戦勝於朝廷 | |
意味 | 朝廷にいながら敵に勝つ事 |
戦勝於朝廷は戦国策の斉策に記述されているお話です。
斉の宰相をしていた鄒忌が城北の徐公とどちらが美しいか?と問うた話です。
鄒忌は妻、妾、客人などに聞きますが、全て「鄒忌の方が美しい」と答えました。
しかし、実際に鄒忌が徐公に会うと、徐公の方が明らかに美男子で優れた容姿を持っていたわけです。
鄒忌は自分が訪ねた者がなぜ嘘を言ったのか考え、斉の威王に伝えました。
斉の威王は鄒忌の言葉を聞き入れ、臣下達に自分を諫めた者は褒賞を与える約束をします。
斉の話を聞いた燕、趙、韓、魏は、斉に恐れを抱き朝貢してきたわけです。
斉の威王は朝廷にいながら他国を臣従させる事に成功しました。
これが戦勝於朝廷の簡単なあらすじとなります。
戦勝於朝廷は「戦い朝廷に勝てり」としての言葉もあり、こちらも有名です。
尚、戦勝於朝廷は高校の教科書にも掲載されており、知っている人も多い事でしょう。
因みに、斉の威王は衛の武公や楚の荘王などと同様に諫言を好んだ話があり、戦勝於朝廷の様な進言が出来る鄒忌を重用したのでしょう。
徐公と鄒忌
鄒忌は身長が八尺あり長身で容姿端麗な人物でした。
鄒忌は琴の名手でもあり、斉の威王に音楽を使って諫言した事から宰相にまで昇りつめた人物でもあります。
鄒忌は出仕する時に、鏡を覗き込み妻に「私と城北の徐公とではどちらが美しいか?」と問います。
すると妻は「あなたの方が美しいです。徐公などの比ではありません」と答えました。
城北の徐公が斉国きっての美男子であり、鄒忌は妻が自分の方が美しいと言っても信じる事が出来なかったわけです。
鄒忌は妾にも同じ質問をすると妾も「徐公よりも鄒忌様の方が美しい」と述べます。
鄒忌は翌日に客と会談し、その時に客人に向かい「私と徐公とでは、どちらの方が美しいか?」と問いました。
すると客人も「徐公は貴方の美しさには及ばない」と述べました。
鄒忌が聞いた三人は全て徐公よりも鄒忌の方が美男子だと述べたわけです。
徐公に及ばず
翌日になると、鄒忌の元に城北の徐公が訪ねて来ました。
鄒忌は徐公の容姿を見て「とても及ばない」と感じます。
しかし、妻、妾、客人が「自分の方が美しい」と述べた事から、鄒忌は鏡で自分の姿を見て確認しますが、やはり徐公に美しさで及ばないと悟りました。
鄒忌は家に帰り寝る時に、なぜ妻、妾、客人が嘘をついたのか考えると、次の答えが導きだされたわけです。
妻が私の方が美しいと言ったのは甘えからであり、妾が私の方が美しいと言ったのは畏れから。
客人が私の方が美しいと言ったのは、下心があったからだ。
鄒忌は妻、妾、客人が嘘をついた理由を的確に分析しました。
斉の威王を諫言
鄒忌は出仕すると斉の威王に次の様に述べます。
鄒忌「私の美しさは城北の徐公に及ばぬ事をよく心得ております。
しかし、私の妻は甘えから、妾は畏れから、客人は下心がありいずれも「徐公よりも私の方が美しい」と言いました。
今の斉は方千里の地を持ち120の邑を持つ大国でございます。
さすれば、宮女や側近で王様に甘えぬ者はいませんし、朝廷の臣下では王様を恐れぬ者もいません。
国境の内には王様に下心を持たない者もいないのです。
これらを考えると、斉王様の耳は塞がれているのと変わりません」
斉の威王は鄒忌の言いたかった事を察知します。
戦い朝廷に勝てり
鄒忌の言葉を聞いた斉の威王は、次の様な布令を出します。
私に面と向かって直諫した者は上賞を与える。
上書して私を諫めた者は中賞を与える。
市場や朝廷で私を誹謗し諫めた者は下賞を与える。
斉の威王が布令を出すと、最初のうちは群臣が列を無し集まり、宮殿前の広場は市場の様になったとあります。
しかし、数カ月も経つと、たまにしか諫言する者がいなくなり、1年もすると進諫する者がいなくなります。
斉の威王が諫言を許し多くの改善がなされた事で、諫言しようにも諫言する内容が無くなってしまったのでしょう。
斉の威王の話を聞くと燕、趙、韓、魏は斉を恐れ朝貢して来たとあります。
これが戦勝於朝廷の話であり朝廷にいながら戦いに勝った事になります。
先にも述べましたが、戦勝於朝廷の話は「戦い朝廷に勝てり」の言葉でも有名です。
戦勝於朝廷は真実なのか?
戦勝於朝廷の話ですが、真実なのか?と言われれば分からない部分が多いです。
話が余りにもよく出来過ぎており、真実なのかは不明ですし、探せば幾らでも落ち度はあり、諫言する事が無くなる事はない様に感じます。
斉の威王を諫めると言っても下手に機嫌を損ねれば首が飛ぶ事も考えられます。
それを考えると、秦の商鞅が変法を実施する時に、木を移動させる布令を出し、実際に移動させた者を褒賞しました。
同じ様に斉の威王も誰かにわざと派手に諫言させた可能性もあるはずです。
尚、斉の威王の戦勝於朝廷は諫言により褒賞を「上中下」に分けましたが、春秋五覇の一人である重耳は徳を以って自分を導いた者を第一位の褒賞としました。
重耳は策によって功績を立てた先軫よりも狐偃を評価した話があります。
戦勝於朝廷の話を見ると斉の威王と重耳の考え方の違いなども面白いと感じました。
斉の威王は春秋五覇の中では、楚の荘王に近い君主だとも言えるでしょう。