キングダム

項翼は莫耶刀を持つ勇猛果敢な楚の武将

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宮下悠史

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名前項翼(こうよく)
登場キングダム
所属
コメント莫耶刀の使い手

項翼は漫画キングダムに登場する架空の人物です。

残念に感じるかも知れませんが、史記や戦国策には項翼なる人物は登場せず、史実のキャラではないと考える事が出来ます。

ただし、項翼はの項氏であり項燕の一族という設定になっているのでしょう。

函谷関の戦いから白麗と共に登場しました。

項翼の性格はガサツで熱く、信に似ていると感じた人も多いはずです。

項翼は臨武君が亡くなった時には、涙を流しました。

作中を見ていて、史上最強の猛将と呼ばれた項羽の父親が項翼なのではないか?と考える人も多いようです。

今回はキングダムに登場する項翼がどの様な人物なのか解説しました。

項翼の登場

項翼の初登場シーンはキングダム24巻・第253話『下らぬ戦」となります。

この回の最初で劇辛龐煖に討ち取られ、場面が飛信隊に代わります。

飛信隊がいる対岸には、の軍がおり臨武君や白麗と共に、項翼もいたわけです。

臨武君、白麗、項翼が三人で普通に喋っており、仲の良さも分かるシーンでもあります。

それと同時に、項翼は初登場時から「どこか信に似ている」と思った人も多いのではないでしょうか。

尚、項翼は初登場時に楚の千人将という設定になっています。

項翼の挑発と信

楚の春申君の命令により、項翼らは城内にいる飛信隊を挑発しました。

この時に、項翼はの軍を「腰抜け」呼ばわりしており、下品な感じにも見えた人は多いのではないでしょうか。

項翼の挑発に耐えきれなくなったのが、信であり、項翼が後ろを向いて帰ろうとした所に、上から斬り掛かる事になります。

信の上空からの攻撃に対し、項翼は素早く反応し防いでおり、運動神経の良さも分かるシーンでもあります。

項翼と信の戦いとなりますが、項翼は命令に従い退却し、白麗に助けられる場面もありました。

信の前で項翼は「楚の雷轟」と自らを名乗っています。

尚、楚の陣地に戻った項翼は臨武君にゲンコツをされており、この時点では臨武君の方が項翼よりも格上なのでしょう。

函谷関の戦い

項翼と蒙恬の初戦

キングダムの世界でも紀元前241年の函谷関の戦いを描いています。

の連合軍と軍の戦いとなりました。

楚は汗明が総大将を務めており、当然ながら項翼も参戦しています。

項翼は秦の蒙武の連合軍との戦いで、千人将として参戦したという事です。

項翼は最初に蒙恬と遭遇しました。

項翼はいきなり蒙恬を討ち取ったかに見えましたが、蒙恬は間一髪で受け流しており、項翼は蒙恬の強さを認める事になります。

蒙恬が手強いと判断した項翼は愛刀(莫耶刀)を出そうとしますが、録嗚未の奮戦もあり、蒙恬に去られてしまいました。

しかし、ここで読者は項翼は何か強力な武器を持っている事に気付いたはずです。

項翼と王賁の戦い

臨武君と録嗚未の一騎打ちが始まりますが、鱗坊が助太刀に入りました。

項翼は臨武君を案じますが、次の瞬間に白麗の放った矢が、鱗坊のこめかみを撃ち抜き、討ち取っています。

蒙恬は白麗の危険さを察知し襲い掛かりますが、項翼に助けられました。

ここに王賁が到着し、蒙恬・王賁対項翼・白麗の同世代対決となり、項翼は莫耶刀と抜く事になります。

莫耶刀は妻の莫耶と夫の干将の伝説の妖刀であり、皆に注目を集めました。

しかし、項翼は王賁の槍により間合いに入る事が出来ず、莫耶刀の威力を発揮できなかったわけです。

そうこうしている内に、蒙恬が白麗の弓を切り、が臨武君を討ち取ってしまいました。

楚軍は退却しますが、臨武君の死を知った項翼は号泣する事になります。

項翼と媧燐

項翼や白麗ら千人将は、の第二将である媧燐に呼び出されました。

媧燐の身長の高さや粗暴な態度に、項翼らは驚く事になります。

媧燐は臨武君の傘下にいた者達に対し、第二軍が動かない事を告げ、旧臨武君の第一軍だけで、を討ち取る様に命令しました。

当然ながら、項翼らは苦戦し、軍相手に苦しい戦いを強いられる事になります。

函谷関の戦いでは成恢張唐に討ち取られ、のオルドが王翦に翻弄される一幕もありましたが、楚軍の方では汗明蒙武と媧燐の戦いとなりました。

こうした中で媧燐は突如として項翼に五千人の兵を預け、秦軍に攻撃命令を出す事になります。

はこの時に「ハゲ(臨武君)の軍勢の中で一番見込みがある」などの言葉を述べており、さらに「騰の首を挙げたら寝所に呼んでやる。」とも告げますが、項翼はげっそりとした顔をして、五千人の兵だけを受け取り出撃しました。

