名前 | 黄泉の国 |
別名 | 根の国 |
登場 | 日本神話 |
黄泉の国は日本書紀や古事記などに登場する死後の世界です。
日本神話における最初の死亡者がイザナミであり、黄泉の国の住人となります。
イザナギは妻を恋しく想いイザナミを黄泉の国に迎えに行く事になります。
ここでイザナミは「見ないで」と言ったのに、イザナミは見てしまい、変わり果てたイザナミの姿を見たイザナギは逃げ出してしまいました。
イザナギはイザナミや黄泉醜女、黄泉の国の軍隊に追いかけられ黄泉比良坂まで逃げ延びます。
イザナギは黄泉の国の入り口を千引きの岩で塞ぎました。
イザナギとイザナミは口論となりますが、最終的に決別する事になります。
黄泉の国でのお話はバッドエンドとなってしまったわけです。
尚、日本神話の中には黄泉の国だけではなく、根の国という名前が登場します。
スサノオが「根の国にいる母親」に逢いたいと言ったり、大国主が根の国を訪ねスセリビメと駆け落ちする話があります。
黄泉の国と根の国は同じだとする専門家もいれば、違うという専門家もおり正確な部分は不明です。
それでも、黄泉の国も根の国も黄泉比良坂が出入り口になっている設定は同じだと言えるでしょう。
因みに、黄泉の国の話がイザナギとイザナミのクライマックスにもなっており、神世七代の時代も完全に終焉する事になります。
尚、日本神話の世界は下記の様になっています。
高天原と地上の間には天の浮橋があり、地上と黄泉の国の間には黄泉比良坂が存在します。
今回は日本神話の中でも最下層にあり死者の国となっている黄泉の国での物語を解説します。
黄泉の国に向かうイザナギ
神世七代の最後の神であるイザナギとイザナミは国生みと神産みにより日本列島を誕生させ自然豊かな国としました。
しかし、イザナミがヒノカグツチを誕生させた時に、怪我をして亡くなってしまいます。
イザナギは比婆の山にイザナミを葬りますが、ヒノカグツチを斬り捨てています。
イザナギはイザナミの死という現実を突きつけられました。
イザナギはイザナミを思い出すと胸が痛くなり、遂には黄泉の国に行く決断をします。
イザナギが黄泉の国に向かうシーンですが、この時点ではイザナミが戻ってくる可能性もあったのではないか?とも考えられています。
古代の日本人の死生観では生と死の間の世界があり、間の世界にいれば「生き返る事も可能」とする思想の表れだともされているわけです。
普通に行ける黄泉の国
イザナギは黄泉の国に行きますが、特に困ったという描写も無く普通に黄泉の国のイザナミがいる建物の前まで行く事になります。
イザナギが黄泉の国の化け物に遭遇したなどの話もありません。
黄泉の国と言えば死者の国でもあり、薄暗く気味が悪い魔界の様なイメージがある様に感じています。
しかし、イザナギは普通に黄泉の国まで行っており、黄泉の国は日常の世界とも大して変わらなかったのではないか?ともされているわけです。
イザナギの心の声
イザナギは黄泉の国のイザナミがいる建物の前で、次の様に述べました。
イザナギ「愛おしい我が妻よ。自分とお前で造った国はまだ完成していない。
だから、帰って来てほしい。
儂と一緒にもう一度、国造りをしようではないか」
この言葉はイザナギの心の叫びであり、イザナミの声は黄泉の国に鳴り響いた事でしょう。
黄泉の国の食事
建物の中にいるイザナミはイザナギの声に対し、次の様に述べました。
イザナミ「それが、もう手遅れなのです。
とても残念な事です。もう少し早く来てくれれば何とかなりました。
私は黄泉の国の竈で炊いた食事を食べてしまったのです」
イザナミはイザナミが来てくれた事を嬉しく思いながらも、黄泉の国の竈で炊いた食事を食べてしまったと述べ「戻れない」と告げました。
イザナミが黄泉の国の食事を食べた事を理由に帰れなくなったと言いましたが、日本には「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。
つまり、イザナミは黄泉の国の食事を食べてしまった事で、黄泉の国の住人の仲間になってしまったと言えるでしょう。
見ないで
