名前 | 鞏志(きょうし) |
登場 | 三國志演義 |
勢力 | 金旋→劉備 |
コメント | 金旋を弓で射殺 |
画像 | 三国志(コーエーテクモゲームス) |
鞏志は三国志演義のオリジナルキャラクターであり、武陵太守の金旋に仕えた事になっています。
因みに、主君である金旋は一部からは、荊州四英傑の一人に数えられています。
尚、荊州四英傑の残りのメンバーは劉度、趙範、韓玄となっています。
鞏志は劉備配下の張飛と戦おうとする金旋を諫めますが、処刑されそうになりました。
しかし、周りがフォローしてくれた事で死なずに済み、金旋が張飛から逃げ帰って来ると、逆に金旋を弓で射殺しています。
今回は三国志演義のオリキャラでもある鞏志の解説をします。
金旋を諫める
赤壁の戦い後に、劉備は荊州四郡を平定しようと行動を起こします。
諸葛亮が張飛と趙雲を上手く使い劉度を降伏させると、今度は趙雲が単独で桂陽太守の趙範を降しました。
趙雲の活躍を見て、出陣を望んだのが張飛であり、張飛は武陵に向かって進撃しています。
張飛がやってくる事を知ると、武陵太守の金旋は迎撃の準備をしますが、従事の鞏志は次の様に述べています。
鞏志「劉備は漢の皇叔であり、仁義に溢れています。
配下の張飛は虎将と言うべき武将であり、敵対してはなりませぬ。
降伏するのが上策です」
鞏志は主君の金旋に降伏を勧めました。
しかし、金旋は戦意があり鞏志の事を「賊軍と内応する者」とし、処刑しようとしました。
鞏志の命は風前の灯となってしまいますが、周りの者達が次の様に金旋を諫めました。
「味方を殺害するのは、戦いの前に不吉です」
周りが鞏志の命乞いをした事で、金旋は鞏志の処刑と取りやめています。
鞏志はこれにより、命拾いし引き下がる事になりました。
金旋を射殺
金旋は勇んで出撃しますが、張飛の軍と遭遇すると恐れおののく事となります。
金旋は張飛に一喝されると、配下の部将を出そうとしますが、皆が張飛を畏れ戦おうとする者はいませんでした。
荊州四英傑の劉度の下には邢道栄や劉延の様な戦ってくれる人はいましたが、金旋の配下にはいなかったわけです。
金旋は自ら戦おうとしますが、結局は張飛を恐れ城に逃げ帰りました。
逃げ帰って来た金旋を待ち構えていたのが、鞏志であり、鞏志は金旋に次の様に述べました。
鞏志「お前(金旋)は天運に従わず、敗亡を招く者である。
私は民衆と共に劉氏に降伏する事に致す」
鞏志は言い終わると、弓矢を使い金旋を射殺しました。
三國志演義の記述では、矢が金旋の顔に命中して金旋は命を落としています。
劉備に降伏
金旋が射殺されると、兵士らは金旋の首を取り張飛に送り届けました。
鞏志は開城し張飛に降伏すると、張飛は鞏志に印綬を持ち桂陽にいる劉備の元に行くように述べています。
鞏志が桂陽に向かっている最中に劉備と出会い、官印を引き渡しています。
劉備は鞏志を仮の太守に任命し、金旋の代理の武陵太守としました。
鞏志は主君である金旋を討ちましたが、劉備に許されたわけです。
尚、後に関羽が長沙を攻撃し、黄忠と戦いますが、最終的に長沙太守の韓玄は魏延の裏切りにより命を落としています。
この時に、諸葛亮は魏延に「反骨の相」があると述べ処刑する様に進言しました。
鞏志も同じ様に主君を裏切り首を取ったにも関わらず、鞏志が御咎めなしで、魏延が処刑する様に諸葛亮は言っており、意味不明だとする意見もあります。
因みに、鞏志はこれ以降に出番はなく、物語からはフェードアウトしました。
正史三国志では荊州四英傑の中で劉度、韓玄、趙範は降伏した様ですが、金旋だけは戦った記録があります。
羅貫中が金旋を物語の中で、討ち取る為に考えだされたのが、鞏志なのでしょう。
鞏志の能力値
三国志14 | 統率44 | 武力53 | 知力61 | 政治64 | 魅力48 |