逆さ吊りになって諫めた事も有名で、横山光輝さんの三国志の漫画でもそのシーンが取り上げられています。
逆さ吊りの話は、パフォーマンス性があり過ぎて嘘のような話にも見えますが、三国志の正史にも書かれているお話です。
王累の場合は、見せ場がそこしかないわけですが、紹介したいと思います。
尚、王累の事をJOJO風に言えば「ハングドマン」になるのでしょう・・・。
劉備を迎える事になった経緯
王累が劉璋を諫めた背景には、曹操が張魯を圧迫しだした事に始まります。
張魯は元々、劉璋の父親である劉焉が張魯に命じて征伐させたのですが、張魯は漢中を取るとそこで独立してしまいました。
この事から、劉璋は張魯に対して悪感情を抱いていたはずです。
その張魯を曹操が圧迫しだしたわけですが、張魯を倒した曹操が蜀に攻め込んでくるという心配が起きました。
劉璋配下の張松や法正は、劉備の力を借りて曹操を漢中から駆逐しようと進言します。
劉備の使者に法正に命じるように、劉璋に張松は熱弁したわけです。
これにより劉璋は劉備の使者を法正に任命します。
しかし、この時に既に張松や法正は劉璋に将来性はないと見限っていました。。
張松や法正は荊州にいる劉備を蜀に入れて、劉璋を追い出したかったわけです。
劉璋自身は、劉備を使って曹操を駆逐したかった為、劉備を迎え入れるように考えるようになります。
劉備と劉璋は、同じ「劉性」なので、同族意識の高さもあって張松や法正の進言を受け入れる事にしました。
しかし、反対したのが王累と黄権、劉巴です。
王累が劉備の入蜀に反対
王累は、劉備を蜀に入れるのは、狼(曹操)の声を恐れて、虎(劉備)を蜀に招きいれるようなものだと言います。
しかし、劉璋は劉備は劉表の元にいた時に、劉表を欺いた事が無いため大丈夫だと言うのです。
さらに、曹操という強大な敵が迫っている以上は、劉氏が協力して曹操に当たるべきだとの言葉を発しています。
王累は、劉備は赤壁の戦い後に孫権から荊州をかすめ取ったから信用が出来ないと力説するわけです。
しかし、劉璋は劉備は孫権からかすめ取ったわけではなく、孫権の妹を娶り、荊州を任されているだけだと主張します。
この辺りから劉璋と王累の議論がヒートアップしてしまい、劉璋は引くに引けなくなり感情的にもなってしまったようです。
劉璋というと、大人しくて暗君なイメージもありますが、実際には気が短く、自己主張も強かったのではないかと感じています。
尚、劉備は公孫瓚、劉表、呂布、曹操、袁紹と様々な陣営を渡り歩いて裏切ったりもしていますので、信用出来ないと思われても不思議ではありません。
王累は自分を吊るし上げて劉璋を諫める
王累は、宮廷での議論で劉璋が自分の進言を聞き入れないと分かると思い切った行動に出ます。
今度は自分を逆さに吊るし上げて、劉璋を諫めたわけです。
自分の言う事を聞かないのであれば、縛ってある縄を切って自分は死ぬと宣言します。
つまり、死を覚悟して劉璋を諫めたわけです。
しかし、劉璋は聞く耳を持つことをしませんでした。
結局、王累は自殺してしまったようです。
王累死後に劉璋は劉備を迎え入れる事とし、劉備は龐統を参謀として荊州に向かう事になります。
しかし、劉璋は劉備に食料や兵士、物資を援助しますが、劉備に裏切られ、結局は攻められてしまいます。
さらに、馬超が劉備陣営に参加した事で、戦意を失い降伏しています。
命は助けられましたが、結局は蜀の地を劉備に取られてしまったわけです。
劉璋は、王累の進言を聞かなかった為に、蜀を劉備の取られてしまい、荊州西部の公安に移されています。
逆さ釣りの諫言について
逆さ釣りの諫言についてですが、これはちょっと微妙な所もあるような気がします。
現代人の感覚と、三国志の時代の人の感覚は違うのかも知れませんが、自分の家臣がいきなり逆さ吊りになっていたら不思議な感じがするのではないでしょうか?
