三貴士は三貴神とも呼ばれており、イザナギが禊を行った時に誕生した天照大神、月読命、スサノオの三柱を指す言葉です。
しかし、三貴士を見てみるとバランスの悪さを感じた人が多いのではないでしょうか。
三貴士の中で天照大神は太陽神であり、月読命は月の神であり対になる神でもあります。
それに対し、スサノオだけは海原を治める様に命じられており、太陽、月、海という事になります。
陸海空なら分かる気もしますが、スサノオだけがのけ者にされている感じもしないでもありません。
ただし、日本神話を見ると月読命は全くといってよいほど出番がなく、物語で言えば天照大神とスサノオだけいれば事は足りる状態です。
さらに、月読命の唯一といってよい記録が保食神を斬った事であり、スサノオがオオゲツヒメを殺害した事と重なります。
それらを考慮すると月読命とスサノオは同一神ではないか?と思えてくる程です。
尚、一つの説として古代の日本では2,4,8などの偶数が尊ばれてきましたが、中国では奇数が尊ばれており、元は二柱だったの三貴士にしたとも考えられています。
三貴士の成立の背景には政治的な要素も見て取る事が出来ます。
三貴士の分治
イザナギはイザナミを恋しく思い黄泉の国に向かいますが、最終的には決別しました。
イザナギは黄泉の国の穢れを落す為に、禊を行うと衣服や自分の体から様々な神が誕生しています。
禊の最後にイザナギが左目を洗うと天照大神が誕生し、右目を洗うと月読命、鼻を洗うとスサノオが誕生しました。
天照大神、月読命、スサノオの三柱は強力な力を持った神であり、三貴士(三貴神)と呼ばれる事になります。
三貴士は姉弟の様ではありますが、明確な母親はいない事になります。
ただし、スサノオは後に母親に逢いたいと述べて泣き叫び、それらを考えると天照大神、月読命、スサノオら三貴士にも母親がおりイザナミを指すのではないか?とする説もあります。
イザナギは自らの首飾りである御倉板拳之神を天照大神に与えました。
イザナギは天照大神に天津神の国である高天原を任せ、月読命には夜の食国、スサノオには海原を任せています。
イザナギは三貴士の強力なパワーを見て、世界を分治したのでしょう。
三貴士に関しては、様々な事が言われていますが、順序に関しては天照大神がトップという事は間違いないでしょう。
スサノオが後に高天原にやってきますが、狼藉は行いましたが、天照大神の位を奪う様な事はしてはいません。
ただし、三貴士の中で月読命だけが、異常な程に出番がなく影が薄い存在となっています。
三貴士が祀られている神社の中で、月読命を祀っている神社は圧倒的に少ない状態です。
太陽と月
世界の文明や信仰などを見ても太陽と月は非常に重要視されています。
メソポタミア文明では月をベースにした太陰暦があり、古代エジプトでは太陽暦がありました。
ギリシャ神話を見ても太陽神のアポロンと月の女神であるアルテミスがいます。
日本でも三貴士の天照大神は太陽神であり、月読命は夜の国を治める月の神と見る事が出来るはずです。
先にも述べた様に、三貴士は無理やり三柱の神にしたのであり、本当は天照大神と月読命の二柱しかいなかったのではないか?とする説が存在します。
三貴士の天照大神と月読命は元々は太陽と月という自然の運行を説明する話だったのではないか?ともされているわけです。
太陽と月の自然運行に物語をかぶせた時に、三貴士のスサノオが加えられ、三貴士の主神でまともな性格の天照大神と乱暴者のスサノオの対立を軸に描かれたとも考えられています。
日本神話は三貴士の天照大神とスサノオの話をメインにしてしまった事で、月読命は出番が無くなり古事記では名前くらいしか登場しなくなってしまったともされています。
尚、世界の神話を見ると太陽神は男性が多く、月は女神が多いと言えます。
こうした事情から天照大神は元は男神だったのではないか?とする説が存在します。
スサノオと月読命の同一人物説
月読命は古事記では三貴士に数えられる尊い神のはずなのに出番がイザナギの禊で生まれたシーンしかありません。
月読命は日本書紀では食物の女神である保食神を斬り天照大神の袂を分かつ事になりました。
スサノオは天照大神との天岩戸の後に神々により高天原を追放され、空腹で困っている時に食糧を提供してくれたオオゲツヒメを斬り捨てています。
保食神とオオゲツヒメは両方が食物の女神であり、自分の体から食料を出す事が出来て、それを見た月読命やスサノオが怒り殺害する内容となっています。
日本神話には月読命の逸話が、これしかなくしかも内容がスサノオと被っています。
これらを考えると、三貴士は最初は存在せず、天照大神とスサノオしかいなかったか、天照大神と月読命しかいなかったのではないか?とも考えられています。
月読命とスサノオは元は同じ人物だったのではないか?とも考える事が出来るわけです。
三貴士で考えれば三位一体などと考えてもよさそうなはずなのに、非常にバラスが悪い存在となっています。
日本神話は中が空洞
日本神話は中が空洞とする説があります。
造化三神は天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神ですが、中央にいるべき天之御中主神は最初しか登場しません。
三貴士も天照大神、月読命、スサノオですが、二番目に登場する月読命は物語ではほぼ登場しないわけです。
天孫降臨の後の日向三代では、瓊瓊杵尊と木花咲耶姫の間に火照命、火須勢理命、火遠理命の三柱が生まれました。
火照命は海幸彦であり、火遠理命が皇室に繋がる山幸彦となり、海幸彦と山幸彦の話で物語が進みます。
しかし、真ん中の子である火須勢理命には名前以外に出番がありません。
これらを考慮すると日本神話は三貴士に限らず、真中に来る人物には出番がなく、名前だけの存在になる事が多いです。
一つの説として古代日本は偶数を尊んでいましたが、中国では奇数を好み、無理やり中国の奇数に当てはめた事が原因ではないか?とも考えられています。
三貴士が祀られている神社
三貴士の天照大神、月読命、スサノオの三柱が全て祀られている神社は、さほど多くはありません。
しかし、三貴士が仲良く祀られている神社も存在しています。