和氏の璧が誕生したお話です。
和氏の璧は、春秋戦国時代に趙の藺相如が秦の昭王と駆け引きをして無事に趙に持ち帰った事で【完璧】の語源にもなった宝物です。
藺相如の「璧を完(まっと)うして趙に帰らん。」の言葉が完璧の語源になったとされています。
ちなみに、和氏の璧の「和氏」は、「卞和」という人物の名前に由来します。
卞和は春秋時代初期の人物で、楚が王を名乗り始めた頃の人です。
卞和・楚の厲王(蚡冒)に玉石を献上するも足斬りの刑にあう
卞和はある日、山の中で玉を見つけます。
玉というのは、宝石の原石の事です。
卞和は「これは凄いものを見つけた」と思い楚の厲王に献上します。
しかし、卞和は無名の人物だったせいか、信用がありませんでした。
そこで、鑑定士が卞和が持ってきた玉を鑑定しますが、「ただの石ころ」と判断されてしまいます。
楚の厲王は「俺を騙すつもりか!」と怒り、卞和を足斬りの刑に処してしまいます。
しかし、玉だけは卞和に返されて持ち帰る事が出来ました。
厲王の「厲」は行いがよろしくない王様に付けられる諡号であり、人間性もよくなかった可能性があります。
尚、厲王は武王(次の王様)に殺されたとも言われています。
楚の武王に玉を献じるも両足切断される・・・。
楚の武王が即位すると、卞和は再び玉を献じる事にしました。
しかし、楚の武王も厲王同様に鑑定させますが、再び「ただの石ころ」と鑑定されてしまいます。
結果、卞和は罪を受けてもう片方の足も切断されてしまいます。
それでも、玉だけは持ち帰っていました。
楚の武王は、楚の勢力を飛躍的に拡大させた人なのですが、その人であってもこういう事件は起きてしまうようです。
楚の文王が玉を磨かせる
楚の武王が崩御して、文王が即位します。
この時に卞和は既に老人になっていました。
文王が即位した頃に、変な噂が宮中に入ってきました。
【山中で老人が泣き続けている】という情報です。
当時は、迷信なども信じられていましたし、即位したばかりの文王としては気になるわけです。
そこで、臣下を山中に遣わして山中の老人(卞和)に泣いている理由を聞いてきます。
卞和は「文王に玉を献上したいが、信じてもらえないと思うと悲しくて仕方がない。この玉は間違いなく天下の宝なのです」と答えました。
その話を文王にすると、文王の側近たちが「本当かどうか磨かせてみれば分かるのでは」といい、玉を磨かせる事になりました。
すると、立派な宝石が出来上がりました。
文王は武王、厲王の非礼を詫び、卞和に対して莫大な恩賞を与えると共に、名誉と忠義のために「和氏の璧」と名付けました。
その後、和氏の璧は天下の宝物として名を馳せる事になります。
和氏の璧のその後
和氏の璧は、中国の戦国時代になると、楚から趙に移ったようです。
どのタイミングで趙に移動したかはイマイチ分かりません。
一説によれば燕の昭王が楽毅を将軍に任じて、燕・秦・趙・韓・魏の5カ国連合軍で斉を攻め壊滅状態になった事がありました。
その時に、楚は斉に援軍をよこしたのですが、楚の将軍淖歯が斉湣王を殺してしまい斉人に恨まれた事件があります。
この時に、楚は外交的に孤立してしまい打開するために、趙に和氏の璧を与えて同盟を結んだとも言われています。
ただし、戦国策には蘇氏(蘇秦、蘇代、蘇厲の誰か)が趙に来た時に、趙の宰相である李兌が蘇氏に贈った話も掲載されています。
しかし、蘇氏に和氏の璧を渡してしまうと、藺相如が和氏の璧を持つことが出来なくなる可能性もあります。
そのため、辻褄を合わせるとすると、楚から趙に渡り、蘇氏に渡したけど、どこかのタイミングで趙に返って来たという事なのでしょうか?
その後、秦の昭王が和氏の璧が趙にある事を聞きつけて欲しがり、趙の使者として和氏の璧を藺相如が持ち秦に入った事になるでしょう。
無理やりになるかも知れませんが、こうしないと辻褄が合いませんよね・・。
和氏の璧は、外交の切り札として使われていた事実はあります。
和氏の璧が伝国の玉璽になった?
和氏の璧は、暗闇の中ではうっすらと光を放ち、冬は暖かく、夏は涼しく虫よけにもなると言われている不思議な宝石です。
ただし、和氏の璧は現存はされていません。
一説によれば、最終的に秦の始皇帝の手に渡り、始皇帝は和氏の璧を加工して伝国の玉璽に作り替えたとも言われています。
ただし、この話は本当かどうかは分かりません。
尚、伝国の玉璽は帝のシンボルとして受け継がれていきます。(王朝が変わる時に投げつけられた記録がある)
三国志演義では和氏の璧が伝国の玉璽になった説を採用しています。
三国志演義では、董卓が洛陽を去り孫堅が井戸の中で伝国の玉璽を見つけた事になっています。
その後、孫堅が死に孫策が伝国の玉璽を袁術に渡し兵を借り受けるくだりは有名です。
中国の帝のシンボルとなった伝国の玉璽ですが、五代十国の戦乱の中で行方不明になっています。
その後の行方はもちろんわかりません。