イザナミは一度は地上に戻る事を断わりましたが、イザナギの言葉を嬉しく思ったのか次の様に述べました。
イザナミ「それでも、愛おしい貴方が、ここまで来てくれた事は嬉しく思います。
仰せの通りに帰りたく存じます。
私は黄泉の国の神たちと話し合ってみますが、決して私の姿は見ない様にしてください」
イザナミは「見ないで」と伝えたわけです。
神話ではお決まりのパターンなのですが「見ないで」と「見ろ」は同義語の様に扱われ、世界中の神話で約束は破られる事になります。
変わり果てた姿のイザナミ
イザナギは「見ないで」と言われましたが、案の定、気になってしまいイザナミを探しに行きます。
イザナミは黄泉の国の殿内に入り櫛の太い歯を松明の様にし、火をともして見渡しました。
ここでイザナギは、変わり果てたイザナミの姿を見る事となります。
イザナミの体からは蛆が湧いており、ゴロゴロと蠢く音が鳴り響き、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰部には析雷、左手には若雷、右手には土雷、左足には鳴雷、右足には伏雷が蠢いていました。
八柱の雷神はイザナミの体から出て来たのか、外からイザナミの体に取り着いたのかは不明ですが、変わり果てたイザナミの姿を見たイザナギは驚いたわけです。
さらに、イザナミは次の様に述べました。
イザナミ「私に恥をかかせましたね」
イザナギは驚いて走り出し黄泉の国からの脱出を試みる事になります。
逃げる男と追う女
イザナギが逃げ出すとイザナミは黄泉醜女(ヨモツシコメ)に命じて、イザナミを追いかけさせました。
イザナギは髪飾りをブドウの木に変えたり、櫛をタケノコに変えたりして、イザナミと黄泉醜女の追撃を振り切ろうとします。
イザナミは黄泉の国の軍隊まで出し、イザナギを追いかけさせました。
イザナミはイザナギを捕えてどうするつもりだったのかは不明ですが、イザナギを追いかけ「逃げる男と追う女」という現代でもありそうな構図が出来上がったわけです。
逃げるイザナギは十拳剣を後ろ手で振りながら逃げました。
剣は普通は前に出して振るものであり、いつもと反対の事をするのは、相手を呪う意味があります。
この時点でイザナギはイザナミとヨリを戻す気が無かった事が分かるはずです。
イザナギは黄泉の国の出口である黄泉比良坂の付近まで来ますが、イザナミと黄泉の国の軍隊に捕まりそうになってしまいます。
この時に、イザナギは桃の木を発見し3個の桃を黄泉の国の軍隊に投げつけると、黄泉の国の軍隊は撤退しイザナミだけが残りました。
イザナギは自分を救った桃に「オオカムヅミノミコト」という名前を付けています。
決別
イザナギは地上に脱出すると千引きの岩で、黄泉の国を封印してしまいました。
これによりイザナミは地上に出て来る事は出来なくなったわけです。
千引きの岩を挟みイザナミはイザナギに次の様に述べています。
イザナミ「おしい我が夫よ。あなたがこの様な酷い事をするのであれば、
私はあなたの国の人草を1日に千人殺す事に致しましょう」
イザナミは呪いの言葉をイザナギに述べました。
イザナギは次の言葉を返しています。
イザナギ「愛おしい我が妻よ。お前がその様な事をするのであれば、
私は1日で千五百の産屋を建てる事に致す」
イザナギはイザナミが人間を1日に千人殺害するのであれば、自分は一日に千五百人の人間を誕生させると告げたわけです。
日本書紀などでは異説もありイザナギとイザナミが口論となり菊理媛と泉守道者が現れ両者と説得するなどしています。
しかし、黄泉の国での、どの説もイザナギはイザナミに別れを告げて去る事になります。
イザナギは黄泉の国の穢れを落す為に禊に向かい顔を洗った時に、天照大神、月読命、スサノオの三貴士を誕生させました。
イザナミは黄泉津大神となり黄泉の国に残る事になったわけです。
イザナミは神世七代の権威ある至高の神でもあり、黄泉の国でも大きな力を持った存在でもあったのでしょう。
イザナギも高天原を天照大神に任せると引退しており、黄泉の国がイザナギとイザナミの愛憎劇であり袂を分かつ事になります。
黄泉の国は横穴式古墳だったのか?
