました。

韓陽は三川に出陣した記録もありますが「帰りたくなった」とする記述があり、何処か気弱さも見え隠れする人物です。

今回は戦国策に名前が見える韓陽を解説します。

帰りたい将軍

この話は何年の事なのかは記録がありませんが、戦国策の韓策に話があります。

ここで登場する韓王は桓恵王とも、父親である釐王ではないか?とも考えられており、はっきりとしません。

韓の公子・韓陽は三川に出陣しました。

三川は韓の地ですが、韓陽が何の為に三川に出陣したのかは記録がありません。

総大将として出陣したのか、一武将として韓陽が出撃したのかも不明です。

戦国策によれば韓陽は三川に出陣はしましたが「帰りたくなった」と記述されています。

なぜ、韓陽が帰りたくなったのかは不明であり、軍中での生活が嫌になったのか、ストレスが溜まってしまったのかは不明です。

この時に韓陽の近くに足強がおり、足強は韓陽の為に、韓王の元まで行き、次の様に述べています。

足強「三川は既に服従しております。王様もご存知のはずです。

軍内では従軍した者が、公子を推戴しようと考えております」

韓王は足強の言葉を聞き、韓陽が部下の後押しで独立されては溜まらないと考えたのか、三川に従軍している公子達を帰らせる様に命令しました。

韓陽は足強のお陰で願いが叶い、無事に帰る事が出来たとも言えます。

因みに、韓陽と足強の関係はよく分かっておらず、足強は説客ではないか?とも考えられています。

靳黈を説得する事が出来ず

秦の昭王は韓が斉や魏と共に秦を攻めたり、藍田の戦いでの韓の行動から、韓に対し不信感を持っていました。

秦の昭王が公子他に相談すると、公子他は「強国の秦が出兵するだけで、韓は恐れ多くの土地が割ける」と進言しています。

秦の昭王は公子他の進言を受け入れ、韓へ出兵しました。

この時に韓は秦の白起に野王を落とされ、土地は南北に分断されており、韓の桓恵王は北部の上党郡を秦に割譲する事を決めたわけです。

上党太守は靳黈であり、韓の桓恵王は韓陽を上党に派遣し、靳黈に事情を説明する事にしました。

韓陽は靳黈に次の様に述べています。

韓陽「秦が二軍を起こし韓に攻め込んで来ましたが、韓では持ちこたえる事が出来ません。

現在、韓王様は陽城君を秦に派遣し、上党を秦に入れ講和を結ぼうとしております。

王様は私を上党への使者として太守(靳黈)に、伝える為にここに来ました。

上党を秦に明け渡して貰いたい」

韓陽は靳黈に上党を秦に明け渡す様に指示したわけです。

しかし、靳黈は韓陽の言葉を撥ね退け「水を汲むしか能の無い男でも自分の器は無くさない」と述べ、総動員して秦と徹底抗戦すると述べます。

これには、驚いたのは韓陽であり、靳黈が命令に従う気が無い事が分かり、説得の出来ぬと判断したのか、急いで韓の首都・新鄭に戻りました。

韓陽は靳黈の事を韓の桓恵王に報告すると、桓恵王は「既に秦の宰相の范雎と約束してしまった」と述べます。

先に述べた様に、韓の桓恵王は陽城君を秦に派遣し、上党を割譲する約束をした後だったわけです。

韓の桓恵王は范雎との約束を反故にする事も出来ず、靳黈を上党太守から解任し、新しい太守として馮亭を任命しました。

しかし、馮亭も主戦派であり、馮亭は趙と連合し、と戦おうと画策しています。

馮亭が秦ではなく趙に降伏し、平原君の言葉もあり趙の孝成王が上党を貰い受けた事で、長平の戦いが始まるわけです。

この記事を書いた人

構成・文/宮下悠史

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