その他 三国志

反骨の相と魏延の心情について・・・。

2022年5月2日

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反骨の相と言うのは、三国志演義で魏延の頭の形を見た諸葛亮が言い放った言葉です。

頭の後方の部分が出っ張っていて、これが「反骨の相」を現わしていると言ったわけです。

三国志演義では、反骨の相により「魏延は裏切り者」というイメージが定着されています。

しかし、正史三国志の魏延伝を見ても「反骨の相があった」などの記述はありません。

魏延の容姿に関しての記述もありません。

性格に関しては、魏延は誇り高い性格だった事が記載されています。

今回は、反骨の相に関しての不思議や、それを言われてしまった魏延の心情などについてのお話です。

反骨の相とは

反骨の相と言うのは、先にお話したように、頭の後方の部分が出っ張っている事を指します。

この頭の形があると、主君を裏切るなど、よくない相だと諸葛亮は言ったわけです。

三国志演義では、無敵の天才軍師として諸葛亮孔明が描かれているので、魏延=悪役のイメージまで定着してしまいました。

しかし、この反骨の相と言うのは、三国志演義では「魏延」にしかない相です。

主君を裏切るで言えば、呂布が有名なのですが、呂布に関しては「反骨の相」があったとは、記載がありません。

呂布は、諸葛亮が登場する前に、死んでしまったので分かりませんが、それを考えると呂布にも反骨の相があってもおかしくはないでしょう。

さらに、劉備も三国志演義では、聖人君子的な所もありますが、優遇してくれた曹操を裏切っていますし、袁紹、劉表、公孫瓚、陶謙などの群雄を渡り歩いているわけですから、劉備に反骨の相があっても不思議はありません。

三国志では主君を裏切っている人物は、何人もいますし、劉璋の配下から劉備の配下に変わった人たちも全員が「裏切り者」と取れるわけです。

それを考えると、反骨の相が無くても裏切っている人は多いのではないかと感じました。

反骨の相を言い渡されるシーンもおかしいと思った

諸葛亮に魏延が反骨の相を言い渡されるシーンを考えてみたいと思います。

赤壁の戦いで、魯粛周瑜の活躍で孫権・劉備連合軍が勝利しました。

周瑜は、荊州の江陵を取るわけですが、劉備陣営は、長沙の韓玄、武陵の金旋、零陵の劉度、桂陽の趙範荊州四英傑の攻略に着手します。

この時に趙雲が趙範を降伏させ、張飛が武陵を取るために、攻撃する構えを見せます。

武陵太守である金旋は、反撃しようとしますが、ここで配下の鞏志が降伏を勧めています。

鞏志の意見を跳ねのけた、金旋は張飛と戦いますが、敗れてしまいました。

武陵の城に逃げ帰るわけですが、鞏志に裏切られて城に入る事も出来ません。

さらに、鞏志は弓を放ち主君である金銭を射殺し劉備に降伏したわけです。

鞏志は、この後に武陵太守に任命されるなど、厚遇されています。

関羽は、韓玄が守る長沙を攻め取りに行きます。

尚、三国志演義では韓玄は、短気で猜疑心が強い性格という設定です。

ここで関羽と韓玄の配下である黄忠が一騎打ちをします。

一騎打ちの最中に、黄忠の馬が躓いてしまいますが、関羽は攻撃をせずに「馬を変えられよ」と言い去っていくわけです。

正々堂々と戦って勝つことを考えて、黄忠を討ち取ろうとしませんでした。

翌日に韓玄は、黄忠に弓で関羽を射殺するように命令しますが、黄忠は一騎打ちの恩がある事から、射殺はせずに関羽の帽子の部分を射るだけとします。

これに怒った韓玄は、黄忠が関羽に内通している事とし、斬ろうとしますが、魏延が切れてしまい逆に韓玄を斬り捨ててしまうわけです。

韓玄の首を持って、魏延は劉備に降伏します。

この時に諸葛亮が「魏延には、反骨の相がある」といい放ちました。

さらに、不忠者とか主君を裏切るなどと言い、劉備に魏延を処刑するように勧めています。

しかし、劉備は魏延を臣下として召し抱える事にしました。

ここで考えて欲しいのが、魏延と鞏志の違いです。

魏延は韓玄を斬り捨てていますが、鞏志も金旋を射殺しています。

鞏志の方は、孔明の方からも「反骨の相」があるとも言われていませんし、その後は武陵太守になるなど優遇されています。

それに対して、魏延だけが「反骨の相」があると言われてしまい、さらには処刑するように諸葛亮は進言しているわけです。

同じ行動をしたのにも関わらず、片方は優遇されて、片方は処刑されるなど、明らかにおかしいと思いました。

三国志演義の諸葛亮孔明は天才軍師として描かれているので、鞏志は裏切らないけど、魏延は裏切ると判断されたのでしょうか?

しかし、鞏志と魏延の待遇が違い過ぎる事に、不公平だなと感じてしまうわけです。

これが諸葛亮死後に起こる、魏延の行動を予知していた諸葛亮の凄さに繋がるわけですが、こういうのは公平にした方がいいと感じた事もあります。

尚、三国志演義では、劉備の入蜀において魏延は独断で軍を動かし、ピンチに陥り黄忠に助けられる場面があります。

ここで黄忠は、軍紀を無視した魏延を斬るように劉備に進言しています。

黄忠は、長沙の戦いにおいて魏延が韓玄を斬った為に、命を救われた部分もあるはずです。

その命の恩人に、軍令違反だとして処刑するように、進言するのは人としてどうかな~と思った所があります・・・。

諸葛亮に至っては、司馬懿と戦った時に、馬岱に命じて魏軍だけではなく、魏延も焼き殺そうとしています。

あれは、最低な発想だと個人的には思いますが・・・。

これを考えると、魏延は三国志演義では、かなり可哀そうな設定なわけです。

魏延は親を恨まなかったのか?

魏延ですが、普通で考えれば親を恨んでしまった可能性もあります。

頭の形と言うのは、基本的に変える事は出来ないはずです。

諸葛亮が「この髪型は裏切る」と言うのであれば、髪型を変えればいいだけでしょう。

しかし、頭の形は変える事が出来ません。

頭の形は、自分の努力ではどうしようもないはずです。

その頭の形を「反骨の相」になっていると、言われてしまっては、堪ったものではありません。

それを考えれば、魏延は親を恨んでしまうのではないでしょうか?

「こんな頭の形に産みやがって!」となっても、おかしくはないはずです。

三国志のスーパー名医である華佗に、魏延の反骨の相を整形の技術で治せるのであれば、治してあげた方がいいと思ったほどです。

整形で無理やり治しても意味が無いのかも知れませんが・・・。

尚、諸葛亮は「諸将の前で、魏延に反骨の相がある」と言い放っています。

そうなると、劉備配下の他の武将たちも魏延の事は警戒するでしょうし、人間関係も冷え込むのではないでしょうか?

特に、劉備死後の蜀では、諸葛亮が実権を握っているわけですから、さらに風当たりは強くなった事でしょう。

それを考えれば、魏延はよく蜀に残ったよな~と思わずにはいられません。

魏延は、反骨の相があるだけに、「反骨精神」が旺盛な人だった可能性もある様にも感じました。

この記事を書いた人

構成・文/宮下悠史

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