黄泉の国のイザナギとイザナミの話は横穴式古墳を現わしているとする説があります。
昔は今と違って死体を直接見る機会が、多かったとも考えられており、イザナミがいた黄泉の世界のイメージは、横穴式古墳だったとする意見が多くあります。
古代日本では身分の高い人は横穴式古墳に埋葬され、定期的に人が遺体の様子を見に行く風習がありました。
横穴式古墳に遺体を覗きに行くたびに死体は腐乱し、ウジがたかり恐ろしい姿になっていくわけです。
古代の人は古墳に埋葬された死体を見て「二度と戻っては欲しくない」と思ったともされています。
古代の人の死の様子が、黄泉の国でのイザナミに反映され、描かれたとも考えられるはずです。
こうした事情から古代の人は「自分の無様な遺体を見られたくない」と思っても不思議はないでしょう。
イザナギは最後に千引きの岩で黄泉の国の入り口を塞ぎましたが、古墳を岩で塞ぐのと同じだとする意見もあります。
横穴式古墳の入り口を塞ぐと言う事は「もう見に行く事はない」と宣言した事にもなります。
生者と使者の別れだとも見れます。
日本神話と世界神話の「見ないで」について
黄泉の国でのターニングポイントはイザナミが「見ないで」と言ったのに、イザナギが見てしまった事でしょう。
ただし、イザナギが辛抱強く見なかったとしても、どうなっていたのかは不明です。
先に述べた様に世界中の神話では「見るな」と言われると、どうしても我慢が出来なくなり「見てしまう」事になります。
鶴の恩返しでは「見てはいけない」と言われたのに見てしまいますし、山幸彦と豊玉姫の話でも山幸彦は「決して見ないでください」と入れたのに豊玉姫を見てしまいました。
ギリシャ神話にもイザナキとイザナミによる黄泉の国での出来事と、似た話が掲載されています。
琴の達人であるオルペウスの妻であるエウリュディケーが、毒蛇に噛まれて亡くなり、冥界に行く事になります。
オルペウスは、冥界の王であるハデスらと交渉し、「冥府から出るまで妻を見てはならない」という条件で、地上に戻る事を許されました。
ギリシャ神話が冥界での出来事であり、日本神話が黄泉の国の出来事というのが興味深い部分でもあります。
オルペウスは冥府から出る直前で、妻のエウリュディケーを見てしまいハデスとの約束を破った事で、エウリュディケーは冥府に戻されてしまいました。
世界の神話でも「見るな」と言われるとみてしまうのもお決まりと言えるのでしょう。
因みに、ハデスの妻となるペルセポネーは元は地上の豊穣の女神であり、冥府のザクロを食べてしまった事で、ハデスの妻となった経緯があります。
ペルセポネーは全部のザクロを食べなかった事で、1年のうち数カ月を冥府で暮らす事となり、ペルセポネーが豊穣の神であったことから、1年のうちで作物が育たない冬が生まれたと考えられています。
今の話で興味深いのはペルセポネーは冥界のザクロを食べていますが、イザナミは黄泉の国の食事を食べています。
食べ物を食べて死後の世界の住人となるのは、ギリシア神話とも被る部分であると言えるでしょう。