春秋戦国時代

損人利己は人に損をさせ自分が利益を得ることを指す

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損人利己
意味人に損をさせて自分が利益を得る事

損人利己は戦国時代の呉起が魯の将軍になった時の逸話を元にした故事成語です。

呉起は魯の将軍になりますが、妻が斉の出身であった事から、魯の穆公に疑われ将軍に任命して貰えませんでした。

呉起は妻が原因だと悟ると、妻を殺害し斉とは縁を切った事を伝え将軍に任命されています。

呉起は用兵の達人でもあり、斉軍を多いに破りました。

損人利己の話は妻に損をさせ、呉起が功績を挙げた話になっています。

呉起が魯の将軍になった時に、妻との間に何かしらの事があった事は間違いなさそうですが、話によって呉起は妻と離縁しただけのものもあり、本当に殺害したのかは不明です。

若い頃の呉起

若い頃の呉起は無頼漢であり、喧嘩ばかりして仕事に就こうとはしませんでした。

前漢の皇帝となる劉邦も真面目に仕事をしなかった話がありますが、呉起も似たようなものだったのでしょう。

呉起が余りにも問題ばかり起こす事で母親は白髪となり、呉起を罵りました。

呉起は母親の言葉にカッとなり自らの腕を噛み口からは血を流し「宰相になるまで、この家の門をくぐらない」と絶縁宣言したわけです。

しかし、呉起にも孝の精神があったのか、何故か孝行者で有名な魯の曾参の弟子となります。

呉起は勉強熱心であり斉の大夫である田居に会うと、田居は多いに呉起を気に入り自分の娘を嫁がせました。

田居は斉の人間であり、呉起は斉人を妻に迎えた事になります。

この田居の娘が損人利己のキーマンとなる女性です。

尚、呉起は母親の葬儀に帰らなかった事で、曾参の弟子は破門となってしまいました。

この後に、呉起は儒教を捨て去り兵法にのめり込む事になります。

魯の宰相である公儀休は呉起を知ると才能を認め、魯の穆公に推薦しました。

呉起は魯の大夫となります。

損人利己の逸話

斉人の妻

紀元前412年に斉の宰相である田和は兵を出し魯を攻撃しました。

公儀休は魯の穆公に呉起を将軍に任命する様に要請すると、魯の穆公は応諾する事になります。

しかし、口では呉起を将軍に任命すると言ったものの魯の穆公は呉起を用いず、その間に魯の城は斉に落とされていく事になります。

公儀休は再度、呉起を将軍に任命しようとすると、魯の穆公は次の様に答えました。

魯の穆公「呉起が将軍としての才能がある事は分かっている。

しかし、呉起は田家の婿である。

呉起が心変わりしたら結果は見るに堪えないものになるであろう。

呉起が心変わりしない保証はあるのか」

魯の穆公は呉起の妻が斉の大夫田居の娘だという事を問題視したわけです。

妻の首を差し出す

公儀休は呉起の元に行くと、呉起は「斉は激しく魯を攻めているのに、私になぜ兵を率いさせてくれないのか?」と問いました。

呉起は自分を将軍にさえ任命してさえくれれば、斉軍を撃退出来ると告げたわけです。

公儀休は魯の穆公との経緯をそのまま呉起に伝えました。

次の日に呉起は包みを持ち魯の穆公に面会する事になります。

呉起は魯の穆公の前に行くと「自分は魯を裏切るつもりはない」と述べ、包みを開きました。

そこには呉起の妻の首があり、呉起は魯の穆公への忠誠心を示す為に、自分の妻の首を斬り差し出したわけです。

魯の穆公は驚き、呉起は残忍な者だとして下がらせました。

魯の穆公は公儀休に「呉起は惨い男だ」と述べますが。公儀休は「呉起は手柄を立てる事だけを望んでいる」と言い放ち、呉起を将軍に任命する様に進言したわけです。

公儀休は呉起を将軍に任命しないと、呉起は斉に寝返るなど脅しの様な言葉も述べ、魯の穆公に決断を迫りました。

魯の穆公は呉起を将軍に任命し、2万の兵を呉起に与えています。

呉起は将軍となるや兵士には温情を見せ、寝食を共にし斉軍を破る事に成功しました。

しかし、後に呉起は性格を問題視され魯を追われますが、魏の文侯に仕え、西河でを破るなど天下に名だたる将軍となったわけです。

魏の武侯には「船中敵国」を説くなどしています。

損人利己の言葉の通り、妻を殺害し妻に損をさせ、自分は将軍に任命され利益を得た事になるでしょう。

損人利己は本当なのか?

損人利己は何処までが本当なのか分からない部分があります。

損人利己の話だと呉起はサイコパスな性格にも見えますが、兵士に対しては厳しくも優しく吮疽之仁などの逸話もあります。

魏の武侯の元を去る時には、公叔(公叔座??)の部下は、呉起は清廉潔白だと述べてもいました。

ただし、魏の李克は呉起を好色だとする述べています。

楚の悼王に仕えた時は、楚を法治国家に変えるべく宰相として奮闘しますが、最後は貴族たちの恨みを買い命を落としました。

史記を書いた司馬遷は呉起は温情に欠けた為に命を落としたと述べています。

それを考えると、国の為には情を無視して行動する部分もあり、そうかと思えば魏の武侯に船中敵国を説くなど、徳の大事さを述べたりします。

呉起の性格は朱元璋などと同様に迷宮の様な部分があるわけです。

最初にも述べた様に、損人利己の話だと妻を殺害していますが、韓非子などでは妻を殺害した事が書かれていません。

それを考えると、損人利己の話がどこまで本当なのか分からない部分も多いと言えるでしょう。

この記事を書いた人

構成・文/宮下悠史

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