項翼が五千人将に昇格

項翼は五千人の兵の前に出て、臨武君の仇であるを討つと宣言しました。

軍の士気は爆上がりし、項翼は軍に突っ込んでいきますが、白麗は項翼の才能は認めながらも危ぶむ発言を見せています。

騰軍に突っ込んだ項翼は自ら名乗り居場所を宣言すると、騰が自ら突っ込んで来ました。

騰は五千人将が討ち取れるならと、項翼が自らを餌にした策に喰いついてきたと言えるでしょう。

項翼は莫耶刀を抜くと二人を瞬殺し、騰との戦いとなりましたが、騰は一撃で項翼を討ち取る事が出来なかったわけです。

騰は項翼の軍に囲まれますが、ここに来て媧燐は軍を動かし、隆国の軍に攻撃を仕掛けています。

秦軍は蒙恬王賁録嗚未干央らも媧燐の軍に群がりますが、媧燐は戦場を脱出し汗明蒙武の戦場への見物に行きました。

こうしている間にも項翼は騰と激戦を繰り広げていましたが、汗明は蒙武に討たれ、楚軍は兵を後退させました。

激昂する項翼

臨武君に続き汗明までもが討たれ、納得がいかなかったのが項翼です。

項翼は「なんで退却なんだ将軍」と媧燐に詰め寄るシーンがあります。

項翼は兵を出し、を討てば戦況は五分に戻せると考えていたわけです。

しかし、媧燐は函谷関の裏に自らの兵を回しており、ここで函谷関を落せると考えていました。

媧燐の策は王翦に読まれており、オルドが動かなかった事で、王翦が対処し媧燐の策は失敗に終わっています。

函谷関の戦いでの項翼の見せ場は、ここで終りであり、戦いの方は蕞の戦いとなり、麃公が戦死しましたが楊端和率いる山の民の救援があり、李牧は敗れ合従軍は撤退しました。

函谷関の戦いでは、楚軍は惨敗した様にも見えますが、項翼の熱量がよく分かった戦いでもあるはずです。

項翼と騰の戦いの行方

キングダムではオリジナルで紀元前235年に什虎の戦いが起きています。

什虎の戦いの中で項翼とが戦うシーンが描かれました。

しかし、ここでも決着はつかなかったわけです。

紀元前230年に新鄭の無血開城を行いますが、騰が寧姫を助け将軍職を引退しました。

騰が引退した事を考えると、項翼との戦いは、永久に勝負がつかない事になってしまったはずです。

しかし、睡虎地秦簡の記述で騰が南郡の郡守になった話があります。

南郡はの旧都である郢があった場所であり、ここで項翼と絡めて来る可能性がある様に感じています。

項翼と騰の決着も楽しみにしたい所ではあります。

項翼は項羽の父親なのか

一部では項翼が項羽の父親ではないか?と考える人もいます。

説明をしておくと項羽嬴政の死後に、を滅ぼした人物です。

項羽は当然ながら項氏であり、項翼とは同族という事になります。

史記を見ると、系譜は下記の様になっており、項羽の父親の名前は不明です。

項羽の父親の名前が分からない事を考えると、キングダムでは項羽の父親を項翼という設定にするのではないか?と考える事も出来ます。

それと同時に項羽の「羽」と項翼の「翼」は羽と翼で近しい部分があり、原泰久先生も読者に意識させたのではないでしょうか。

項羽が生まれたのは紀元前232年であり、李信蒙恬が紀元前225年に項燕に敗れており、この戦いには項翼も参戦するはずです。

この時には、項翼と項羽の関係も分かる様に感じました。

キングダムでは嬴政の子の胡亥。王賁の子の「離(王離)」と何気に名前を出すシーンがあります。

これを考えると項翼も何処かで、自らの子の名前を告げるシーンがあるのではないでしょうか。

それか、昌平君と共に楚が滅亡する所まで描かれ項翼が「項羽・・・」という場面を出す可能性もある様に感じました。

尚、函谷関の戦いで項翼と王賁が戦っており、王賁の子である王離は史実だと王離は鉅鹿の戦いで、項羽に大敗北を喫してます。

こうした事情から、キングダムでも項翼と王賁の戦闘シーンを初登場の函谷関の戦いで、原泰久先生は描きたかったのではないかと感じました。

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