自分が劉璋で王累がいきなり逆さ吊りで現れたら「お前一体何やってんだ?頭おかしくなったのか?」とか言ってしまいそうな気もするわけです。
それか、思わず吹いてしまいそうな気もしますが・・・。
逆に自分が王累だったとしたら、実行する前の段階で「逆さ釣りやったら、絶対に笑われるよな~」となるかと思いました。
逆さ吊りでは、真面目に話を聞いてくれない可能性もあるのでは?と疑問が湧いて来る可能性もあると感じます。
さらに、逆さ釣りになってしまうと、ボディランゲージを上手く使う事が出来ない問題も起きるはずです。
メラビアンの法則では、内容よりも見た目や喋り方、ジェスチャーなどの方が大事だと言われてます。
逆さ吊りになってしまうと、体を上手く使えないとか、頭に血が上り思考力が落ちるなどで、説得力が低下するように思えるわけです。
真面目な事を言っても冗談にしか聞こえない様にも感じます。
それを考えると、逆さ吊りの諫言というのは、現実的では無いように思います。
逆に言えば、逆さ吊りじゃなければ、劉璋は話を聞いた可能性もあるかも知れません。
自分が王累だったら結局は、実行せずに普通に煩く諫言するのではないかと感じました。
そっちの方が劉璋の近くに寄れたりする事も出来るからです。
王累の逆さ吊り事件は、正史三国志にもありますし、本当の事だと思いますが、パフォーマンスとしてはイマイチかなと感じています。
ちょっと、王累には失礼な話かも知れませんが・・・。
王累の三国志での能力値について
王累は三国志のゲームの中では、武力は低いのですが、知力や政治力が高めに設定されています。
時には、90を超える事もあり能力を高く評価されているわけです。
しかし、史実での王累を見ると、劉備の入蜀を拒んだ話しか伝わっていません。
それにも関わらず、知力や政治力が80とか90の数値を与えられるのは、評価しすぎではないかと思います。
王累のような人物はマスクデータの野望が低いなどの、裏切らない設定を高くするべきで、政治力や知力を無駄に評価しすぎる傾向にあると感じました。
逆を言えば、呉の武将はもっと評価されてもいいかなと感じています。
ただし、KOEIの初代三国志で王累の魅力20などは、ちょっと酷すぎるかなと思いました・・。
メーカー側に苦情が来たのか、その後の数値は上がっています。
ただし、劉璋を説得できない辺りは、マイナス要素になってしまうかなと思っています
劉璋は幸せな奴だと思う
王累の話しを見ていると、劉璋は幸せな人だと思います。
王累は厳しい人なのかも知れませんが、劉璋の事を思ってここまでやってくれるわけです。
会社員などですと、会社の悪口ばかり言っている人もいるわけです。
三国志の時代が終わり、南北朝時代となり東晋時代に常璩(じょうきょ)により華陽国志が書かれていますが、その中で王累が登場します。
忠烈公、従事王累と讃えられています。
逆さ吊りの諫めた事が評価されているのでしょう。
劉璋は王累だけではなく、涪城や雒城を劉循と共に守った張任なども劉璋に最後まで忠誠を誓っています。
張任は固く城を守り劉備の軍師である龐統を討ち取るなど大戦果を挙げますが、劉備軍の増援部隊である諸葛亮や黄忠、趙雲、張飛などが荊州からやってくると金雁橋に出撃し捕虜となっています。
張任は「老臣は二君に仕える事はしない」と最後まで劉璋に忠誠を誓い斬られたわけです。
しかし、王累や張任の様な家臣がいる劉璋は幸せ者だと思いました。
ただし、劉璋の王累を助けなかった行為は薄情にも見えますし、聞き入れないのであれば、助けて獄にでもつないでおいた方がよかったのかも知れません。
春秋戦国時代にも燕王喜が趙に攻め込むのを諫めた「将渠」という人物がいますが、似たようなものを感じます。
こういう政治とか戦争で活躍しなくても、忠臣というのは、三国志の中でも光る存在だと感じました。
ただし、自分は王累になりたいとは思いませんが・・・。